002


 がつがつむしゃむしゃじゅるるがつがつ。どんぶり一杯分の粥をじゅるじゅると飲むようにかっ食らう。

「にゃにゃ、そんなに急いで食べると」

 猫がなにか言うが無視して啜ろうとすると胃がびっくりしたのか、ぐふッ、と血混じりの胃液がせり上がってくる。が、辺境の男はそんなこと関係ありません。葡萄酒の袋を手に、ガブガブと血と胃液混じりの粥を飲み干す。せり上がった胃液が鼻に入って痛い。ずるると鼻水をすする。逆流したのだろう粥の味がした。

「げふ、落ち着いたわ」

 ゲップが出た。もう一杯食べたいがもう金はない。猫に剣を売ってもよかったが、デーモン相手に丸腰というのは感心できない。

「で、なんでこんなところにいるんだお前」

「だからこのダンジョン、夢幻迷宮の専属管理人にゃ」

 どやっと何か言っているがなんだそれは。

「ダンジョンって何? 遺跡じゃねーのこれ?」

「ダンジョンはダンジョンにゃ。一番底に破壊神が封印されてるにゃ。封印が解けたら暴れだすにゃ」

「へー。で、ここから帰る方法知ってるお前?」

「1000ギュリシアで地上に送ってやれるにゃ」

 1000。あのデーモンを何体倒せば……? そんな俺の思考を先回りしたように猫は言う。

「167体倒せばいいにゃ。剣も落ちるだろうからそれ持ってくればもうちょっと少ないにゃ」

「ちなみにこの剣はいくらで売れるんだ?」

 にゃにゃ、ゴミみたいだから1ギュリシアでいいにゃ。と猫は言ってくる。ギュリシア。この文明の貨幣なんだろうな。

「んじゃ稼いでくるか。中にデーモンはまだいるんだろ?」

「破壊神の影響で勝手に湧くニャ。一階のは弱いけど下に行くほど強くなるから地下には行かないように気をつけるにゃ」

「あ? 上はどうなんだ?」

「上も弱いニャ。デーモンは地下に封印されてる破壊神の傍に近いほど強くなるにゃ」

 へぇ、と納得する。素手で空腹だった俺に倒せたのはそういうわけか。

「あれで弱い、ね。気をつけよう」

 葡萄酒はまだ残っていた。粥はないが、体力も回復し、さっきの負傷も練った内勁で治療は終わっている。

「さっさと狩ってくるか。一週間以内に帰らにゃならんからええと」

「一日24体ぐらい倒せばいいにゃよ。ちょっと多いけど、食料も買うだろうしそんなもんにゃ」

「なるほど。ありがとな」

 うにゃうにゃ、と毛づくろいを始めた猫に礼を言って、俺は遺跡内部へと入るのだった。

「時間が経つと破壊神の瘴気で倒したデーモンが湧くから気をつけるニャよー」

 あいあいと後ろ手に手を振り返した。



「一日24体って……いや、予想以上に弱かったから大丈夫だとは思うが……」

 嫁も恋人もいない俺は聖衣を持っていない。

 家庭を持っている一人前の辺境の男は時期が来ると結婚する女性や付き合っている女に1枚の白布を贈る。

 贈られた女はそれを自身の髪一房と、皿一杯の自身の血を使い、七日七晩伴侶の無事を祈りながら道着に仕立てるのだ。

 如何に強く、如何に学があり、如何に金を持っていようと聖衣を贈られていない辺境の男は一人前ではない。そういう意味でも俺は半人前だった。っつーかしゃーないねん。金なし学なし武なしの俺に嫁なんてつかないっちゅーねん。

