034


 類感呪術というものがある。

 存在する両者の性質の中から共通点を見出し、それらを同一のものと見做す呪術である。

 もちろん類感呪術に関しては上に挙げた特性だけではない。これは細かく言えばいろいろな特性があり、俺の把握しているもの以上に様々な効力を持つのだが、今回のことに関係はないので全てを挙げるのはやめておく。

 今回注目したいのは、類感呪術の中でも同じ性質を持つもの同士は同一の存在と見倣される特性ものについてである。

 辺境人が帝王と結んだ契約についてかつて偉大なる賢者は言葉を残した。


 ――3度の会合を経てゼウレの血を引いたチルド9の帝王は辺境の民を従えた。神の作り出した神造兵器。神の尖兵を得た彼の帝王はまさしくこのときゼウレそのものであった。絶頂へと至った彼の魂は彼の肉体にとどまらず、彼の帝国を肉体とした。もはやチルド9こそがゼウレそのものと言っていいだろう。これこそがチルド9に永遠の繁栄が約束された瞬間である。


 大賢者マリーンの記した古書、プリエス記に記されたその文言は4000年の昔におけるチルド9の国家的立場を表現していた。

 ゼウレの血を引く帝王をゼウレの魂に見立て、またその帝王の統治する帝国をゼウレの肉体とし、不滅の概念を持つ絶対神の特性を地上に顕現させ、永遠の繁栄を約束した。

 辺境の民が受ける呪いを一身に受けるという契約もこの呪術があるからこそ成り立っている。

 如何に神の血を引くとはいえ、王は人である。人であるからには数多の呪いを一身に受け無事でいられる道理はない。

 だが神であるなら? 呪術とは世界の理を理解したものに使える強大な力の一端である。

 神の奇跡とも、邪神の瘴気とも違う世界を騙すことわり

 かつて大賢者は王をゼウレそのものとした。ゼウレの作り出した辺境人と、大陸最大国家たるチルド9を使って。

 4000年の長き時、大断絶という巨大な喪失にさえ耐えたその呪術はもはやこの大陸に刻まれた理といってもいいだろう。

 そも呪術というものは単純な呪いとは違う、世界に根付いた理を利用する術なのだ。

 それは司祭の行う奇跡、魔術師の扱う魔術なども呪術の一種だと主張する考えが存在するほどに多様性に溢れている。もちろん奇跡は奇跡。魔術は魔術。呪術は呪術なのだが。

 閑話休題。

 話は逸れたが、ようするに呪術の理を用いれば神秘の薄れきった大陸でも神秘の再現は可能だということだ。

 奇跡を行うにも本当の信仰は消え去り、魔術を扱おうにも魔術的資源の枯渇した大陸。

 そんな大陸でも条件さえ整えば神秘の再現は可能ということである。もちろん神の精髄には至りようもないのだが、装飾で固めてしまえば偽物は偽物なりに機能するというものである。


 ――それこそが大陸神殿の擁する神秘の再現『聖女・・』である。


 修道服に身を包み、だが背中に場違いなほどの巨大な弓を背負った人外の美貌を持つ女は聖句を唱えながら村の神殿にあるゼウレ像に祈っていた。

 司祭様に呼ばれて聖堂の長椅子に腰掛けた俺は彼女たち・・を見る。

 俺から見ても手錬れに見える騎士を2人、それと雑務をこなさせるためか下男が1人、こちらは武術の経験はなさそうだ。3人の男を連れている。

(騎士の強さは、俺と同じぐらいか俺より下といった感じか)

 ただし装備で力負けしそうな気配があった。全身鎧を着込み、辺境人から見ても強烈な神秘を纏った武器を持った騎士2人と戦うなら、黒騎士の剣があった頃ならともかく、素手やメイスだけで挑んでは負ける怖れがあった。

