016
「すまねぇが、鍵を取ってきてくれねぇか。オイラぁ、デーモン相手に不覚をとっちまってよぉ。捕まっちまったんだぁ」
黒く妖しい闇のような瞳、赤銅色の肌、筋骨隆々とした体躯、ボサボサで伸びっぱなしの髪、腰にのみ纏う獣の皮。額に伸びる一本角。
鬼であった。牢屋の中に鬼が入っている。
鬼にも種類がある。
かつて暗黒神によって作られ、地上で巨体の魔物として君臨するオーガ、妖鬼、一角などと呼称されるモンスターとしての鬼。
もう一つが、俺の前にいる。地獄の管理神ヤマの部下である地獄の獄卒、
ヤマは地獄の管理神であるが、悪ではない。人の魂は死後の裁定により、天の国と地の獄に別れる。清く美しい魂は天に、汚く邪な魂は地の底に。
俺たち辺境人がデーモンと戦うのはこのためだ。デーモンの討滅は神の御心に叶う行いであり、死後の安寧を目指すならデーモンを多く殺す事こそが正義である。
暗黒神が攻めてくるとか、瘴気で土地が汚れるとか、辺境を含めた大陸の平和や、デーモンが人間の天敵とかいろいろと理由は多いが、基本的に辺境人がデーモンと戦う根本はこれである。
ただしく天を目指す。人として当然のあり方。
閑話休題。
地獄は瘴気沸き立つデーモンの住処とされるが、それは人の穢れた魂を浄化する上でどうしても発生してしまう瘴気である。地獄自体にデーモンを生む土壌はないし、そもそも地獄のデーモンは地上に出てこれない。地上と地獄は繋がっていないからである。
更にいえば地獄は魂の浄化機関である。地獄がなければデーモン化した人や動物の魂は浄化されず、輪廻に戻れない。
地獄があるからこそ、デーモン化し、魂の汚れきってしまった、俺が殺した神官や騎士などの魂は浄化され、再び地上へと戻ってくることができるのだ。
善悪の区別を越えて、地獄はこの世の運営に必要な機関であり、そこを司るヤマはゼウレに次ぐ徳を持つ善神である。
以上が爺から教わった管理神ヤマについての情報であった。
俺は聖印を手に持つと酒呑と名乗った鬼に向かいぶつぶつとヤマに祈りを捧げる。ここで死んだ多くの人間の安寧を祈ってのことだった。
「おめぇ、おいらを通してヤマ様に祈るなよぅ!」
「そう言うな。ヤマの神像を見たことがなくてな、良い機会だった」
くッ、と笑うとひっひと鬼も笑みを浮かべる。
「で、出してくれるのかい? さっき金髪の娘っ子に頼んだらすげなく断れてなぁ」
金髪の娘っ子、リリーのことだろうか。特徴を出して問えばそのような答えが戻ってくる。
「あいつは大陸人だからな。鬼の区別がついてないのかもしれない」
大陸ではヤマ信仰すら廃れている。かつて大陸を行脚した時もヤマは邪神扱いされていた。辺境の正しい信仰がじわじわと浸透すればなくなるのだろうかと額を抑える。
信仰は神から力を受ける手段であると同時に神に力を与える双方向の関係でもある。あまりヤマが力を失いすぎると地獄の管理に支障が出る。
俺にできることは信仰を捧げる事だけだが、魂が地獄から戻ってこれないというのはとてもまずい気がしてならない。
「おいらオーガ扱いされたのか。人間も寂しくなっちまったもんだなぁ」
あんな低級のモンスターと一緒にされるのは心外だと言わんばかりのため息である。
「まぁいい。助けてやるよ。というか、なんで地獄の獄卒がここにいるんだ? ここは地獄に似てるってだけで地獄じゃないだろう?」
死体があり、瘴気があり、デーモンが闊歩し、時間の流れが違うだけでここは地獄によく似たただの惨状だ。
酒呑はぽりぽりと頭を掻くと、情けねぇ話だがと話し始める。
「ここの底が地獄と通じちまっててよぉ。おいらぁ、ヤマ様に頼まれて穴を潰しに来たんだが、えらい強いデーモンにボコボコにされちまってなぁ」
「それは、まずいんじゃないのか?」
おう、と頷く酒呑。
「まずいしやばい。瘴気がどんどん流れ出てきて最下層が地獄と同一化を始めてる。奈落を形成し始める前においらぁそれ止めなきゃならんのよなぁ。結構前に捕まったから割と時間ない気もする? なぁ、おいらが捕まってからどんぐらい経ったかわかるか?」
知らんがな。
「んじゃ、扉壊すか。ちょっと離れてろ」
鍵を探してもよかったが、見つからない可能性を考えると壊した方が速い。幸いただの鉄格子だ。勁力をぶち込み続ければ軸が折れて扉がぶっ飛ぶはずである。
