ダベンポート 村の聖堂

033


 呪い。呪いとは世界を汚染する毒の一種である。

 ただし毒とは言うがその実態は定かではない。

 それは瘴気であったり、或いは怨念めいた感情であったり、もしくは闇に属する神威であったりと様々な要因が関係している。

 そして唯一絶対なのが、呪われれば高位の呪術師でないかぎりそれに対処することはできないということだ。

 辺境の民がチルド9の王と契約を交わす以前、デーモンの扱う呪術というものは一人前の戦士でさえ警戒に値するものだった。

 もちろん一人前の戦士には防御の心得はあった。愛の概念を纏い、デーモンの攻撃を無効化する聖衣。それを纏うことだ。

 だが聖衣にも格が存在する。愛の深さ、情念の濃さ、そういった要因が関係するものだ。故に上位のデーモンの使う呪術の中には並の聖衣では防御できない恐ろしい呪いがいくつもあった。

 呪いは恐ろしい。如何に肉体を鍛えたとはいえ通用しない概念は存在する。

 故にそんな恐ろしい呪術に対抗するためにもチルド9との契約は今でも守られるものなのである。

 全てはデーモンを地上から根絶するために。

 そしてそれ以上にゼウレを信仰することが重要だ。

 いや、ゼウレに仕えることとチルド9に仕えることが同じということだろうか。どちらにせよデーモンと戦う辺境人にとってそれらは同一視しても構わないほどに強く根付いている考えだった。


「キースくん、浄化が終わりましたよ」


 閉じていた目を開く。跪いた姿勢から目を上げればそこには老境に達しなお武人としても僧侶としても現役の村の司祭がいる。

 ここはゼウレの聖堂。村に唯一の信仰の聖域だ。

 そこで俺はオーラでは取り除ききれない肉体に染み付いた瘴気を取り除いてもらっていた。

「ありがとうございます。司祭様」

「いえいえ、これもゼウレに仕える者として当然の使命です。しかしこれほどの瘴気、いったいどこで? 尋常でない手合のようですが」

「以前言っていた遺跡で新しいデーモンに出会いました。そいつにです」

「ああ、あの司祭服を手に入れたという遺跡ですか」

 そういえばという顔で司祭様はほぅと頷いた。以前俺が手に入れた司祭服はこの司祭様に渡していた。

「もう半年前の出来事ですねぇ。まだ探索を行っていたのですか?」

「ええまぁ……」

「デーモンを滅ぼすことは神のご意思に適うことですが、ほどほどにしないといけませんよ。キースくんはまだ若い。無理に戦いを求めずとも年月が貴方を強くするでしょう」

「ええ、まぁ」

「それに、我武者羅に戦うよりも人生の伴侶を探した方がいいかもしれません。聖衣のこともそうですが、一人前の戦士なら妻の一人も娶っておくべきです。収入で不安があるでしょうが伴侶ができれば軍に所属することもできますし、考えてみてはいかがでしょうか?」

「あ、あはは。まぁ、そうですね。考えておきます」

 曖昧な表情で頷く俺に、わかっていますよ、という顔をする司祭様。俺が乗り気でなくともいずれそうなると思っているのだろう。

 俺とてこのままじゃいけないことはわかっている。どれだけデーモンを殺しても、どれだけ武を積み上げても、一人身では一人前にはなれない。

 だが村じゃモテないのだから仕方がないだろう。一念発起して大陸に出掛けてもモテなかったし、そういう運命なのだと最近は俺も諦め始めている。

 貧乏そうなのがいけないのかもしれなかった。顔は普通だと思うのだが……。話術でも磨くべきなのだろうか?

 しかしそれはそれとして俺が遺跡の半ばで倒れることを考えれば納屋の遺跡は報告しておくべきだろうと思われた。あの遺跡の性質を考えれば増援を求めることは難しそうだが、監視は必要だと思われるからだ。

 流石にあの王妃のデーモンは見逃せない。この村は辺境軍に常に村の男衆の半数を差し出している。アレが地上に出てくれば、今村にいる戦士では相当な被害が出るのは必定だった。

 いや、あのクラスのデーモンは村の人間では無理だろう。

 王妃アレ自体が辺境軍の本隊が必要なレベルだ。それに、それ以上の存在が存在している恐れもあるのだ。

 なにせ破壊神の封じられているダンジョンである。エリザの昔話には王妃以上の脅威も存在している。あれらがデーモン化していない可能性はゼロだと考えるべきだった。

「それで……俺、いえ、私が探索しているダンジョンですが――」

 王妃のデーモン。神の血族である古の王族が変化したデーモン。俺の考え過ぎかも知れなかったが、その存在は下級の神にも匹敵すると思われた。

 現に俺はあれと対峙して一歩も動けなかった。いくら魂が消耗していたとはいえ、それなりにデーモンを倒して武を積み上げた俺でさえそれだったのだ。俺より強い人間が多いとはいえ、村の人間でどうにかできるとも思えない。

