013


 その言葉を聞いた時に奇妙な吐き気を感じた。だがその正体はわからない。

 泣き虫姫エリザ。これは辺境に伝わるお伽話だ。

 とある神殿に預けられたお転婆で泣き虫なエリザがそこにいる人物と交流を重ね、成長し、王都へ戻り、国の英雄たる騎士と結ばれる話である。

 神殿編を表とし、16編。王都編を裏とし、16編。計32編からなる長編物語だ。

 辺境では字を読めない人間がいるため、本という形で伝わってはいないが、口伝として各村々に語り継がれており、また専門の吟遊詩人もいるぐらいに語り継がれてきた物語である。

 これがいつ頃伝わったか、誰が作者なのか。それは不明だが、かなり昔からあることは確かである。

 諸説では大陸と辺境が別れる前からあったとか、もしくは大陸と辺境が別れた時期に広まったとか。俺としては割とその辺りはどうでもいいと思っているが、俺の目の前で神妙な顔をしているリリーがいうところ、その成立時期ですらダンジョンが関連しているらしいのだが……。

「そもそもこの夢幻迷宮は成立からして、大断絶、つまり大陸と辺境が分かたれたことと密接に結びついている」

 リリーは一息つくと語りだす。

「そもそもが大断絶は本来ならあり得ないことだった。キース。障壁神が如何に数多の悪神の補助を受けようとも辺境という広大な地域を大陸から切り離すことは不可能だった。なぜならこの善神大神殿が辺境にはあったからだ。この神殿を通じ、数多の善神の加護を受けていた辺境地域を悪神が隔離するなど不可能だった……」

「だができた。実際ついこの間、拳聖が障壁神をぶち殺すまで大陸と辺境は隔離されていた」

 そう、とリリーは神殿を指さす。

「そうだ。だがそれは障壁神が強力だったからではない。大断絶の直前に、この善神大神殿が消失したからだ」

 おそらく悪神の謀略だろう、この数十年の調査で大陸側ではそう結論が付けられた。そうリリーは付け加える。

「その時に何があったかはまだ不明だが、こうして大神殿は奈落に通じる位置へと封じられ、中に瘴気と地獄を内包してしまっている」

「ああ。そうだな。だからお前はともかく俺はここを攻略しようとしている。だが、それで、それが泣き虫姫と何の関連があるんだ?」

「ああ、だからいたんだ・・・・

何が・・だ?」

 リリーはにやりと、まるで特別な秘密を打ち明けるかのように、自慢気に言うのだ。

「泣き虫姫エリザ。正式な名はエリザベート・チルディ・チルド9。彼女は、大断絶の直前まで、ここに」

 いた、と。


「…………は?」


「チルド9の記録はほぼ喪失しているが、大断絶のことは当時にもいろいろと大陸側で調べられていてな。コールドQになって以降も記録はしっかりと残っていた。当時のチルド9の国王夫妻、それに一番上の姉君、それと伝説に謳われるチルド9の4騎士。チルド9の大賢者マリーン、善神大神殿枢機卿アルホホース殿、彼らがエリザ姫がいた善神大神殿へと向かい、直後に大断絶が発生したと」

「…………」

 国王が不在になり、当時のチルド9はそれでずいぶんと大変だったらしい、などとリリーは言っているが、俺の頭には入ってこない。

 それ自体はすごく驚いた。御伽噺は実在のことだったのだ。その人物は本当にいて、今俺がいるところにそれがあったのだ。

 おう、驚いた。すごく驚いた。だが、それで? それがなんなんだ?

