第5話 巽の力

 怒鳴りこそしてないが、苛立ちを今にも爆発させてしまいそうなシンヤの眉の痙攣を見て取った飯綱は、「チェッ」と小さく舌打ちをしながら部屋を出ていく。

 ドアが閉まってからもじっと耳を澄ませて、辺りの気配をさぐるシンヤの様子を見てとりながらも巽は知らぬ顔で話題を戻した。

「で、本日は本家、御当主の名代でいらしたのですか?」

「いや、そうではない」

 少しの動揺をその瞳に現しながら、この部屋に誰としての気配もないことを確認したシンヤは咳払いを一つ、さらに深呼吸をして言葉を無理やりに吐き出した。

「巽はソウマを覚えているか?」

 どんな重大なことを言われるのかと雰囲気で覚悟をしていた巽だったが、シンヤの初めの一言が少々以外で返事をするよりも先に首を縦に軽く落す。

「それは、もちろん。伯父さんの息子で僕より一つ年上で非常に近しい関係でしたから。まぁ、覚えているのはそれだけが理由ではないですけどね。覚えたくなくても覚えてしまうようなあれやこれや、やられましたからね。忘れようと思っても無理です。伯父さんの教育の賜物というか、僕とは正反対にすごく真面目ですからね」

「そ、そうか。そうだな……、うむ」

 巽の言葉に何やら歯切れ悪くシンヤは黙りこくってしまった。

 しばらくの沈黙の後、シンヤはちらりとドアの方へ視線を向けて「はぁ」と小さくため息をついた。

 ドアの外で、一度は我慢したものの好奇心の方が恐怖心よりも勝ってしまった飯綱が、中の様子を何とか伺おうとしている気配が漂っている。

 シンヤが持ってきた内容は、中々言い出せぬうえに、誰にも聞かれたくないことの様子。

「ご心配なら、結界をはりましょうか? この部屋だけ覆う様に、外界と遮断しますよ。飯綱は言った所で聞くような奴ではありませんからね」

 巽の提案に一瞬「いや」と言い掛け、断ろうとしたシンヤだったが、しばらく考え込んだのち「頼む」と言う。

 今まで一度として、伯父のシンヤが巽に「頼む」などいったことはない。「さっさとやれ」といった命令口調の偉そうな態度しか見たことのない巽は(あぁ、とんだ厄介事が舞い込んできそうだ)と覚悟を決めて、作務衣の懐から一枚の和紙と携帯用の筆を取り出した。

 シンヤは少し首をかしげてその様子を見る。

「和紙を使うのか?」

 シンヤの疑問の声に巽は「あぁ」と書こうとした手を止め微笑んだ。

「そうか、伯父さんは知らないのでしたね。最近は使い分けているのですよ。言葉を紡ぐ時と、字を紡ぐ時、時と場合にあわせて使い分けた方が効率がいいってことが分かりまして」

「効率?」

「直接では僕の術はいろんな面で少々強すぎるんです。紙という媒体を通すことでその力を柔らかくするんですよ」

「強く、なっているのか? 力が」

 笑顔で説明する巽に、顔に影を作りながら聞いてきたシンヤ。

 その様子に巽は少し困った風な笑顔を巽は向けた。

「いいえ、より安全に簡単に力を使うためにしているだけです。強くなったというわけではありませんから安心してください」

「より安全に? お前の力はそんなに危険なものなのか」

「変なことを言いますね。僕の力のその源は伯父さんもご存知でしょう?」

「それは、そうだが」

「力をうまく使うため、どちらかといえば危険に傾くことなく使うために、僕が学習したんです。己の力の使い方を。面倒なく簡単になれば其れに越したことはないでしょう?」

「あぁ、しかし……」

「強くなったわけじゃない、と言っているじゃありませんか。何をそんなに気にしているんです? 其れに僕は誰よりも自分の力を知っています。自分にあった方法を模索するのは術者として当然ではありませんか? 僕に至っては、力が力ですので自分に合う方法を見つけるのは大変でしたけど」

 不安そうなシンヤの顔に少し瞳を伏せて、シンヤにわからぬように「なるほど」と呟き、薄く微笑んで巽は紙に筆を走らせる。

「これは特別な和紙でして、拝み屋達が使う式神からヒントを得て僕の為だけに漉いてもらっている徳地和紙なんですよ」

「徳地和紙? あまり聞かぬな」

「山口県で作られている和紙です。いろいろ使ってみたけれど僕の力をしなやかに移し出し、表し、現してくれるのはこれしかなくて」

「どんな素材、どんな紙でも良いというわけではないのか?」

「ある程度は大丈夫ですよ。急場しのぎ程度であれば。でも、僕の気持ちであり、字の本質を読み取って流してくれるのはこれだけ。他は、曲解したり、均一でしなやかな動きを見せてくれなかったり、悪い時には暴走する。と、少し使い辛いんですよね。この紙以外の素材でも使えるけど使わないほうが周りには優しいんですよ」

 にっこり微笑みながら言う巽に対して、シンヤの顔は陰って行く。

 巽はそんなシンヤの様子を伺いながらも笑顔を崩そうとはせず、淡々と事を進めていった。

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