023


 さて、と料理人のデーモンを一掃した部屋を見渡す。調理台が並べられ、肉片や骨があちこちに整然と並べられた調理の為の部屋。

 壁際には血の染み付いた拷問具じみた鉄の器具が並び、天井からは肉を吊るすためだろう鎖が吊り下がっている。

 いや……今も多くの死体が苦悶を浮かべて吊り下げられている。口中に苦い味が満ちる。

「燃やして弔ってやりたいが……。すまん」

 この部屋は使う。あの昇降機とも言うべきもの。あれはこの階層の攻略を短縮するために恐らく必要なものだ。

 ここがどこに繋がっているのかはわからないが、結構な距離を高速で移動することができた。使えるなら、迷わず使うべきものである。

「ちッ、胸糞悪いな……」

 とはいえできることはない。俺はヤマに祈りを捧げ、部屋を探索するのだった。



「収穫はこんなものか」

 この部屋に置かれた長櫃より手に入れた武具である、聖言の刻まれたショーテルを弄ぶ。刻まれた聖言は『鋭さ』が2つ。鋭利さを強調した武具だ。

 扱いの難しい剣だが、武具の型は一通りジジイに教えこまれているので十分に扱えるだろう。

「だが、デーモンを相手にするには軽いな」

 もちろん悪い武器ではない。ドワーフ鋼製で、聖言も刻まれている。上のもどきが落とす剣に比べたら倍以上に良いものだ。

 だが、黒騎士の剣と比べれば剣としての格はいくらか落ちる。

 もちろん武具は場面場面で最適の選択肢がある。このショーテルが一番輝く時を選べば、黒騎士の剣を使うよりも効果的に敵を殲滅できるはずだが。

「現状のデーモン相手に積極的に使う理由もないな」

 小盾でも構えたデーモンが出ればまた別だろうが、現状、そんな機会はありそうになかった。

 そして部屋の隅を見る。そこにあるのは扉。軽く外の安全を確かめると、調査を終え、用のなくなった部屋を後にする。

「安全ではあるんだがな……」

 外に出るとそこにあるのは石煉瓦で囲まれた通路だ。松明で照らされている。ちょうどこちらに無警戒に歩いてきた給仕女のデーモンをメイスで叩き殺し、通路の先を見る。

 所々扉がついており、小部屋がある様子が見えるが、その先に見えるのは薄っすらとした闇だ。とはいえここは既に半分以上を調査し終わった領域である下水道の時のような先の見えなさはない。

 何があるのかはわからない。

 ただそれでも俺としてはリリーがこちらに来た方法のように、別の道筋があるのを期待するのみだ。こうやって上の階層に来ているのだから、他の地点に繋がる道があれば、今後の探索も楽になるだろう。

(いや、なければあの調理場の死体を燃やして弔うこともできるか……)

 あってほしい、だがなければそれでいい、そんな想いを抱きながら俺は未知へと進むのだった。



 道中の扉の先はたいていが小部屋だ。たいていはデーモンがいるだけで死体以外は何もない部屋なのだが、中には長櫃がある部屋もあった。もちろん有用なものばかりでなく、年月で腐った食物や壊れた道具などが入っており、成果とはならない。

 ただ、使えそうな道具も中にはあった。それは奇妙な薬の入った瓶だ。神聖文字の書かれたラベルが貼られたものであるため、俺に有用だとは思うのだが、まだ読める字ではなかったためにどんな効果の薬なのかはわからない。そもそも薬なのかどうかすらも。武具用の油か、色のおかしくなったただの水か。

「まぁいい。それよりも……」

 扉は通路の片方に集中して存在している。もう片方はただの壁だ。扉もなにもなく、ただ石煉瓦と表面に生える苔やじめじめとした水っぽさだけが存在を主張している。

「構造から考えて恐らく広間か何かがありそうなんだが……」

 通路や角を考えると地上の神殿と同じような構造なのだ。だから何かがありそうなのだが……。どうにも気が乗らない。デーモン勘ともいうべきか。このダンジョンに入ってから培ってきた奇妙な直感がこの先はまずいと言っている。