 さらに言えばデーモンに対する最強の防具はオリハルコンの盾でもアダマンの全身鎧でもなく、愛の概念を纏った聖衣である。

 女の男に向ける愛が深ければ深いほど、聖衣は強い力を発揮する。かつて辺境の英雄ヘリクリオスが纏った聖衣は上級魔族の魔法ですら防いだという。

 愛の概念で身を守るというのはそういうことなのだ。

「……まぁ、なるようになるだろう」

 先ほどは空腹かつ武器もないせいで不覚を取ったが俺だって辺境の男だ。下級のデーモンぐらい無傷で仕留められなければ武技を教わった爺に顔向けができん。

 内勁を練りつつ、崩れた大扉の隅に開いた穴から警戒して遺跡内部に入れば、そこは確かに古代の遺跡だった。

 いつのものだとか、どこのものだとか、誰のものだとかわからない。しかし柱の一本一本に精緻な装飾が成され、かつて繁栄した某かの文明の名残が見える。

「っても俺文字読めないから何が書いてあるかわからんのだけどな」

 たぶん神を称える言葉か何かだろう。破壊神が本当に封印されてるかわからないが、破壊神関連の神殿かもしれない。それとも破壊神を鎮めているだろうなにがしかの正義の神か。

「で、と……」

 壁に描かれた絵に感心するのもいいが、邪悪なる気配に俺はにやりと嗤って剣にオーラを通す。辺境の男なら剣にオーラを纏わせる程度、息を吸うようにできなければ落第だ。

 走りだす。一階部分のデーモンが弱いというのは確かなのだろう。そいつは俺にまだ気づいていない。走る。走り、デーモンが俺に気づくも遅い! 真正面から剣を振り下ろす。

 ぎしり、剣が軋むほどの衝撃で袈裟懸けに切り下ろした。が、相手はデーモンである。人類の敵性種族。悪なる神の眷属だ。まだ生きている!

「だが、とどめだ!」

 バックステップで後ろに飛び、袈裟懸けに斬られたにもかかわらずこちらに反撃してきたデーモンの攻撃を躱し、再度突撃して首を刎ねた。

 俺のオーラがデーモンの瘴気を削りきったのだろう。泥人形のようなデーモンが粗末な剣と6枚の銅貨を残して消滅する。

「……剣はいいか。帰るときに拾い直そう」

 なにしろこれから23体も倒さなければならないのだ。帰るときに回収すればいいだろう。

 懐に銅貨だけ入れ、俺は先に進んでいく。



 デーモンは等間隔に湧いていた。距離はそこそこ離れているが騒ぎがあれば人間なら気づくような距離である。だが相当に下級なのだろう。知性は低く、相当近づかなければ剣戟の音が響いても近づいてくることはない。

 素体と瘴気が関係しているのだろうと推測する。地上では強力な瘴気に侵された獣が変質し、デーモンと化すか、また自身が瘴気を生み出せるほどに強力なデーモンが暗黒大陸から軍勢を引き連れ渡ってくるのが常だ。

 そういったデーモンはこういう低能なデーモンと違い、知性があり、魔法を操り、知覚も高い。辺境の男ならそういったデーモンを一対一で倒せるようにならなければならない。

「瘴気が塊になって人への悪意だけで動いてる、デーモンもどきってところか?」

 こんなものデーモンとは呼べないが、名前を考えるのも面倒だ。下級のデーモンもどきをまた一体倒し、銅貨を拾う。作業的なものが抜け切らないが下級も下級ならこんなものだろう。

 遺跡は手付かずだった。爺さん辺りが探索していてもおかしくないと思っていたが。

「最後に伝えようとしたのはこのことだったのか?」

 爺さん。納屋のガラクタを拾うみたいに俺を拾って育てた爺。

 辺境の村に俺を残して行商人だった両親は死んだ。金もねぇ。学もねぇ。人脈もねぇ俺は宿を追い出され、空腹から山に入り、毒キノコに当たって死にかけていた。それを拾って世話したのが爺だった。

 その爺がつい先日死んだ。畑の世話もおっぽってつきっきりで世話してみたがやはり俺には学がねぇ。どうにもならなかった。

 その爺が最後に何かを言いかけて死んだ。口を開いても空気が通るだけだった爺の言葉を俺は聞き取ることができなかった。

 ……デーモンの巣窟。これをどうにかしろってか? わかんねぇ。わかんねぇがここはあっちゃならねぇ場所だ。辺境の男にとってデーモンは大敵。それを無尽蔵に生み出す場所など存在するだけで虫唾が走る。