 そもそもが、それの何が問題なのかが俺にはわからなかった。

「泣き虫姫エリザが実在の人物だってことはわかった。この神殿が消えたことで大陸と辺境が隔離されたこともわかった。それで、その、何が問題なんだ?」

 不満気なリリー。自説を開陳したが思ったように俺の反応を得られなかったことが不満らしい。

「ん、お? それは自信か?」

「自信って。いや、これから神を殺しに行くんだ。自信ぐらいは持ちたいだろう」

 とはいえ並の武しか持ち合わせのない俺だ。死は覚悟しているし、成し遂げられない可能性も考えている。だがそれでも無理とは言わない。無理と言ってしまえばそこで終わるからだ。

 大丈夫だ。辺境には神殺しの前例がいるのだ。

 つまり、人間に無理という話ではないのだ。

 今至らなくとも、いずれ至ればいい。並でも命を賭ければ届くかもしれない。一縷でも望みがあるなら俺は叶えてみせる。

 沸々とまだ見ぬ戦いに戦意を燃やす俺を見て、リリーは肩をすくめる。

「そうじゃなくてだな……。うーむ、辺境人にはあんまり興味の乗らない話なのかもしれないな。いや、大陸と辺境は環境が違うから、か?」

 よくわからないだけなのだが、リリーは諦めたように手を広げると、わかった、この話は終わりにしようと手を打つ。

「だがキース。よく考えておいた方がいい。既に君は『司祭様』と『門番の騎士』に会っているのだ」

 はてさて、登場人物は他に誰がいたかな、なんて仄めかしながら立ち上がったリリーは、猫と話してくると行って広場の片隅に向かっていった。

 だが、俺の意識はリリーへは向いていない。

 デーモンを思い出していたからだ。

 神官を内包したゲル状のデーモンと歯車部屋の黒騎士を。

 あれを想うと、先にも感じた吐き気がこみ上げてくる。

 ……それは、おそらく、泣き虫姫エリザが実在の話だと聞いたからだ。

 辺境人は、泣き虫姫エリザを家族に聞かされて育つ。

 俺も行商人の父母から、そして爺から聞かされて育った。聞かされすぎて空で言えるぐらい覚えているし、俺にも子供ができたら聞かせてやりたいと思っていた。

 神殿へと視線を向ける。

 物語はありありと思い描ける。

「そうか……。ここが泣き虫姫エリザの……」

 俺は……そうか……殺したのか……。

 『司祭様』と『門番の騎士』

 司祭様、彼は神殿でエリザ姫を教え、諭し、導く父親のような存在だ。

 空で言えるぐらいに爺から聞かされたエリザの物語。自然、辺境人は司祭様に父親のような愛情を抱く。

 俺は父を失っているが、彼を通して、父親とはどういうものかを俺は知ることができた。あんな父親がいればいいなと思ったことは一度や二度ではない。

「……それに、あの黒騎士」

 『門番の騎士』。16編のひとつ『泣き虫姫エリザと門の騎士』に出てくる騎士だ。彼は神殿の外へ出ようとするエリザを毎回止める役として出てくる。彼をなんとか説き伏せるためにエリザはあの手この手を使って外に出る。ようやく出たエリザは道に迷い森でデーモンに襲われるが、外に出たエリザに気付いた騎士が駆けつけてきて、エリザをデーモンの魔の手から助けるのだ。

 エリザを守るために一生懸命な彼は名前こそ存在しないものの、辺境の男の友人である。

「そうか……デーモン化してたのか……」

 4000年。いや、神殿の中の時は地上とは違う。だがデーモンとなっていたのか……。

 騎士の武技はデーモンとなり理性を失っても凄まじいものだった。

 神官殿の信仰と理性はデーモンとなっても生前を残していた。

「……そうか。この吐き気は……」

 彼らを殺したことが、まるで、よく見知った隣人を殺したようなものだからか……。

 後悔はない。

 デーモンとは滅ぼさなければならないものだ。そして、人がデーモン化したならば必ず殺してやらなければならない。

 瘴気に汚染された魂は、解き放ってやらなければならない。でなければ永遠に世界と人類を呪いながら彼らの魂は煉獄に焼かれ続ける。

 辺境人の、いや、人間の常識だ。

 だがと、口中に溢れる苦味を俺は飲み下す。

「そうか……デーモン化、してたのか……」

 それは……辛いなぁ。

 爺に聞かされた物語の人たちが、地獄で悪鬼となっている。

 その事実に俺は、心の内に湧き上がるどうしようもない苦味と吐き気を抑えることができなかった。


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