第9話 乾家当主、乾サイ。

「すまないね、大神。君をタクシー代わりにしちゃって」

 ふんわりとした大神の白い毛に包まれながら巽が言えば、小刻みに空気を漏れ出させるように大神は笑う。

「構わぬ、ちょうど退屈しておったところだ。主からの呼び出しは楽しいことがある前兆。しかも行く場所は珍しい場所ゆえに楽しくてたまらぬ」

 大神の一蹴りは高い山を軽く飛び越えて、あっという間に目的地である乾本家のある山にやってきた。上空で様子を見るようにとどまった大神に巽は、地上からまるでここに降りろと言っているような光の瞬きを指さし、あの場所に周りにいる連中には気付かれないよう降りてくれと頼む。

 大神は「承知」と一言、空気に紛れ込むように山の建物の一番奥にある、庵のような場所の庭に降り立った。

「また貴方は。大神様をなんと思っておいでか」

 少々呆れ諭すように言って現れたのは紫で襟元には扇の家紋があしらわれた、菊柄の落ち着いた着物を来た老女。

 威厳に満ち、見た目と反して鋭い眼光を持っている。

「大神は大神で其れ以外のなんでもないよ。そうやって妙に敬うから連中は困るんだよ」

 大神の背から降り、大きなため息をついた巽は庵の縁側に居る老女の隣に腰をおろした。

「全く、何年経とうと貴方は変わりませんね」

「いい加減諦めてください。僕は僕なので」

 にこやかに言う巽に大きなため息を浴びせた老女は、巽に庵の中に入るように言う。

 巽は大神に小さくなるように言って、共に庵の中に入って障子を閉めた。

 瞬間、ちりっとした電気のような物が部屋全体を包み込む。

「相変わらずだね。飯綱たちを連れてこなくてよかったよ、連れてきていたら今の一瞬で彼らは存在そのものが無くなってしまっていた。こちらの了承なく結界を張るんだものね、本家は怖いよ」

「こうなると、わかっていたから連れて来なかったのでしょう。実際何かがあったわけではないのだから、何か問題がありますか? それより用件をお言いなさい」

 取り付く島もない風に言う乾家当主、巽の祖母サイに巽は口の端に少し笑みを浮かべた。

「用件は、分かっていらっしゃるでしょう? 封印を解いてもらいに来ました」

「解く必要があるとは私には思えません」

「其れを決めるのはサイお祖母様ではないでしょう」

「二人きりとはいえ、節度はわきまえなさい。私はここでは当主です」

「……そうでした、すみません。千里の眼を持つ当主殿もすでに承知のはずだと思いますが、ソウマをソウマとして救うには必要なことです」

「乾に、飲まれた者は不必要です」

 瞳を閉じ、淡々とそういう当主に巽はやれやれといった風にため息を付く。

「幾ら節度をと言っても、そんなところまで当主という仮面をかぶらなくてもいいでしょう。孫を心配するのは人間として当然のことでしょうに」

「心配? 私は心配などしておりません」

「当主殿がそんなだからシンヤ伯父さんがあんなになって、さらにそんな二人だからソウマがあんなになってしまったのですよ? 全く、伝わっただろうでは駄目なのです。ただでさえ、ソウマは素直で真面目、そして面倒な性格なのに。貴女方がそんなことだから更にややこしくなってしまうのです。ソウマがこうなってしまった原因の一つは貴女と伯父さんのせいでもある。素直に心配しろとはもう言いませんが、せめてちゃんとソウマに伝えて謝罪してください。当主殿が道の術を解いてくれないのであれば、実力行使しますけどよろしいですか?」

 立ち上がり、庵を出ていこうとする巽に、瞳を深く閉じたサイは「わかりました、お行きなさい」と言って、右手の指を二本立てて空中を縦に切った。

「ありがとうございます。じゃ、大神はここにいて。あんたが来たら毛が逆立っちゃうからね」

 巽は小さく笑って庵を出て、庵から更に山奥へと分け入る。

 一方、巽がいなくなった庵では頭領のサイが大神に深く頭を下げていた。

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