「ああ、おめぇさん、無理矢理開けるのはやめとけやめとけ」
おいらが試してねぇと思ってんのかいと言われる。
「ここまで無事に来てる辺り気付いてるのかしらねぇが、ここの構造物を物理的に破壊しようとするとそこいらの
お陰でこの有り様だぜと肩をすくめる酒呑。
言われて周囲を見る。あちこちを覆っている正体不明の肉……。
そうか、地獄の獄卒ですら避けるやばいものか。
「わかった。鍵を探してくる」
「おう、頼まぁ。たぶん、あれが持ってると思うからぶちのめしてくるのが早いぞー」
「あれ?」
「おう、あれ」
言われ、酒呑が指さした先を見る。
そこに
通路全体を埋める肉の塊が下層を移動していた。その肉ははちきれんばかりの給仕服を着ている。その肉には鼠やゴキブリがまとわり付き、常に悲鳴を上げている。あらゆる箇所から女の顔と女の腕が生えており、まるで巨大な芋虫のように移動をしている。
「なんだあれは……」
「『給仕女』のデーモン。性質は増大する悲哀。この食物庫の管理番で全ての通路と牢の鍵を持ってるデーモンさな」
はっきり言って雑魚だ、と酒呑は言う。地獄は辺境よりもやばいデーモンが闊歩する瘴気の渦だ。そこで働く酒呑からすれば暗黒神の配下なら将軍級までは雑魚と呼んでもおかしくはない。
「あーそうだそうだ。デーモンが持ってる料理、というか、このダンジョンにある食い物は絶対に口にするなよ。どんなにうまそうでもだ」
下層を移動するデーモンを松明がじりじりと照らしている。確かに女の手は様々な料理を持っていた。そういえば道中出会ったデーモンどもも料理は持っていた。流石に不気味で食う気にはならなかったが、食料がなければ手を出してしまう可能性もあっただろう。
今はその肉の正体がはっきりしているから絶対に食うことはないが、俺とて知らなければ手を出す可能性はあった。
「あれはヨモツヘグイよ。喰えば身体を瘴気に蝕まれ、地獄の住人と化す死者の食物」
だから人間のおめぇは絶対に食うなよと釘を刺され、わかったと頷く。
「了解した。例え死んでも食わん」
「おう、おめぇは見たところカルマもすくねぇ。デーモン殺してりゃ安定して天国行けるだろーさ。だからこんな馬鹿なとこで魂穢すんじゃねーぞ」
いひひと笑う酒呑に礼を言った俺は、『給仕女』を探しに探索へと戻るのだった。
泣き虫姫エリザ。その中に『給仕女』の物語はきちんとある。
孤児出身で、不器用で、何をしても失敗してばかりのその女。
他の給仕女たちのいじめを受けたり、神殿の偉い人に怒られたり、街の人々からいじめられたり、泣いてばかりの給仕女。
泣いてばかりの彼女とエリザは出会う。王国から神殿へと移され泣いてばかりのエリザはそんな泣いてばかりの給仕女を哀れに思い、友として遇する。そういう話である。
俺はめそめそ泣いてばかりのその女があまり好きではないのだが、何度も聞かされた話なのでしっかりと覚えている。
増大する悲哀。酒呑から言われたその性質は確かに給仕女にぴったりの性質だった。
なんでも悪く捉え、自分が悪いと絶望し、ただただ泣いてばかりの女。
エリザと出会い、変わっていく彼女……。
「それと鼠か……。物語通りなら厄介だな」
給仕女のデーモンの周りに纏わりつく鼠のデーモンはその話に出てくるデーモンだろうと思われる。
給仕女にはとある特技があった。めそめそ泣いているばかりだった彼女はその特技を使い、エリザの危機を救う。
給仕女に助けられたエリザは皆の前で彼女の功績をたたえ、給仕女は自信を持って神殿で生きていけるようになる。物語はそのように終わる。
給仕女の特技。
鍵を集め、目的の階まで降りた俺の前にそいつはいる。
給仕服を着、鼠のデーモンを纏わりつかせている
大量の頭がそれぞれ泣き言を垂れ流しながら泣きわめいている。
「アアア……」「オクレテシマウ……」「オコラレチャウ……」「シクシク……」「シクシクシク……」
きぃいいいいいいいいい、と纏わりつく鼠たちが奇声を上げる。
給仕女の持つ特技は『操獣』。彼女は生来、小鳥や鼠の声を聞き、彼らを操ることができたのだった。
そして、おそらくは給仕女を取り込み生まれたこのデーモンも……。
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