第2話 賑やかな朝
「あ~ぁ、何、イヌタツ、また何かやらかした?」
着衣を乱した男は、ドアからひょいと顔を出して 巽を小馬鹿にするように現れた少年を見つめつつ、衣服を整える。
「あのねぇ飯綱、何度も言うけど僕の名前は乾 巽。変に短くしないでくれないかなぁ」
灰色のパーカーから少し金色の髪の毛をのぞかせ、口端をニィッと引き上げる飯綱に巽が言えば、飯綱は鼻息で返事をした。
「こんな山奥でひっそりやっているからそんな爺ぃみたいなこと言うんだ。今はなんでも略して言うのが流行りなんだぜ」
「……そんな流行り聞いたこともないけど」
「だから、こんな山奥に流行がやってくるわけないだろ? イヌタツが知らねぇだけなんだよ。で、ヤガミン、コイツ何やらかしたの?」
未だに口の端を引き上げ馬鹿にした笑いを浮かべながら、飯綱はテーブルに皿を並べて 巽の朝食の準備をしている女に視線を送る。
今まで呼ばれたこともないあだ名で呼ばれた女、八俣は飯綱を睨み付けた。
「飯綱、お前が私にそのような口をきいてよいと思っておるのか? そして、主の巽殿に対する態度はなっておらぬ」
蛇の一睨み、その言葉がぴったりに八俣の視線は鋭く、それだけで脅しになる。
笑いをひきつらせながら「そんなこと言って、お前だって」そう口にしようとした飯綱は喉にその言葉を詰まらせて、八俣の睨みと言葉に自然と体が震えだした。
教育、いや、調教されているような飯綱を見つめて、うんうんと巽は頷く。
「そうそう、八俣、もっと言ってやってよ」
「よいか、いくら馬鹿で、阿呆で、鈍であっても、巽殿は我らが主人。それは残念なことではあるが、我らという存在に気づき、今もってこの非力そうな体からは考えられぬ禍々しい力で我らを従えているのは、誰であろうこの阿呆の巽殿なのだぞ」
「ちょ、ちょっと、八俣智さん。なんだか節々に嫌味というか悪口が聞こえたような気がするんだけど。き、気のせいかなぁ?」
「気のせいではありません! あ、いえ、気のせいです」
「うわ~、そういうの、なんかへこむわ~。滅しちゃおうかなぁ~」
はぁと大きなため息をつく 巽がそういうと、八俣はひくりと左の口角を痙攣させ、すっかり小さくなってしまった飯綱の傍に行き、首根っこを押さえつけながら頭を下げる。
「……巽殿は全く持って、素晴らしいお方ですので、そのようなことをおっしゃってはいけません」
「ま、どちらにしても今滅する気はないよ。八俣が居なくなったら困るのは僕だしさ」
巽の言葉に少しほっとした八俣は掌に乗るほどに小さく萎縮してしまった飯綱を巽の肩に乗せた。
「もう一つの用件は、本日、本家から人が来るという事です」
「あぁ、そういえばそうだったね。嫌なことは忘れる性質だからすっかり忘れていたよ」
「生憎私は居りませんので、誰かをと思いまして」
「それで飯綱がやって来たわけか」
「コレであれば、本家の方と接しても何も起こりますまい」
八俣にコレと言われた飯綱はふざけるなと 巽の肩で騒いだが、視線を流しちらりと赤い舌を覗かせた八俣の態度にすぐに静かになった。
「本家ねぇ。まさかヒジリが来るんじゃないよね」
「さぁ、どなたがいらっしゃるのかまではお聞きしませんでしたので」
「お祖母様ならいいんだけどねぇ。一応の理解あるし」
大きなため息を吐き、首をかしげて頭を掻く 巽を横目に八俣は準備を終え、ゆっくりと頭を下げる。
「それでは私はこれで。四日後に帰ってきます。飯綱、それまで巽殿のお世話と接客、よろしくお願いしますよ。もし、失態があればその時は、分かっています、ね?」
微笑んではいたがその目に笑みが無い、どちらかと言えば脅しの笑顔を飯綱に向けて放ち、何度も首を上下させる飯綱に満足したのか、八俣は部屋を後にした。
八俣の足音が消えたのを確認して、飯綱がほぅと息を吐き出す。
「あぁ、だからヤガミンは嫌いなんだ。アイツなんでも丸呑みしちゃうんだからなぁ」
「それにしても、小さくなったもんだね。そんなので接客なんて出来るの?」
「出来るわけないだろ! 早く元に戻せよ、じゃなかった、戻してください」
「やれやれ、手間がかかるなぁ。飯綱もそろそろ自分で回復する術を持ったらどうなの?」
飯綱を肩から掌に移しふっと息をかけて空中へと放り投げる。
飯綱は空中で一回転し着地した時には元の大きさへと戻っていた。
「それは無理だろ、俺らの一族はもともと憑く方だからな。ヤガミンや吉さん達とは違うんだ」
「それくらい知っているよ。でも、それだけじゃないだろう? 飯綱だって十分自然や祈りから力を引き出すことはできるはずなんだ。なのに、飯綱は努力してないでしょ。あぁいうのはね、もって生まれたものじゃないんだよ、本人の努力次第なんだからね」
元の大きさに戻った飯綱は巽の小言を聞き飽きたと言わんばかりに「はいはい」とその場しのぎの返事をして部屋を出ていく。 巽はやれやれとソファに腰かけ、八俣が用意してくれていったサンドイッチを頬張った。
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