 俺を育てた爺がいれば別かもしれなかったが……考えても仕方がない。俺達ができることは死した戦士たちが誇れるような生を積み重ねることだけである。

 もはや俺だけの手に負いきれるかわからなかった俺は、司祭様にダンジョンの性質や出現するデーモンの傾向、そしてエリザの物語に関わっていることなどを話していく。リリーの件は除いて、だ。

「――なるほど、かつてダベンポートの信仰の中心だった善神大神殿がこの村の地下に埋まっていると……」

「そうです。そしてその神殿は今、デーモンの巣窟となっています」

 証拠として善神の聖印も差し出す。リリーに渡した後、長櫃から補給したものだ。

 司祭様は感嘆の声を漏らしながらそれをじぃっと眺める。

「美しい。これが4000年前のものとはとても思えませんが、しかし感じる神威は本物です。さてはて、物証まであるとは否定の言葉もでませんね。それに、王都の騎士様も探索されていらっしゃっている」

「騎士様には騎士様の考えがあるようです」

「ふむ、神殿がそこまで危険な状態であるなら妙な心配をせずとも勝手に死ぬでしょうが……。あまり引っ掻き回されるのも困りものですね。下手を打たれて妙なことにならないとも限らない。あるいはキースくんが騎士様のせいで不覚をとる恐れもある」

 リリーが探索する目的をわかっている俺は妙な口を出さない。司祭様は少しだけ考えて、ふむと困った顔をした。

「キースくん以外の探索者を募りたいところですが、村の人間は探索に乗り気ではないでしょうな」

 俺も肯定のうなずきを返す。あそこはあまりに時間の流れが早い。早すぎる。家族や血族を大事にする愛の概念の弱点でもあった。

「キースくんの2回目の探索はたった2日程度だというのに地上では半年の時間が経過してしまっている。村の人々のデーモンを倒す意思は本物ですが、それはあくまで地上の脅威のみ。4000年も何事もなかった遺跡に好んで挑むような物好きはなかなか。ああ、キースくんを馬鹿にしているわけではありませんよ」

「わかっています。俺も、いえ私も自分がどうにかなってるって自覚はありますから」

「ふむ、それは神がキースくんに与えた試練かもしれませんね。4000年の間、誰も見つけなかった神殿を見つけ、そこでデーモンと戦うこと。更にダンジョンの性質が露わになってもけして挑むことを諦めない意思を持っているとなるともはやこれは……」

 司祭様は黙るとじっと神殿に祀られているゼウレの神像を見る。

「ゼウレがキースくんを選んだのでしょうか?」

「それは……俺、いや、私にはゼウレの奇跡は扱えませんよ? 神器も授かってはいないですし」

「その時でないだけかもしれません。それと他の探索者についてですが……。私としてはこれを伝えるのは不本意なのですが、軍も今は無理なのですよ」

 む、と眉をひそめる俺。何か地上に異変があるのだろうか。

「ちょうど今年から暗黒神の軍勢の活発期に当たりますからねぇ。破壊神が封じられているとはいえ、暗黒神の方が脅威は高いのですよ。古の王族が堕ちたデーモン相手に援軍を出すとなれば相当な勇士が必要ですが、それをこの時期の軍に望むのは無理が過ぎるというものでしょう」

 司祭様の言葉にううむと唸る俺。別に1人でも恐れはしないが、備えは必要に思えてならない。

「やはり、この増援の望めない状況、ゼウレがキースくんに試練を課しているのでは?」

「それより破壊神が誘っている可能性がありますが……」

「それはないでしょう。キースくんは十分以上に善良です。デーモンの誘惑に負ける魂を持ってはいない」

 買いかぶりのように思えた。それにダンジョンでは強力な瘴気により、ゼウレの血が流れる王妃や誇り高い司祭様までデーモンと化していたのだ。如何に俺が努力しようとも油断すればデーモンに落ちかねないのだ。

「ですが、この状況は少し貴方に厳しいとも言える。ふむ、戦士は派遣できませんが、私の方でもいくらか努力してみようと思います。それと……」

 司祭様は隅の戸棚に向かうとごそごそといくつかの瓶を持ってくる。

「キースくんが神殿で手に入れたという聖水よりかは弱いでしょうが、聖なる力を込めた聖水です。持って行きなさい」

 頭を下げ、司祭様が渡してきた10本の聖水をありがたく受け取る。

「それとこれも。善神の聖印は使うようですからね。本当にささやかで申し訳ありませんが」

 先ほど渡した善神の聖印を返され、加えて真新しい銀の聖印を渡された。ゼウレを奉じるためのものだ。

「ゼウレは常に貴方を祝福している。たとえ加護はなくとも、試練という形で貴方を後押ししてくださっている。……神々の試練を越えた先にダベンポートの勝利があらんことを」

「ゼウレの名のもとに、全てのデーモンに滅びを」

 もう一度俺はゼウレの神像に傅き祈ると司祭様に礼を言い、食料や薬の補給を行い、リリーの配置した連絡役兼監視役の兵士が待機する自宅へと戻り、その日は休むのだった。


 大陸のゼウレ神殿から第三聖女を名乗る集団が到着したのは、その翌日のことである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る