第三話:ほしかったモノ

 幼い頃から、妹は両親に溺愛されていた。

 彼女が泣けば両親はいつもそばに寄り添い、彼女の大好きなアイスを食べさせて機嫌をとっていた。

 彼女が「あれが欲しい」と言えば、例えそれが他人の物であっても両親はそれを盗み妹に与えた。

 「こいつが盗んだんだ」

 二人はいつも私を悪者にした。

 妹の我儘が原因で食費が無いのに、それを私が盗ったからだと責め立てた。

 「お前はお姉ちゃんなんだから、一番に稼がないといけない」

 母はそう言うと電話を手に取り、どこかに電話を掛けた。

 数秒後、母は嬉しそうに声を出して時間と場所を決め、私の髪の毛を引っ張り風呂場へと閉じ込めた。

 「しっかり体を洗うんだよ。お客様の相手をするんだからね」

 最初は何の事か分からなかった。ただ、母の声が怖くて泣きながら体を洗った。

 そういう日だけは母のお気に入りのソープやシャンプーを使っても怒られない。それが無性に怖かった。

 体を洗い終え、風呂のドアを開けるとバスタオルが投げ込まれた。

 無言で睨む母親を前に、私は全身を綺麗に拭く。そうしないと、彼女がまた怒鳴るのだ。

 全身を拭き終えた私の手を引いて、今度は身綺麗な服を着させられる。私が前から欲しかった青のワンピースだ。

 「それが今回のご褒美だよ。ほら行くよ」

 服を着た余韻に浸っている私を強引に現実に引き戻し、私は車の後部座席に乗せられた。

 発進する車。家の窓から、妹が笑っているのが見えた。

 途中、自転車でパトロールをしている警察官のお兄さんの姿が見えた途端、母の運転が静かになった。

 「こんにちわ。ドライブですか?今日はドライブ日和の晴天ですからね」

 「ええ、そうですねお巡りさん。ほら、あんたもご挨拶なさい」

 「こんにちわお嬢さん。ドライブを楽しんでね」

 爽やかな笑顔で自転車を漕ぎ出す彼を見送った後、母はイライラしながらハンドルを叩いていた。

 窓の外をぼんやりと眺めていたら、鳥が気持ちよさそうに飛んでいた。

 鳥は自由でいいな。私もこの両腕を切り落として翼が生えたなら、どこかに遠く飛んでいけたのに。

 やがて車は町を抜け、森の中に入り、小さな家へと辿り着いた。

 「降りな」

 母は短くそう言った。私は怒鳴れたくない思いで、すぐにシートベルトを外し、車から降りた。

 「あの家だよ」

 母は車から降りる事無く、指で私が向かうべき家を指した。

 私は頷きもせず、その家に向かって歩き出し、インターホンを鳴らした。

 その様子を確認した母は車を発進させ、私を置いてきぼりにした。

 それと同時に家の主がドアを開けてくれた。

 「君が今夜のワシの相手だね?」

 初老の男性はにこやかな笑みを浮かべて私の体を抱き寄せる。

 「今夜は楽しませて貰うからね・・・・・・」

 抱き寄せた手は私の背骨をなぞり、尻を鷲掴みし、まだ成長し切ってない乳房をまさぐる。

 ああ、またか。この時間が始まる瞬間に、私の心はどす黒い何かに支配され、何も考えなくなる。

 後ろ手でドアノブを持ち、促されるまま家のドアを閉じ、鍵を掛けた。



 「欲しい」

 暗い部屋の中。私の頭に誰かが声を掛けてきた。

 「欲しい」

 床が冷たい。その冷たさで目を覚ました私に再び声が聞こえた。

 起き上がり、周囲を見渡す。質素なベッドには昨日の老人が穏やかな寝息を立てていた。

 股が痛い。昨日は無理矢理、何度も老人のを咥えたせいか、顎も痛い。

 「欲しいよぉ・・・・・・」

 声が段々と大きくなってくる。だけども、それは煩くはなかった。

 むしろ心地がいい。私も声を出せれば、欲しいと言えるのに。

 (欲しい)

 両親の愛が。

 (欲しい)

 妹へ向ける愛情が。

 (欲しい)

