015


 通路は狭い。狭いが、剣やメイスを扱うには十分な幅だ。槍や斧槍などの長物だと厳しい幅に見える。

 もちろん長物の扱いに長けている俺たち辺境人はこのような狭い通路であろうと、槍や斧槍を用い戦い抜ける。狭ければ狭いなりに使いようはある。むしろ狭い方が強い。そういう戦い方も可能だ。

 が、それはあくまで人間を相手にする場合に限る。変幻自在の姿形をしているデーモン相手ならばやはり要所要所で場所にあった武具を装備する必要がある。

「ニク……血……ニンゲンンンン……」

 俺の進む先に現れたデーモンは全身から腐った体液を垂れ流している料理人の姿をしたデーモンだ。防具は身につけていないが、腐汁で汚れた前掛けが哀れを誘う。

 手にもった肉斬り包丁は巨大だ。半身を隠すほどの長さであり、大型の家畜でも捌けそうな刀身をしている。血と錆に塗れており、デーモンの好む残虐な目的に使われていたのだろうと推測できた。

「が、相手が悪かったな」

 武才は並とはいえ俺は辺境人で、なにより盾を持っていた。

 武器持ちの相手と戦う上で盾の有無は大きい。だらだらと口の端から腐った汁を垂れ流しているデーモンは俺へと肉斬り包丁を振り下ろしてくる。

 でかいが、それだけである。速度は速いが、動きは稚拙。風切り音が鳴る程度に脅威ではあるが、当たらなければ意味はない。

 一歩踏み込む、剣の腹に静かに盾を押し当て、格子方向へと勢いを逸らす。

 きちんと場所を選べば、そっと押すような力でも力の方向を変えることが可能だ。それが人間の扱う武であり、ひ弱な人類がデーモンと戦うために洗練してきた技である。

 もちろんあの黒騎士のようなデーモン相手ならば通用しない手ではあるが、このようにただ振り下ろすような稚拙な剣撃相手なら十分以上に有効だ。

「これならメイスでも良かったかもな」

 黒鉄の剣にオーラを込め、でっぷりとした腹に刃を突きこむ。全力のオーラ攻撃だが大きくよろけるだけでその身体は消滅しない。

「もどきなら一撃だが、体力はあるのか……!」

 引き抜き、再度突きこもうとするが、デーモンは痛撃を与えたにも関わらず巨大包丁を振り下ろしてくる。

 ここが人間と違う点だ。奴らに痛覚はまともにない。ただただ人類に対する憎悪で動いている。

 まともに受ければ重傷間違いなしだが、俺には盾がある。腕に括りつけた小盾を構え、振り下ろされようとしている包丁の根本に叩きつける。未だ振り上げた最中であり、十分な速度が乗っていない。更に力がさほど乗らない根本である。ガツンと包丁を持った腕が天井方向へと跳ね上げられる。

「もっぱつ!!」

 オーラを十分に込めた剣を再度料理人デーモンへと叩き込めば、腹の大部分が肉と一緒にオーラに消し飛ばされる。

「オオ…ニク……ニクゥゥウ」

 たたらを踏み、腐汁滴る眼窩を天井へと向け、絶望しながら消滅するデーモン。

 その身体が消えた場所にはギュリシア銅貨が10枚残る。

「銅貨は残るか。もどきより格上だから助かるな」

 今のデーモンは辺境人に比べれば弱いが、脅威ではないとは言い切れなかった。盾があったから無傷で制することができたが、なければあの分厚い刃を持つ肉斬り包丁を素手で捌かなければならなかっただろう。

 ぞっとしない話だ。あの強さではここではあの料理人が主な出現デーモンだろうから、素手で相手をするならやはり一度猫のとこに戻る必要があったはずだ。

 メイスでも弾けないことはないが、神聖のついた貴重な武器をくだらないことに消耗したくはない。

「もしくはナイフという手もあったか……」

 もどきから手に入るボロボロの剣も使えたかもしれなかった。

「ま、今は盾があるから仮の話だがな」

 さて、あり得たかもしれない妄想はやめて探索を始めるとしようか。

 俺は肉色の世界を歩き始め……。

「金属のとこ歩きたいな……。肉のとこはぶよぶよするぜホント」

 とはいえ、ここがデーモンの領域である以上は足場を選んでいる余裕などない。

 うへぇ、と嫌な顔をしながら肉色の通路を歩き始めるのだった。



「牢屋……? いや、食料庫、か?」

 探索をしながら元々の構造物を考える。

 俺が最初にいた通路は小部屋や小さな通路などと接続している。長櫃などは見つからない。ただ料理人のデーモンは度々遭遇する。

 それと腐肉の載った皿をどこかへ運ぶ給仕女のデーモンだ。

 どちらも脅威というわけではない。銅貨をそれぞれ料理人が10枚、給仕女が8枚だ。

 倒しやすさでいえば、給仕女はほぼ雑魚である。なにせ穴の開いていない袋を被り、両手両足を鎖で拘束されているからである。俺を見かけてもどこか諦めた仕草でメイスの一撃を受けるぐらいだ。

