003


 目を覚まし、葡萄酒を少し含む。寝てる間に失った水分を補給するためだ。

 辺境人にとって酒は水と一緒だ。酒精の薄い葡萄酒程度なら一樽飲んだって酔うことはない。

「にゃにゃ。おはようさんだにゃ」

 猫がいるので粥を出させる。その間に剣を持ち、遺跡前の空き地で素振りを行う。剣以外にも拳術の型もひと通り。

 ついでに気になって遺跡の中をちょっと覗くと、そこには昨日倒したはずのデーモンもどきがいた。いるかもしれないと予想していたので特に驚くことなく剣で突き、斬り、打ち倒す。

 銅貨と剣を手に戻る。今まで使っていた剣は床に投げ捨てた。昨日酷使したせいか、そろそろ壊れそうだったからだ。今のもどきが落としたものを使っていこう。

 ぺしぺしと地面を叩いている猫の前には粥の入った椀があった。銅貨を払い、手にとってずるずる啜る。

「今日は昨日の倍は倒せるだろう。一週間かからずに帰れそうだな」

「それは良かったにゃ」

「戻った後でまたここに来たいんだが、何か便利な方法はないか?」

 縄梯子でも穴から降ろすか? だがそれだとデーモンが登ってきてしまう可能性もあるし、やはり落下か?

 だがそれだと次に来れるかわからないのだ。穴から落ちる方法は一度でも失敗すれば死ぬから。

 いや……そこまで武を磨けばいいということなのか?

「うにゃにゃ。じゃあ、これを500ギュリシアで売ってあげるにゃ」

 そんな俺の考えを笑うように猫がぺいと魔法のスクロールを虚空から取り出した。

「転移の魔法が込めてあるにゃ。使えばこの場所に来ることができるにゃ」

「こんなものがあるのか。しかし使うってどうやって? 俺は魔力使えないぞ」

「使う時は破ればいいにゃ」

 へぇと手を伸ばせば猫は虚空にスクロールをしまってしまった。

「欲しかったら金を出すにゃ」

 へいへいと肩を竦め、俺は立ち上がる。空になった椀は地面に置いた。

「せいぜい稼いでくるとするよ」

 合計で1500か。まぁもどきは弱いし、なんとかなりそうだと思うのだった。



「多いな……」

 回廊や途中の小部屋を探索し終わり、俺はその場所を見た。

 巨大な部屋だ。奥には頭や腕の欠けた、神を模したであろう巨大な神像がいくつもある。生憎と俺はゼウレ以外は知らないが、恐らく善神の類だと思われた。

 俺はそんな神像のある大広間を見る。巨大な柱が等間隔に並ぶ中、回廊のもどきとは違う体型のもどきたちがぽつぽつと見える。

 汚れたボロ布を纏い、短刀を両手に持った痩身のもどきたちだ。俺に気づいてはいないため、ただぼーっと突っ立っているように見えるが、どうにも警戒心が湧く。

 数は8体。同時に相手をするのはきつい数だ。

(とはいえ、もどきごときに苦戦するなど辺境の男の恥だ)

 剣を抜く。ついでに袋の中から道中手に入れた剣を取り出す。双剣はそこまで得意ではないが、一応使うこともできる。少し振りを確認し、俺は走りだした。

 もどきどもの聴覚はそこそこで視覚はひどく鈍いことがわかっている。歩法の応用で無音のままに床を蹴る。

 相手はまだ気づいていない。気づいていない。気づかない。剣を振りかぶる。

「まず一体!」

 オーラを纏わせた右手の剣を水平に振るい、痩身のデーモンの身体を薙ぐと同時に左手の剣を交差するように振るう。

 二連一殺。蒸発するように消滅するもどき。銅貨とナイフとボロ布が地面に散らばるがそれにかまってはいられない。流石に今の攻防で気づいたのか残った七体のもどきどもが俺に殺到してくる。