 その程度に強い。

 おどおどとこちらを窺い見る下男については思考の外に置いても大丈夫だろう。

 さて、辺境から見れば平均的な腕前だが、大陸ならば英雄と呼ばれてもおかしくない腕前の騎士が2人。

 その騎士たちはじっと腕を組み、無言で神殿の壁に背を預けている。

「……ゼウレの……威徳が……」

 聖女様は聖句を呟いている。

 俺も司祭様も無言にならざるを得ない。そんな神秘的・・・な気配を聖女様は漂わせていた。


 全く、よくもまぁここまで偽装したものである。


 聖女様に関しては自分を本物と思い込んでいる節すらありそうだった。いや、そうに違いなかった。自らを偽物だと思っては如何に呪術とはいえ想念において力負けするだろう。

 祈りが終わったのか聖女様はゆっくりと立ち上がると俺へと振り返った。

「お待たせいたしました。わたくしはユニオン大神殿所属の第3聖女カウス・アウストラリスと申します」

「はじめまして聖女様、キースといいます。家名はありません」

 相手は大陸の出とはいえさすがに神殿権威の大御所が相手である。俺は椅子から立ち上がると聖女様の前に跪いた。

 司祭様から頂いたゼウレの聖印を片手に片膝を立て、片手を空にし、目を閉じる。

 ゼウレの聖句を呟き祈る。

 おや、と聖女様がおもわずといったように声を漏らす。

「キース殿は変わった姿勢で祈りますね」

「聖女殿。辺境の戦士は祈る時もデーモンへの警戒を怠りません。そのため、どちらかの手と足をいつでも空にするのです」

 司祭様が俺の祈りの姿勢について説明を入れる。確かに聖女様は両膝をつき、両手で聖印を手に祈りを捧げていた。

「村とはいえ、ここも聖堂でしょう? デーモンが襲ってくるようなことがあるのですか?」

「4000年よりも遥かな昔からここは戦時ですからなぁ。それに高位のデーモンであれば村の聖域を突破することも可能です。それより聖女殿、本題に入ってはいかがですかな」

「嘆かわしいですが、これが辺境の現状なのですね。それではキース、貴方にゼウレの加護を」

「ありがとうございます。聖女様」

 聖女様が俺の祈りを受け入れ、加護を返す。礼儀としてやったのだが普通に祝福ブレスの奇跡が返ってきて内心だけで驚く。

(大陸を旅した時は祝福を返せる司祭には一度も会えなかったが、ううむ、いるところにはいるもんだ)

 大陸にはゼウレの信仰が一般的だ。だから神殿が割と各地にあり、俺は雑用と僅かな銅貨で一晩の宿を得ていた。そのときにはあちらの司祭様、もとい司祭に旅の無事を願い、祝福を頼んだりもしたがまともな奇跡を使えるものなど皆無だったのだ。

 ちなみにこの村の司祭様は高位の回復や雷の奇跡を使うことができる本物の司祭様である。デーモン討伐も行っているバリバリの武闘派だ。

(というか、神秘が薄すぎてデーモンからも見捨てられた大陸の人間に言われたくはないんだが……。いかんいかんこれでも聖女様はゼウレ神殿の人間だ。不満は出さないようにしよう)

 大陸はかの七大魔王たちですら常に人間から恐怖を絞りとっていなければ肉体の維持すら難しかった土地である。あまりの神秘の薄さからか、辺境の戦士に殺され、歓喜の声を上げた魔王すらいたと聞く。

