014


「リリーは下に向かわないのか?」

 翌日、レイピアを手にしたリリーと一緒に神殿内のもどきを排除しながら中庭に向かえば、彼女は建物の方へ向かうようだった。

「ああ、下水の方にはギュリシアを持ったデーモンがあまり出現しないというし、一階で多少はギュリシアを溜めておきたい」

 突発的な事態にも生身で対処できる辺境人と違って、私はひ弱だからね。と肩をすくめるリリー。

 失敬な、と思いつつ、大陸人のひ弱さは確かにデーモンと戦うには辛いだろうと納得する。もどき相手に見事な立ち回りを演じていたリリーだが、その強さは魔法の剣と神聖の付与された鎧があってのものだ。

「それと私の方で、別に下に向かう方法に心当たりがあるんでね。君から聞いた下水の情報でいくらか地下の構造にも見当がついた」

「あれ以外に道があるのか?」

 中庭の噴水を指さすとリリーは頷き、建物を指さした。

「たぶんキースにはできない方法だと思うが、私ならば可能だ」

 それは、リリーがたびたび隠している秘密の技術なのだろうと思った。聞きたいが、聞いても答えてくれないだろうし、恩人のやることだ。

 ただ、一応聞いておくべきこともある。

「それは安全な道なのか? アンタは恩人だ。その恩人が危地に赴くというなら護らせて欲しい」

 そう言うと難しい顔をしてしまうリリー。

「その申し出はありがたいが、私の技術はどうしても辺境人には見せられないのだよ。主に王国と私の安全の為に」

 どうにも辺境人が見るにはまずい技術、らしい。それだけでいくらか想像がついたが、明言しないということは詮索してほしくないということで、だがその存在を仄めかしたのは俺への信頼ということだ。

「それにここはデーモンの巣だ。安全など存在しないだろう?」

 手を広げて、周囲を示すリリーに俺は苦い顔を返すしか出来ない。

「それとだ。キース。私とて王国七位の聖騎士である。余り舐めるなよ」

 見事な動作でレイピアを一閃するリリー。その様はまさしく稀代の剣士たる威風を備えていた。

「君たち辺境人のように全ての武具を高水準に扱うことはできないが、一つの武器を研鑽し、高みに立つことはできる」

 レイピア限定ならオーラだって使えるんだぜ、だから安心したまえ、と彼女は笑い、そして去っていくのだった。

「……なんだかな」

 ポリポリと頭を掻く、俺とて別にリリーを侮っていたわけではないが、やはり内心見下している部分があったのだ。

 パン、と気付けのために頬を叩いた。

「うし、俺もやるか。どちらにせよ、だ。進めばリリーとも合流できるだろう」

 彼女の最終的な目的を俺は知らないが、どうやったって探索していけば目指す地点は重なるのだから。

 嗅覚殺しの実を奥歯で噛み潰すと、俺は病耐性の指輪をしっかりと嵌めて、下水へと向かうのだった。



 下水に変化はない。瘴気から湧いたのか、道中再発生していた鼠やゴキブリのデーモンを潰しながら進んでいく。

「さて……。あのデカブツはいるのか……?」

 道はわかっているので前回よりも早く扉の前にたどり着く。ザブザブと汚水をかき分けながら扉に身を寄せ、中を見ればそこに巨大な鼠の姿はいない。

「毒物が安定確保できると思ったんだが……。そううまい話もないか」

 黒騎士やゲルデーモンと同じく一度だけしか発生しない個体なのだろう。道中白い鼠も見なかったことだし、特殊な道具を持っているデーモンは再発生しないのかもしれない。

 それが猫のいうダンジョンの意思という奴なのだろうか?

「まぁいい。それならそれで好都合だ。さっさと進もう」

 特殊なデーモンが再発生しないということは、その分踏破は楽ということである。扉を開けると、デカブツがいなくてもとりあえず湧いていた取り巻きの鼠どもを盾を器用に使って捌きつつ、メイスで片っ端から撲殺していく。

 デーモンを殺すことは魂の試練というが、こんな雑魚、いくら潰しても成長にはならないのだろうと思われた。現に下水攻略を始めてからは身体能力が上がったという感覚はない。