 修道女のデーモンに道が通じている、とかか? それともあの道化のデーモンがいるのか。

「だが、デーモンは全て殺すんだ。今でも後でもそれは同じだ」

 首を振り、弱気の虫を追い出す。最大限の警戒だけは忘れないように、俺はさらなる探索を進めていく。



 汚水の溜まった通路を見て眉を顰める。視線の先にいるものを見て俺は眉を顰める。

御器囓ゴキブリのデーモンか。ネズミまでいるな。ちッ、面倒な」

 給仕女や料理人のデーモンと違い、この二種に関してはギュリシアを落とすことがない。

 それでもデーモンはデーモンだ。

 俺に気づくと襲いかかってくる鼠とゴキブリ。向かってくるものは剣で切り払い、次々と殺される仲間に怖気づいたのだろう。逃げようとするものは素早く剣で切り捨てていく。

 当然こいつらが何かを落とすことはない。少しの徒労感を気力で投げ捨てる。

 む、と怪訝な声が口から漏れる。

 通路の先にゴキブリのデーモンに群がられる給仕女のデーモンが見えた。疑問には思わない。下等なデーモンたちは弱ければ同族ですら殺すこともある。

 このような状況でも俺の目的はこのダンジョンのデーモンの殲滅だ。進むしかないので進むが、同時に首筋がちりちりと疼いてくる。

 この通路を進めば進むほどに、本能に危機感が引っ掛かり、膨れ上がってくる。嫌な予感が沸々と湧き上がってくる。


 この先に・・・・いる・・


 石煉瓦で構成された幅広い通路。ここにも片側に小部屋へと繋がる扉が集中しているが、小部屋の扉は腐り落ち、汚水が侵食し、見れたものではない有様だ。

「長櫃ひとつないな……」

 腐食し、穴だらけになった金属食器。割れた食器の破片。家具か何かの破片だろう木片。そんなものを小部屋に溜まった汚水の中に見ることができる。

 倒すまでもない小さなゴキブリのデーモンがカサカサと壁際に集まっている。チチチ、と壁に開いた小さな穴から小さなネズミのデーモンがこちらを覗いていた。

「全く、どうしたもんか」

 何か道具でもあればよかったのだが期待できそうにない。休むための聖域ぐらい必要だったかもしれない。

 背後を見る。ここから地上へ戻るにはどれだけの時間がかかるだろうか。リリーの作った聖域を利用してもよかったが、俺としてはこの場に聖域を作りたい。

 肉体の確認をする。

 鎧の修練をしたために鎧を着ての戦闘に支障はないだろう。ただしその分、オーラも使ったために疲労は濃い。

「……一旦戻り、万全を期すか? いや、だが……それでいいのか・・・・・・・?」

 態勢を整える。一旦下がる。聞こえはいいが、そこにあるのは敵への怯えだ。

「だから俺は俺の武を超えることができないんじゃないのか……?」

 強大なデーモンは恐ろしい。だが俺が俺の武を超える瞬間はいつだって強大な敵に諦めずに挑んだ時じゃなかったか?

 騎士のデーモン。司祭のデーモン。そして給仕女のデーモン。

 強いデーモンと戦う時、俺はいつだって万全ではなかった。だが万全ではないからこそ死力を振り絞り勝つことができた。

「だが、これは慢心か? 俺はデーモンを舐めているのか?」

 舌打ちする。考えることは苦手だ。

 だが決断はしなければいけなかった。

 俺の感知力があがったのか、それとも相手が離れていてもわかるほどの瘴気を放っているだけか。

 この先の気配は異常である。死地であることは間違いがない。

 そこに何の準備もせず、疲労したまま突き進む。それは明らかな愚行であり、自殺行為だ。

「一度戻り、疲労を回復するか。修道女の方に向かうか。それとも一度地上に戻り、猫から聖域のスクロールを入手するか」

 それとも挑むか。

 改めて五体の確認をする。負傷はない。疲労自体もここの雑魚を散らすだけなら問題がない。ただしボス格のデーモンと戦うとなれば心もとない。俺の武才は並で、だからこそ万全を期すべきだという思考。そしてその並の武を死地に叩きこみ、さらなる段階へと進みたいという欲望。

 あの酒呑ですら勝てないデーモンが存在するのだ。デーモンを超え、自らを鍛えあげなければならない。

 だが、俺は苦笑する。

「ここは無理をする場面じゃない、な」

 俺にはジジイから教わった武しかない。武の才は並。超人的な身体能力もない。魔術も使えず奇跡も使えず、神から恩寵を与えられているわけでもない。

 そんな俺が無茶や無理を自ら重ねたところでどこかで死んで屍を晒すだけだった。

「戻ろう。が、確認だけはしなくては……」

 敵が強大であることはわかっている。今の俺で勝てるかわからない相手であることも。

 だからこそ、万全で挑んでもそこは死地になるのだ。そして万全でなければ死地を越えることは不可能である。

 そして、その万全を期す為に、一度だけでもいいからこの先のデーモンを確認しなければならなかった。

 姿カタチを確認した上で準備をしなければならない。準備もなく、不用意に攻撃し、道化師を仕留め損なったことを教訓とせよ。

 汚水の道を進む。

「しかし、ここはゴキブリとネズミが多いな……?」

 この先が下水道とつながっていたとしても、なぜ弱いデーモンをこの階層に多く配置するのか疑問だった。

 牢獄の階層でも鼠やゴキブリを見ることはあった。しかし見るとしてもかなり稀で、牢獄のゴキブリどもは給仕女が襲われるほど多くもないし、この通路ほど頻繁に見るものではない。

 ここの瘴気の濃度は濃い。濃すぎるほどに。

 十分に料理人・・・を配置できる場所なのだ。

 それが、なぜ弱いネズミとゴキブリを多く配置するのか。ダンジョンの意図がわからない。

 俺が頭を悩ませていても、先へ進めば結末は見えてくる。今まで扉のなかった側の壁に取り付けられた巨大な扉。通路は続いているが、異常はこの扉の奥から感じられる。

 この巨大な扉。人力ではどうやっても開けることは不可能に思える大きさだ。どうやって開けるのか疑問に思えば、扉の傍に巨大なレバーが設置されていた。

「これを引くのか……」

 触れる。古い鉄の感触が伝わってくる。このレバーも肉斬り包丁と同じ材質なのか、この汚水の中でも滅んでいない。

「躊躇しても仕方がない。進むぞ」

 俺はぐっとレバーを両手で握ると、全身の力を込めて引くのだった。


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