「……なんだかな」

 とはいえ考察は進めないといけない。俺は建物に詳しくはないが、どこか牢屋のような印象を受けるこの建物。

「だが、牢屋じゃない……」

 現れるデーモンは料理人と給仕女。それと……。

 ちらちらと通路の端から肥大化した頭を持ち、巨大な目を大量に頭から生やした子供のデーモンが俺を見ている。

「コックの見習い、か?」

 姿形からして戦闘力のない監視役のデーモンだろうと思われる。

 罠に嵌められても困るからわざわざ追いかけようとは思わないが、あれはなんなのだろうか。

 複数いるらしく時たま下の通路で団子のように固まって俺を見上げている姿も確認できた。

「……邪眼系か?」

 邪眼とは見るだけで呪いを与える目のことだ。割と高位のデーモンが持つが、あれがそうとは思えない。全く呪いを感じないからだ。とはいえ、邪眼や魔眼の類を辺境人は怖がらない。その為の王国への従属なのだ。辺境人は呪いに関しては既に対策を取っている。神だろうがなんだろうが辺境人を呪うことはできない。

 その為のコールドQなのだから。

「どうだろうな……。ダンジョンは攻略できるようにできてるって話だから、本当にただの監視型デーモンか?」

 わからん。が、こんな低層で邪眼系のデーモンが大量に出てくるのは問題のような気もする。

 袋からナイフを取り出し、オーラを込めるとこちらをまだ覗いていた見習いデーモンに投げつける。避けられなかったらしく、さくりとナイフが刺さるとデーモンはあっという間に塵となって消えていく。

「……そして弱い」

 奴らは近づいてこないが、近づいたらまた別に何かあるのかもしれない。

 現状、なんとか脅威と呼べるのは料理人のデーモンぐらいだ。

「まぁ黒騎士がうろうろしまくってたらそれはそれで困るが、これはこれで歯ごたえがないな」

 そしてここはどこなのだろう。

 牢屋か、それとも食料庫か。

 現在地の脇にある鉄格子によって中の見える小部屋。その天井に鎖で吊るされた人間の形をした肉を見上げながら俺は首を振るのだった。



 階段や多くの通路は鉄格子の嵌まった扉で封鎖されている。とはいえ完全に封鎖されているというわけではない。料理人や給仕女のデーモンを倒すと稀に鍵を落とすし、その鍵で侵入できる部屋などにも鍵があるからだ。

 じゃらじゃらと鍵束を揺らし、俺は様々な場所を探索していく。

「ここにも鼠とゴキブリがいるのか」

 腕が腐っていたのか、床に落ちた人の肉に群がっている鼠デーモンとゴキブリデーモンがいる。俺を認識すると襲いかかってきたので、部屋の扉を閉めてから、格子越しに剣で突き刺し全滅させる。

 さすがにあれだけの数に真正面から襲い掛かられれば俺とて怪我をする。病耐性の指輪をつけているが、怪我は積極的に負いたいものではない。

「……なんだかな」

 ここが食料庫というのは、なんだか少し抵抗がある。

 牢屋に吊るされた人の肉、不衛生な料理人と給仕女、不気味な見習い、それと鼠とゴキブリ……。

 特に部屋の中に道具はない。

 ただ一応、裸だが落ちた死体を調べてみようかと近づき、手を伸ばす。


 ――流れこんでくる誰かの記憶。

 周りには調理場で怯える下働きの人々。現れた料理人のデーモンに引きずられ、噴水の扉の中へと連れて行かれる。下水で溺れそうになりながらも必死に息をする。鼠やゴキブリが全身に集ってくる。服は破られ、肉は食われ、悲鳴を上げながらこの地獄へと連れ込まれる。瘴気によって精神が壊れていく。そうして吊るされ、拷問を受けながら死――


 頭を振る。こいつは、ダンジョンが創りだした人に似た肉ではなく、人間……。

「人間……だと……」

 背筋が凍る。

 今まで見た部屋にも大量に人が吊るされていた。それが全部、人間……?

 目を瞑り、天を仰ぐ。

 一体、どれだけの人間が、デーモンによって殺されたのか。

 大神殿という巨大な建物。そこで暮らしていた人はさぞ多かったに違いない。神殿を取り囲むように街すらあったはずだ。

 だが、そこに住む人々が全てデーモンに殺されていたとしたなら、なんという絶望だろう。

「やはり、デーモン。この世の悪か……」

 俺は剣を握ると聖印を手に死体に向けて祈りを捧げる。

 願わくばこの人の魂が迷わず天へと行けるように。

 そうして改めて他の部屋の探索へと向かい。そして、出会う。

「おぅ、おぅ、なんだぁ。生きた人間とは珍しいねぇ」

 肉色の壁に背を預けながら笑う赤色の皮膚をした亜人種。

 いや、こいつは……。

「鬼、か?」

「おう! オイラぁ地獄の獄卒やってる酒呑ってもんよ。こんなところで人間に会うなんてびっくらしたぜ。がっはっは」

 鍵の掛かった牢屋の中、そいつはゲラゲラと笑っているのだった。


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