 あの女に与えられた全てが。

 「欲しいぃぃぃよぉぉぉ・・・・・・」

 頭の中に響いていた声は渦巻き状の黒い風となって私の口から吐き出される。

 渦巻く風の中でただひたすら「欲しい」と叫びながら、黒い風はベッドで寝ていた老人の上に覆いかぶさった。

 途端、幸せそうに夢を見ていたであろう老人は苦し気な表情をした後、「許してくれ」と声を張り上げた。

 許しを請う老人の口の中に侵入していく黒い風。質量のない声だけの存在が老人の脳を侵食していく。

 「許してくれ許してくれ許してくれ許して・・・・・・れ・・・・・・く・・・・・・ゆ・・・・・・」

 白目を向き、指や足が痙攣する老人の穴という穴から、黒い風が吹き出して渦巻き状になる。

 渦巻き状の風は私の下に集う。渦巻きの中心には大小様々な目玉と口が生え、全てが明後日の方角を見つめ、「欲しい」と口が呟く。

 「私も・・・・・・欲しい・・・・・・な」

 ずきりと痛む股間を抑え、ようやく立ち上がれた私は電話機を探す。

 老人を助ける訳ではない。だがこのままにしておくのはマズイと思ったからだ。

 ようやく見つけた電話機の受話器を取り、警察へ連絡を入れる。

 十秒ほどの長いコール。ようやく出てきたのは眠たげな声を隠しきれていない男性の声だった。

 「●●県●●●市山中の家にて初老の男性が倒れている。大至急救急車を要請してほしい」

 私の代わりに、老人の声を借りた渦巻きが受話器に向かって話す。

 向こうの男性は訝しな声を出し、近くの交番の警察官を向かわせると言って、電話を切った。

 私は受話器を握ったまま、足から崩れ落ちて冷たい床に伏した。もう立っていられるのも限界だった。

 瞼が重い。このまま寝てしまおう。どうせ誰も助けには来ないのだから。

 瞼を閉じると、意識がすぐに飛んだ。同時に、黒い靄が見える。

 霧の中からは誰かが懸命に手を振っていた。

 両親ではない。あれは、私と同じ背丈の人間。

 欲しい物を好きなだけ与えられ育てられた、私に似た誰か。。

 煌びやかな衣装を身に纏い、金銀財宝に四方を囲まれた彼女は、憎たらし気な笑みを浮かべて手を差し伸べる。

 その隣には、両親が佇んでいた。彼女を愛おしそうに見つめ、肩を抱いて彼女を守っている。

 ああ。その顔だ。その顔が私をこんな目に合わせているのだ。

 どす黒い感情に反応するように、渦巻き状の黒い風達もざわざわと泣き始める。

 瞳に写るその顔が恐怖に歪んでいくのが分かる。あの女の周りに黒い風が渦巻き、取り囲んでいく。

 最初に両親が黒い風に巻き込まれた。風は大声で喚き、泣き叫びながら二人の周りを駆け巡る。

 やがて巨大な台風になった黒い風の中で、声が途切れて聞こえてくる。泣き叫ぶ風の中から微かに「助けて」と声がした。

 「いらない・・・・・・」

 私が呟くと、風は鳴り止む。そして、台風の目だった場所には二人が重なり合い、圧縮された肉塊だけが残されていた。

 次は、あの女だ。私が何か言うまでもなく、黒い風たちは一斉に彼女に襲い掛かる。

 泣き叫び許しを請う彼女の横で、声が一つ唸った。

 「お前は、イラナイ」

 イラナイ、イラナイ、イラナイ、イラナイ、イラナイ。

 声は重なり合い、やがては台風となり、暴風と化す。

 もう何も聞こえない。助けてという声も、許してという声も。

 これは夢なのか?

 それとも妄想なのか?

 どちらでも構わない。声が出せない私の代わりに彼らが声を発してくれる。

 力がない私の代わりに彼らが事を成してくれる。

 これが例え夢幻だとしても、それだけで私は満足だ。

 眉間に込められた力が抜け、瞼が軽くなった。

 このまま寝よう。次に目が覚めた時には、また地獄の日々が待っているのだから――。



 「この家の持ち主と思われる初老の男性一名と、全裸で床に伏していた少女の解剖が終わりました」

 「まず男性ですが、全身の水、血液が全て抜かれていました。内臓もです。まるでミイラのようでした」

 「次に少女ですが、体中に叩かれた痕、火傷、切り傷も見受けられました。また少女の体内からは男性の体液も検出されています」

 「死因ですが、首に紐状の何かを巻き付けた跡がありました。絞殺とみて間違いないでしょう」

 「少女の両親とは連絡が付きませんでした」

 「彼女の妹と思われる女性を発見しましたが、とても口が聞ける精神状態ではありませんでした」

 「現在は都内の●●精神病院にて治療を受けていますが、回復は難しいとの事です」



 この事件が起こった翌月。

 ネット界隈ではある怪奇現象が起こると話題になっていた。

 「イラナイモノリストって言葉を十二時ぴったりに入れると、どこかの買い物サイトに似たページに出る」

 「そこで検索ページに自分の『イラナイ』ものを入力すると、翌日には無くなってるらしいよ」

 「ただし、イラナイものを増やしてはいけないんだって」

 「増えすぎたイラナイモノが、自分に復讐しにくるんだってさ」

 「中には、黒い竜巻みたいなのが見える人もいて、その中に小さい女の子もいるらしいよ」

 



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