 奥側の二体が投擲のフォームを作り、風を斬るようにして手の中のナイフを投げてくる。それを左右の剣で叩き落とし、向かってきたもどきの身体を剣で薙いだ。

 残心で隙のできた俺に泥人形もどきどもが殺到する。

「転身:柳」

 歩法の応用。振るったまま身体を戦闘の流れに沿わせる。相手の技量はそれほど高くない。攻撃の数々は見切っている。

 見切った攻撃の間隙に身体を潜り込ませる。俺の身体のあった場所を大量のナイフが振るわれる。攻撃をかわされ体勢の崩れるもどき達。

「しッ」

 仕留めることではなく、傷を与えることを主眼に両手の剣を振るう。一撃。二撃。反撃してきたもどきの攻撃をゆるやかに避けてもう二撃。

 あとは作業だった。

 踊りのステップを踏むように痩身のもどきを次々と倒し、最後に残った一体の攻撃を避け、両手の剣を速やかに叩き込んだ。

「終了、っと。やはりもどきはもどきか」

 8体もいたのだ。こいつらが多少でも武に関わっていたなら俺は死んでいただろう。だが所詮は下賤なデーモンのその下位個体だ。辺境の男に比べるべくもない。雑兵はいくら集まろうとも雑兵だ。

 痩身のデーモンもどき。奴らは銅貨をそれぞれ10枚ずつ持っていた。また落としたナイフはそこそこ質がいい。あとはボロ布だが、流石にこれを身につけたり袋に入れる気分にはなれなかった。聖なる気配は感じないし、必要ないだろう。そのまま打ち捨てておく。

「ナイフは使えないか。間合いを考えると剣の方が使いやすい」

 もちろん短刀も使えなくもないが、それなら殴った方が威力は高いだろう。

 それに双剣タイムも終わりだ。今回は敵が多かったから仕方なく使ったが、やはり片手剣の方が使いやすい。

 ナイフだが、メインの武器として使わないが、投擲に使えるかと袋に入れておくことにした。袋がいっぱいになるかと思ったらナイフは複数で1種類と認識されているようである。よかった。

 さて、改めて大広間を見渡した。回廊と同じく壁に壁画が描かれたそこはかつてここにあっただろう聖なる雰囲気の名残を感じ、寂しげな気持ちが湧いてくる。かつて信徒たちが祈りを捧げていた場だったのだろうなと感慨深くなりつつ、あまり呆けている暇もない、探索を行ってみることにする。

 燭台や飾り棚などが壁際にはあった。売れば金になりそうだが流石にここの物を売るのは神に対する不敬になるだろう。本格的に窮しているわけではなく、デーモンを倒すために必要でもないのだからそのようなことには使えない。

 神像の前にまで辿り着く。見上げれば砕かれた顔の無数の神像が立ち並んでいた。おそらくはもどきではない、もっと上級のデーモンがやったのだろう。神像を破壊することで神殿にある聖なる効果を弱めたのだ。

「くそッ、デーモンめ」

 デーモンの悪行に心を痛めつつも他に何かないか探すと部屋の隅に骨の乗った長櫃を見つけた。聖言の刻まれた度々見かける品物だ。何か役に立つものが入っていればいいのだが。

 その前に遺体を調べてみる。

 ボロボロの神官服を着た誰かの遺骨。背中を斬られたのだろう、深い傷が見えた。

 徳のある高位の神官様だろう人物がこうも無残な姿を晒していることがただ悲しく祈りを捧げる。流石に埋葬するほどの余裕は俺にもないので神官服ごと遺骨を持ち上げ、部屋の隅に綺麗に横たえ、祈りを捧げ――「あ?」


 ――何かの記憶が流れこんでくる。

 襲い掛かってくる黒い鎧の騎士たち。逃げ惑う神官たち。立ち向かうも一撃で切り倒されていく僧兵。周囲に湧き出てくるもどき・・・ども。神に祈るも祈りは届かず、魔法を扱う破壊神の眷属らしきデーモンによって神像が次々と破壊される。絶望の中、背中に巨大な衝撃。倒れこむ視界。上を見上げれば巨大な剣を構えた黒い騎士が剣を振り上げており――


 記憶は終わる。俺ではない誰かの死の記憶。いつかの滅びの風景。

「こいつは、なんだったんだ……」

 首を振る。よくわからないが考えてもわからない。恐らくデーモンや死体が関係しているのだろうと首を振り、気を取り直して長櫃に向かう。

 鍵はかかっていない。開けば中には善神に祈りを捧げるための聖印が詰まっていた。

「……1つぐらい貰っていくか」

 聖印。神に祈るための道具。辺境の人間であれば誰もが持っている道具で、子供がそれなりの年齢になると親は子に買い与えるものだ。俺も死んでしまった親から貰ったものを持っていたが爺の薬を買う時に金が足りず質屋で処分してしまっていた。