 聖女様の辺境を侮辱する言葉に司祭様も少しだけ反応するが、穏やかな顔を崩さず、さぁと促す。

「キース。かつての大神官ウムル殿の司祭服の返還、ご苦労でした」

「はい、聖女様。あるべき場所にあるべきものを返す。ゼウレの信徒として当然のことをしたまでです」

 俺が徳のある司祭様の服を持っていても意味が無い。

 如何にあれに瘴気に対する強力な耐性があるとはいえ、あるべき場所に返すべきだと思ったから返したまでだ。

 メイスは使わせてもらったが、あれはデーモンと戦うための装備だ。デーモンを殺すために俺が使って悪い道理はない。

「さて、キース。ウムル様の遺品はまだあったと思うのですが、持ってはいませんか?」

 じぃっと青い瞳に見つめられる。金髪碧眼の美女は俺を見下ろし微笑んでいる。

「キースくん……」

 司祭様が労るような目で俺を見つめてくる。正直に言わなくていいよと言っているように見えた。いや、実際そうなのだろう。

 大陸の聖女が辺境で神秘を拾い集めるのはよく知られていることだった。今回もそういうことなのだろう。

 迂闊なことをしたとは思わない。ウムル司祭の遺品は返されるべきだと思ったから返したのだ。

 そして俺はゼウレの信徒で、目の前にいるのはゼウレの聖女様だ。

「はい。このメイスがそうです。デーモンを殺すのに使わせてもらいまし――」

 腰のメイスをできる限り恭しく差し出せば、ばしりとまるで奪うかのように取られてしまう。

「なんてこと! このような貴重な神秘をデーモンごときと戦うために用いるなんて!」

 一瞬、俺と司祭様の口から乾いた笑いが漏れそうになった。

(やはり所詮はか……)

 わかっていたことだった。大陸ではリリーのような尊敬できる騎士が珍しいのだ。

 そもそもコールド9との契約やゼウレへの信仰心があるから俺たちは従っているが、やはり大陸人というものは……。

 何も、何もわかっていない。

「司祭殿、何か?」

「いえ、何も……」

 少しだけ剣呑な気配を醸しだした司祭様に聖女の付き人である騎士が声を掛けるが、司祭様は乾いた表情で否定を示す。

「キース。事情はすでに司祭殿に聞きました。善神大神殿の調査を行ったそうですね。ならば他にも拾い集めた神秘があるはずです。全て出しなさい。お前が持っている神秘の全ては善神大神殿。つまりはゼウレの神殿のものです。お前が持っていて良いものではありません。それを愚かしくも身勝手にデーモンとの闘争に使うなんて……!」

「……キースくん」

 司祭様の顔は見なくてもわかる。俺とてそうだ。このイカレ女。これで聖女を名乗ってやがるのか。これが大陸の聖女か。道理で聖女の皮を呪術で被りながら司祭様より弱々しい祝福しか行えないはずだ。

 だが、俺はゼウレの忠実な信徒だ。この女が如何なる存在であれ、ゼウレの聖女様として振る舞うなら信徒として従うまでである。

(幸い、ショーテルは猫に預けている……。ダンジョンめ。この事態まで読んでいたのか?)

 俺が黒鉄の剣があるからと猫に道具を預けることまで予想してショーテルを渡したのか?

 リリーにソーマやスクロールを渡してよかったと心底から思う。というか、こんな事態になるなら指輪の類も渡しておけばよかった。

 俺は鎧、盾、獄炎の指輪を除く指輪類、水溶エーテルを渡す。獄炎の指輪は酒呑からの贈り物だ。こいつらに渡す理由がない。

「その袋はなんなのですか? 収納の神秘が施されているようですが。それにその衣服も」

「この服は村の雑貨屋で買ったものです。私を裸にするつもりですか? 袋についても商業の神バスケットが神殿の探索のために私に貸したものです。ゼウレではなくバスケットに返すべきものですよ。聖女様」

 司祭様が「ゼウレの信仰を忘れた強欲な蟲め」と小さく動く。音は出していない。聖女は俺が差し出したものを見て頬を緩める。

「そ、そうですか。しかしこれだけの神秘をただの村人が持っているとは。……鎧に大きな損傷があるようですが? それとこの盾に焼き付けてある印はなんですか? 強い瘴気を感じますが」

