巽屋騒動記

御手洗孝

第1話 ソレは山奥の一軒家。

 日本の中国地方、その山奥。

 バスも電車もないその場所に行きつくには、わずかに切り開かれた、舗装もなにもされていない凸凹な道を自家用車で向かうしかない。

 それも道幅は狭く、少しでも手元が狂えば谷底に真っ逆さま、何よりそんな場所に道があると知っている人間など限られていた。

 鬱蒼とした、手入れ等されていない山の奥深く、あたりの雰囲気には不釣り合いな、美麗な大正時代を彷彿とさせる立派な煉瓦造りの大きな洋館。

 この道はその屋敷の為にあり、その屋敷に行くにはこの道を通るしか無い。

 訪れるものも滅多に居ないその場所に住まっているのは少し自堕落な若い男と、洒落た美女。

「 巽殿、いい加減に起きてくださらないと困ります」

 不機嫌な低い声を上げてソファに寝転がる男を起こしたのは洒落た女だった。

 長い緑の黒髪に、熟した鬼灯の実のような赤い瞳、すらりと細い体は白く輝いている。

 男の肩に手を当てて何度か揺らしてみたものの、男が起きる気配はない。

 やれやれと仕方なしに女は、作務衣を着たまま頭にタオルを巻き大口を開けて眠っている男の顔に向かって水をかぶせた。

 無防備な状態に水攻めされた男は地上であるにもかかわらず溺れた様に呼吸を乱して叫び飛び起きる。

「な、なにを!」

 突然の出来事に何がどうなったのかと、とにかく濡れた顔を無意識に拭ってぼさぼさの髪を掻き上げ、当たりを見回し視界に映った女を見る。

 女はゆっくり息を吸い込んだ。

「今日は何の日か覚えておいででしょうか?」

 真っ赤な薄い唇の両端をゆっくり引き上げて、怖いほどに鋭く光った眼光を浴びせてくる女の雰囲気に、男は考え込みながらソファに正座をした。

「え、えっと。その、何かあったかな。っていうか、今日って何曜日?」

「全く、仕様の無い方ですね。本日から数日、私は毎年恒例の所用がございますゆえ、お休みをいただきますと。一か月前から毎日申し上げておりましたでしょう。思い出されましたか?」

「所用。あぁ、いつものか。うん、分かった、行ってきて良いよ」

「うん、分かったではございません。もう一つお忘れではございませんでしょうね?」

「あぁ、えぇ? 大丈夫、暫くしたら頭も動き出す。そうしたら思い出すよ」

 正座をしたまま大きく欠伸をしてそういう男に、女の冷ややかな、呆れるような瞳が注がれ男の顔が引きつった。

「何ともそれは。愁傷な事で」

「しゅ、愁傷……、って」

「ご愁傷様、という事です」

「ご、ご愁傷って。何、その嫌な言葉」

「後程と言わず、今すぐ頭を動かして差し上げます」

「うわぁ! いや、もう動いた! 動いたって言って……」

 緑の森の奥深く、人の近づかぬその場所の洋館に野太い男の叫び声が響いた。

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