 長櫃の中の聖印。時代が違うのか、形式はゼウレのものと多少違う。ただ聖印は善神のものであるなら基本はどれを使ってもいいとされている。

 せっかくなので良さそうなものを選んで懐に入れる。

 祝福された銀でできたそれは錆びてはいるが穢れてはいない。このような穢れた神殿だ。高位のデーモンと戦う中で神の助けを借りることもあるだろう。神術が扱えるほどに俺の徳は高くないが、信仰は心の助けになる。

「デーモンは辺境の敵だ。必ず仇をとろう」

 ぎゅっと聖印を強く握り、俺は遺骨に祈りを捧げるのだった。

 その日は残りの時間ももどきを倒し、俺は猫のいる空き地に戻っていくのだった。



「瘴気渦巻くダンジョンでなら死者の記憶を見るのも別に不思議なことじゃないニャ」

 ぺしぺしと今日あった不思議なことを猫に聞いていると、そんなことを言ってくるのだった。

「このダンジョンの性質は死ニャ。今、おみゃーは……おみゃー、名前なんて言うニャ?」

「ああ、忘れてたな。ダベンポートのキースだ。よろしく」

 ダベンポート。世界最大国家である聖王国コールドQに属する辺境郡ダベンポートのことである。

「家名はないニャか?」

「俺はただの農民だぞ? そんな大層なもんはない」

 まぁどうしてもと言うならキース=ダベンポートになるだろう。ダベンポート出身のキースとなる。

「そうかニャ。ただの農夫がデーモンに対抗できるにゃんて地上は随分愉快なことになってるニャね」

「辺境じゃ男はデーモン倒せてようやく半人前だからな」

 一人前になるには聖衣が必要である。俺は持っていないからいつまでも半人前だ。

「人間怖いニャ……4000年ぐらい前はもっと弱かったはずだったけどニャ」

「で、ダンジョンの性質がなんだって?」

「えっとにゃ。このダンジョンは現在強力な瘴気に包まれてて擬似的な地獄の再現になってるニャ。だから死の属性が残り火のようにずっと残っていてニャ。生者が死体に触れれば死の記憶が流入しちゃう程度に生と死が曖昧になってるニャ」

 つまりキースは生きたまま地獄巡りをしてるニャよ、と猫は言う。

「それは、何か問題があるのか? その、死の記憶の再生とかは?」

 さー? と猫は首を傾げる。

「でも強くなれるニャよ。生命超克って奴にゃ。死の記憶を再生することでその死に打ち勝とうと肉体が対応していくニャ。臨死体験なんてなかなかできることじゃないニャ。お得だと思っておけばいいニャ」

「適当だなぁ」

「だって知らないことは知らないっていうしかないニャ」

 だけれど、と猫は言う。

「デーモン倒すのと同じだと思うから大丈夫じゃないかにゃ? 神話の時代よりデーモンとの闘争は善神が人間に与えてきた試練にゃ。デーモンを倒せば倒すほどに人間の魂は鍛え上げられていくみゃ。ゼウレの構想じゃ、英雄のきざはし万夜の絶望デーモンを打ち倒し、原初のデーモンを倒すことで人は神の階梯を上がれるにゃんて計画もあったぐらいニャ。それに、デーモンもまた死の属性。精神が強ければ死に飲み込まれることなくいられるにゃ」

 なんかいろいろ初耳な情報だった。しかし納得いく部分もある。俺も初めて野良デーモンを倒した瞬間、武の階梯が一気に上がったような覚えがあった。実戦を経て心構えが変わっただけかと思ったがそんな事情があったのか。

「そもそもキースは他に選択肢がないニャ。ここでデーモン倒さないと出られないニャ」

「……それもそうか」

 言われて納得する。心配してもしょうがないことであった。

「あと鑑定終わったニャ。このポーションは水溶エーテルとソーマにゃね」

 聖印を見つけた後に回った小部屋で見つけた謎の小瓶を鑑定してもらった結果、よくわからないが使えるものだと判明した。

 小瓶に入った緑の液体と青の液体。それぞれ水溶エーテルとソーマだと説明される。

「っていうかソーマ売れば規定額に軽く達するけどどうするニャ?」

「そもそもソーマとはなんぞや?」

「地上にはソーマがないのかにゃ?」

「水溶エーテルもわからん」

「水溶エーテルまでないにゃか?」

「あと聖印はどうなんだ? 善神のものなのかそれは?」

「善神の聖印までないニャンて、ど、どれだけの神秘が失われてるニャか? というか聖印もなしにどうやって祈ってるニャ?」

「いや、聖印はあるぞ。ただその形を俺は見たことがないから聞いてるわけで、どの神に対応してるんだそれは」

 ぽかーんとした形の猫。というかこの遺跡、いつの時代のものなんだ? 水溶エーテルはともかくソーマぐらいは俺も聞いたことがあった。伝説の霊薬の名前だ。服用したものの傷を癒やし、寿命すら延ばすと言われた神の飲み物。