「鎧の傷は戦いに使ったからです。防具ですから、使えば壊れますよ。盾のそれはヤマの眷属に刻んでもらった聖言です。効果は集魔と聞きました。デーモンと戦う際に便利ですよ」

 ヤマの眷属と聞いた途端、聖女様はごとりと手に持っていた盾を取り落とす。

「ひ、ヤマ?! ヤマの眷属に神聖なる神殿の装備をいじらせたのですかお前は!! なんたる愚劣! なんたる汚辱! 穢れた水を飲まされた気分だわ。信仰を忘れた原始人め!!」

 ばちんばちん、と頬を二度三度強く叩かれる。所詮は女子供の攻撃だ。痛くはない。ただ虚しいだけだ。

(だからお前たちの魂は蟲なんだ……)

 ヤマのもとに導かれる魂には優劣がある。高貴なる輝きを宿した魂。信仰に厚い魂。強い戦士の魂。辺境人。竜。妖精。エルフ。ドワーフ。巨人などそういったものたちは優先して転生するための裁きを受けられる。

 だから4000年の時を経て大陸と繋がり、大陸ではヤマが悪神扱いされていると聞いた辺境人は驚いたのだ。

 ヤマへの信仰は己の魂の行末を願うなら非常に重要だ。もちろん敬虔でなくともいい。悪神扱いさえしなければヤマとて怒らない。

 だが大陸ではヤマは悪神とされてしまった。彼らが信仰を忘れたが故に。だからヤマは怒り、大陸人に相応の罪を与えた。


 信仰を忘れた大陸人の魂は、地獄の基準では蟲と同列である。


 転生を待つ魂でももっとも後列。ヤマを軽んじたために来世が来るまで億年以上の時を地獄の責め苦を受ける魂たち。

 ちなみに俺の尊敬するリリーについてだが、彼女は己のうちのデーモンを抑えるために王族の血を引いているようだった。いや、王族の血でないと抑えられないのだろう。そして、それはつまりゼウレの血族であり、魂の質に関しては通常の辺境人並だと思われる。デーモンを殺している実績もあるし、大陸人故にヤマを軽んじていようと転生の順序はそう悪くないものだろうと思われた。

 だが、目の前の女。

 容姿で選ばれたかのような美しい姿をし、類感呪術・・・・でかつての第三聖女の皮を被り、神秘の真似事を使えるようになってはいるものの、やはり大陸人の呆れた性根は隠せない。

 俺が差し出した道具をこいつらは持ち帰り、神殿に飾るのだろう。

 デーモンと戦うために作られ、神々から加護を受けた道具たち。それを持ち帰り、神秘が薄れ、ただの巨大なハリボテと化した神殿に飾り、神秘の何が尊いのかわからない衆愚に見せて回って間違った信仰を得るのだろう。

 ……俺たちは契約のために王国に従っている。

 道具を差し出したのもお前がゼウレの聖女を名乗るからだ。

 俺を叩き続ける聖女の手を司祭様が小さく押さえる。

「聖女殿。もうその辺にしなさい。ゼウレの前で見苦しいですよ」

「はぁッ。はぁッ。ええ、いいでしょう。キース。明日は善神大神殿へと案内してもらいますよ。残りの神秘を回収しなければなりませんからね」

 俺は痛くもない頬を押さえると、疲れたような司祭様と顔を見合わせ、どうしたものかと考える。

 この愚かな女が生き残れるとは微塵も思わなかったが。ゼウレの聖女が死ぬのも信仰としてはまずいと思うのだが。

 しかし司祭様の考えは違うようだった。にっこりと微笑むと司祭様は言う。

「案内してあげなさい。キースくん」

 司祭様は穏やかに言う。

 そして、俺だけに見えるように唇を震わせた。

『大陸のお嬢さんたちに本物のデーモンを教えてあげなさい』

 そうしてこちらは音に出して言った。

「ゼウレの正しき信仰のためにも」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る