 魂の階梯を上げるにはやはり相応の敵と戦わなければ駄目なのだろう。

「……さて、とりあえず聖域を作っちまうか」

 とはいえ休める場所は必要だ。瘴気の少ない密室は貴重だが、聖印も有限である以上はそんなに短い間隔で作る訳にはいかない。その点、大ネズミの部屋の分岐の一つにあったこの小部屋は中庭からだいぶ距離もあるし、下水道でそれなりに疲労していた場合に駆け込む場所としても有益だろう。

 聖印を床におき、俺でも知っている簡単な祈りの聖言を四方に刻む。その上でスクロールを聖印に重ね、聖域を発動させる。

「これでよし、と」

 瘴気の一切が去った空間で俺はようやく一息つく。ああ、猫から浄化石を買っておけばよかったかもしれないが、いや、どちらにせよ一度外に出てしまえばまた服はぐしょぐしょになるのだ。諦めて一息つくだけにする。

 とはいえ、補給も必要だろう。床に腰を下ろし、これは二度と使わないと割り切った布で手や身体のヘドロを拭うと袋から葡萄酒と食料を取り出して腹に収めておく。

「この後がな……。長丁場になるならなるべく寝ておきたいが……」

 次にどこで休息を取れるかわからないのだ。軽く寝ておいてもよかったが、いやと首を振る。

 進もう。地形で体力を消耗してはいるが、鼠とゴキブリしか相手にしていない以上、体力の消耗はそこまでではないのだ。

 そう考えた俺は少しの休息をとると、探索を再開するのだった。



「……がらっと雰囲気がかわったな」

 大ネズミの部屋の分岐路の先、このダンジョンとやらの奥へと続く鉄扉を進んだ先で俺は小さく感心の声を上げた。

 ここまで来ると地獄めぐりという言葉も的を射たものだと思うのだ。

 壁の先をメイスで突く。ぶよぶよとした肉の壁がそこにある。

「……本当に、地獄か。ここは」

 下水道までは、人間の領域だったと思う。瘴気は濃いが、結局それだけで基本は人間の構造物であった。だがこの肉色の壁はなんだろう。

 何かの腹の中に入り込んだような錯覚が俺を襲う。

 いや、そうなのかもしれない。ここは巨大なデーモンの腹の中なのかも……。

 首を振り、馬鹿な妄想を振り払う。

 肉壁に勁力を練り込んだ打撃をぶち込みたい衝動に駆られながらもそこは自重する。下手に刺激をして、まずいもの・・・・・を呼び寄せたらコトだからだ。俺はデーモンを殺す辺境の人間だが、それでも対処できない脅威というのは数多存在する。

 俺が対処できない脅威というものは、並の武しか持ち合わせのない俺だ。当然、俺より強い辺境人や、俺より強いデーモンなどごろごろいる。

 だがそうではない。

 まずいものはまずいものだ。人間である以上、神を殺せても敵わない存在は必ず存在する。まずいというのは、そういう、俺がどれだけ武を積み上げようと敵わない、そういうものだ。

 そして本当にまずいもの・・・・・に限って、人間に興味がなかったりする。だから刺激してはならない。興味を持たれてはならない。この肉色の壁も、そんなものの一部のような気がしてならなかった。

 俺はそこでようやく全体に目を向けた。

 ここは壁の多くを巨大な何かの肉で覆われた構造物だ。現在地は通路であるが、反対側が肉に覆われた壁で、その反対は隙間の多い金属製の格子である。

 格子の隙間からはこの構造物の様子が他にも見える。ロの字型の通路が幾重にも重なった構造。また、格子の外側にはぽっかりと巨大な穴が見えており、下を覗けば他の通路がそこにはあるのだろう、あちらこちらに松明の火が見えた。

 だが底は見えない。落ちれば今度こそ命はないだろう。

 この下水に続く場所はこの階層の高い・・位置にあるようだ。目的は地下深くだから問題ないのだが、地下にもぐりながら、このような高さを味わうということに変な気分になる。

「ボスは底にいるのか? ……長そうだな」

 そして、ここまで来ると流石にヒカリゴケはないが、所々に火の着いた松明が立てかけられており、視界の確保には問題がないようであった。

「で、もちろんデーモンもいると……」

 通路でいつまでも立ち止まっていたからだろう。

 通路の奥から巨大な包丁を手にし、血と瘴気で汚れた前掛けをした太ったデーモンが現れていた。

 俺は盾を構えると、黒鉄の剣を袋から取り出し、駆け出すのであった。


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