 昔は作れたらしいが時の流れでその製法は失伝してしまっている。

 ええっとと猫は聖印を小さな前足で示して言う。

「その聖印は全ての神に対応してるにゃ。聖印1つであらゆる神に祈りを捧げることができるにゃ。というか、各神に対応した聖印があるってどういうことニャか? 今度見せてほしいにゃ」

「質屋に残ってたらな」

 銀でできてるから既に鋳潰されてる可能性が高いが、残ってたら買い戻すことを確約しておく。

 善神全てに祈りを捧げられる聖印か。かなり便利そうな代物のようだった。

 もちろん対応してない聖印で祈りを捧げても不敬には当たらないが、対応していた方が祈りは届きやすい。俺は聖印を手に取ると小さく祈りの言葉をつぶやいてこのような幸運に恵まれたことをゼウレに感謝を捧げた。

「で、ソーマにゃけど。傷を癒すことのできる水薬にゃ。服用すれば致命傷でもじわじわと傷が治るにゃ。緊急の時は傷にぶっかけるといいにゃ。ミィも売ってあげられるけどかなりお高いにゃ。今のキースじゃ買えないにゃ」

「これからもデーモンを相手にするならソーマは緊急用に持っておいた方がいいようだな」

「そうにゃね。あと水溶エーテルは魔力が回復できるニャ。魔法を扱うなら持っていて損はないにゃね」

 魔法は残念ながら俺には使えない。あれは学がないと扱えない技術だ。

「エーテルも売ってやれるけどどうせ買うことになるからとっとくといいにゃ。ダンジョンの奥に行くなら魔法を覚える必要があるにゃ」

「……必要あるのか?」

 あるニャと猫は頷く。

「俺はそもそも字が読めないんだが……」

「使いたいだけならスクロール売るにゃよ。あと身に付ければ1つの魔法を使えるようになる指輪とか腕輪とか。変わり種なら剣とかもあるにゃ」

 お高いけどにゃと猫はぺしぺし尻尾で地面を叩く。

「売るといくらぐらいなんだ?」

「ギュリシアなら10000ってとこにゃ。でもとっといた方がいいにゃ。買い直すと10倍額にゃ」

 今まで10分の1で物を買い取られていたことが判明する。ボッタクリなのかがよくわからない。村に訪れる行商人も似たようなものだったからだ。

「文字は覚えた方がいいにゃね。神聖文字の辞典とか欲しいにゃか?」

 お高いけどニャと猫が言う。

「まぁ、今はいい」

 今は勉強って気分ではない。とりあえず一度地上に戻ることを目標にすべきだと思うのだった。

 そもそも辞典を貰ったところでその辞典が読めないのだ。

「神聖文字と聖言は読めるようになった方がいいにゃ。ダンジョンで見つけた道具をすぐ使えるようになるニャ」

 聖言は神の奇跡を発揮するために物品に刻まれる文字だ。武器や指輪などに刻まれることが多い。神聖文字はこの遺跡で使われていた文字だ。ソーマの瓶などにも内容物を記載しているのか書かれている文字である。どちらも俺には読めない。

 猫はニャゴニャゴと1枚の布を取り出した。

「最も原始的な聖言と対応する神聖文字の書かれたハンカチにゃ。100ギュリシアで売ってやるにゃ」

 だから俺は文字わからんのだと言えば猫は、1つの文字を指して、これは火にゃとか言い出す。

「それぐらいなら教えてやるにゃ。おみゃーが文字を覚えればもっと物を買ってくれそうだしにゃ」

 これは水、これは空とぺしぺし尻尾でハンカチを叩きながら猫が言う。

「……あー、わかったわかった。それを買うよ。教えてくれ」

 この文字が地上で使えるのかわからないが、この遺跡を探索してデーモンを殺すには文字を覚えておくことは重要に思えるのだった。

 それに、これ以上文字がわからなくて地上で馬鹿にされるのはちょっと、なぁ。


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