「……まぁいい。クソジジイめ。やれるだけやってやるさ」

 なぜ爺さんがここを探索しなかったのかわからんが、俺は剣を握ると正面に向き直った。

 そこにはデーモンもどきが2体いる。

 一体に向かって走る。奴らはまだ気づいていない。もどきの剣を持つ手を断ち切り、オーラを纏った脚で蹴り倒す。一体を無力化。

 バックステップ。もう一体が剣を振り下ろしてきた。構わず突撃。ががっと攻め立てる。斬って斬って斬って消滅を確認。振り返る。

 蹴り倒したもどき・・・が起き上がったところだった。

 剣は持っていない。俺は今倒したデーモンの剣を蹴りあげると柄を掴んでもどきに向けて投擲する。オーラを纏わせなかったので瘴気は散らなかったが泥のような身体に突き刺さって体勢を崩した。

 そこに突っ込んで攻め立て消滅させる。

「楽勝っとな。まぁこんなもんか」

 銅貨が12枚。残り何枚か数え掛けて諦める。めんどくさい。もどきはこんなに弱いのだ。目に映った奴ら全部倒していけばいいだろう。



 遺跡の一階層では度々、物の入った長櫃を見かけた。

 もちろん机や棚、壺などもあったが、それらの中身は長期間瘴気に汚染されており、そこに収められた食料にかぎらず本や装飾品の類は触れればこちらの指が腐り落ちかねないほどに腐り果てていたのだ。

 ここの長櫃は特殊なのかもしれない。聖言か何かが彫り込まれているのか。そこそこ厚みと閉鎖性のある長櫃の中身は、驚くほどにまともな状態を保っていた。

 ただ瘴気には打ち勝っても、時間の流れには勝てなかったのか。中にあるのは大抵が朽ち果てた衣服やもう食べられなくなったパンや果物だった。

「うーん、金目のものがあればいいんだが」

 最悪、この遺跡内にも侵食しているヒカリゴケでも毟って帰るか? それともこの銅貨をちょっと余分に収集してあの猫に金目のものと交換してもらうか?

 そんなことを考えながら新しく見かけた長櫃を開ける。

 ちなみに幸いと言っていいのか一階で見かける長櫃に鍵はかかっていない。まぁかかってても長櫃は木製だ。剣で打ち壊せばいいのだが。

「お? 指輪か?」

 長櫃には朽ちた衣服と聖言の彫り込まれた指輪が入っていた。

 指輪。俺には文字が読めないが恐らく魔法の道具だと思われる。これだけ聖言を彫り込んでおいて何も効果がないなどないからな。

 聖言はデーモンに対抗する為の他、人と人との争いにも使われたりする。自身の戦闘力を底上げしたり、炎や雷から身を守る属性保護をつけたり、そういった戦闘で使えるものは戦神の聖言などが最も有名だ。

 とはいえ、呪いの品などの場合もある。軽々しく身に付けるわけにはいかない。

「効果がわからないと身につけるのが怖いな……。あの猫は鑑定とかできんのかな?」

 商人だし、神の眷属なら知識が豊富そうでできても不思議ではないが、金は取られそうだった。

「……まぁいい。とりあえず持って行こう。しかし聖言ってことはやっぱここは聖なる神の神殿なのかねぇ」

 俺って教養もないからな。壁画は見事だけれど見たことのない様式だし、文字が読めないし、誰の神殿かわからん。

 ただゼウレの物でないことは確かだった。辺境にただ一つある神殿は正義と徳の神のもので、俺はそこに訪れたことがある。だからゼウレ様式ならわかるけど他の神はぴんと来ない。

「よし、もうひと踏ん張りだ。しっかし結構歩いたが、まだまだ広い気配があるな」

 いろいろ見て回ったり警戒しながらだから距離は稼いでいないが、やはりそれなりに広い。

 ただ10匹以上もどきは倒してるのであと10匹ほど倒したら一度猫のところまで戻ることにした。

 まだ初日だしな。無理はしないで行こう。



「にゃにゃ。これはベルセルクの指輪にゃね」

「ベルセルク?」

 猫は道具の知識も豊富で鑑定ができるようだった。そしてその程度なら鑑定料を取ることもないと教えてくれた。唯一の客にはサービスにゃとかなんとか。

 で、銅貨で買った粥を啜りながらベルセルクとはなんぞやと問う。ちなみに、まだ腹の調子はそれほど良いわけではない。残念だが今日明日は粥を啜った方がいいだろう。

「戦神の眷属にゃ。その種族特性を付与した指輪ニャね。付けた者が傷を負えば負うほど力が増加するエンチャントがかけられているニャ」

「ふぅん、有用そうだな。ただデーモンから致命傷を受け続けたら流石に死ぬから奥の手としてってとこか」

 そうするといいニャと猫はペシペシと床を叩く。

「そういえば、帰り道に放置したデーモンの剣が消えていたんだが」

 倒したデーモンの剣は放置し、帰る際に回収しようと思ったら全部消えていたという話をすると、うにゃにゃとゴロゴロしている猫はああ、それはにゃと教えてくれる。

「元々デーモンの持っている剣は瘴気で作られたものだからにゃ。だから放っておくとダンジョンが吸収してしまうにゃ。これは硬貨なども一緒だから気をつけるにゃ」

 身につけていれば大丈夫にゃ。と猫は尻尾をふりふりする。

「……銅貨1000枚も身につけたくないんだが。というかこれが瘴気製なのか? やばそうだな」

「特に呪いがかかってるわけでもねーので、オーラ使える戦士なら特に害はないと思うにゃ。あと持ち運びに関してはこれを貸してやるからありがたがるニャ」

 ぺしん、と猫が虚空から何かを取り出した。どうやってるんだろうかアレは。

「強欲の大袋って魔法具ニャ。硬貨なら無制限に、剣や鎧なら20種類ぐらい入るにゃ」

 貰ったので腰につける。拾った剣を入れるとするする入り、中に手を入れるとなんとなく何が入っているかわかるようだった。

「貸してやるにゃ。欲しかったら10000ギュリシアにゃ。ちなみに銅貨1枚で1ギュリシア。銀貨1枚で1ペクスト。金貨1枚で1アルヌゥだから覚えておくにゃ」

 銅貨の交換レートはとか言い出すので待った待ったと手を上げて止める。

「めんどくさいからそういうのはいい。計算は全部お前がしろ」

「自分でできた方がいいにゃよ?」

「俺はそういうめんどくさいのが嫌いなんだよ」

 そうかにゃと言いながら猫はごろごろと寝転んでいる。計算もめんどくさくて俺が投げ出した分野だった。この猫は一応善神である商業神の眷属で契約と商業の神の誓約を持っているはずだ。不当な取引はしないだろう。

「そういえば、俺以外にここに来たことある奴はいるのか?」

 例えば、爺とか。そこまで言わずに、粥を食い終わり、ワインを飲みながら問えば猫は「おみゃーさんがこのダンジョン最初のお客様・・・にゃ」

「なんか今、含みのある言葉を言わなかったか?」

「言ってないにゃ。ミィは聞かれたことには素直に応えるニャ」

「……まぁ、いいか」

 誰も知らないならそれでいい。上に知らせようかとも思ったが知られてなかったということはこれから知られなくても何も問題はないだろう。ついでに国に知られたらダンジョン税とか取られそうだし、それは勘弁願いたかった。

 しかし、爺は探索しなかったのか。まぁあの大穴だ。俺だって腹が減ってなけりゃ穴の縁にすら立とうと思わなかったし、そんなもんだろう。

 指輪を指にはめ、ごろんと横になった。

「そろそろ寝るわ。デーモンが来たら教えてくれ」

 毛布も何もないが、辺境の男ならそれぐらい余裕である。

 わかったにゃと未だにゴロゴロしている猫を横目に俺は今日の疲れを癒やすためにぐっすりと眠るのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る