第二話 不思議な孤島

 「ムカつく・・・・・・」


 誰に言うでもなく、小さく呟いた。同時に、周囲に気づかれていないか不安になって、慌てて視線を下げて足元を見続ける。


 こういう時にヘッドホンがあれば良かった。好きな音楽を聴きながらなら、心がぐんと楽になる。帰省する心配も、多少は和らげてくれるだろうに。


 早朝を選んで乗ったのが幸いし、今の新幹線はとても空いている。利用する客もまばらだ。自由席という名の通り、俺は窓際の風景がよく見える席を陣取り、コンビニで買ったサンドイッチとお茶を袋から取り出す。買ったのはカツサンドイッチ。一人暮らしを初めてからはこれをよく買って食べていた。少し値段が高いけど、これが一番おいしいのだ。


 袋から取り出し、体全体で覆うようにサンドイッチを隠しながらむさぼる。咀嚼する度にカツの旨味が口全体に広がり、えづきながらも完食した。パンで口の中が渇いたので、お茶で水分を補給する。渋い緑茶だが、悪くない。


 (あれから10年か・・・・・・)


 実家から離れて10年。昔は話題になった動画配信者として一時期は人気だった俺だが、度重なるアンチたちに悉く邪魔された。それからは彼らの目を盗んでは小説や作曲を続けていたが、なぜかすぐにバレてしまう。そうやって邪魔してきては「引退だ、死ね」と言い続けていたのに、本当に引退すれば「復帰すれば100万稼げる男」と言われた。それで復帰したら同じことの繰り返しだ。


 もうやってられない。俺の動画を楽しめない奴が多すぎる。そう言って動画投稿を完全にやめ、今は実家に戻っている最中だ。両親には既に報告しているし、何と俺の部屋まで用意されていると言っていた。なんて好待遇だ。やはり両親には俺がいないといけない。あの大喧嘩も必要な工程だったのだろう。今となっては俺が家族の大黒柱だ。働く気なんて更々ないが、親父の貯金があるから大丈夫だろう。


 (あとは何でもいう事を聞いてくれる20代の嫁さえいれば完璧だ)


 嫁さえいれば母親も安心だろう。何でも作れて、介護もしてくれて、あとは自分のお世話もしてくれれば最高の贅沢だ。どのみち親父も母親も老いて弱っているはずだから、すぐに棺桶に入る事だろう。そう考えるとワクワクしてきた。もどかしいが、今は我慢だ。我慢した分、最高の未来が俺を待っていてくれるのだから。


 (それじゃあひと眠りするか・・・・・・)


 到着予定時刻に携帯のアラームが鳴るようにセットし、帽子を深く被る。今を時めく有名人ほどではないが、俺も顔が割れている。もし見つかったら厄介なことになる。


 (待っててくれよ、俺の家族・・・・・・)


 最高の未来を想像した俺の顔は、とてもだらしない表情をしているだろう。それを直すまでもなく、俺の意識は深く落ちていった――。





 「は?どういう事?」


 実家に辿り着いた俺は怒りを露わにした。


 「言った通りだ。お前には離島で生活してもらう」


 目の前で仏頂面をした男は実の父親だ。俺が幼い頃から多忙で、家に帰ることは滅多になかった。そのせいで俺は貴重な時間を無駄にしてきているのに、この男は「それは自分の責任だろうが」と言い放った。最低の親だ。


 「母さんは?母さんに電話したら、何時でも帰ってきていいって言ってたぞ。お前の部屋もあるからって。それなのに離島ってなんだよ。ふざけるなよ。母さんを出せ」


 「いつまで母さんに甘えてるつもりだ。家を出ていく時に母さんに何を言ったか覚えているか?『くたばれクソババア』と言ったんだぞ。そんな奴を息子としては見れない。――兄さん方、よろしくお願いします」


 親父の両脇に座っていた、妙な仮面をつけたガタイのいい男二人は一度頷き、無言で立ち上がるなり俺の方へと近寄ってきた。


 「何だよお前ら!くそ!離せ!警察呼ぶぞ!」


 互いに俺の腕を持ち上げ、俺は軽く吊るされた状態になった。足をばたつかせて脱出しようと試みるが、二人の力が強すぎてうまくいかない。


 「くそ!おかーさん!助けてよ!助けて!」


 「煩くて構わんな。親父さん、やっちまってもいいかい?」


 赤い仮面を被った男が親父に問うと、親父は大きく頷いた。瞬間、後頭部に何か固いものが当たったような気がして、視界が真っ暗になった。


 「うっ!?ぐ・・・・・・」


 「ようやく大人しくなった。最初からこうしてれば良かったんだよ」


 「んだな。それじゃ親父さん。ありがとな」


 「ええ、本当にありがとうございます。これで、我が家も安泰です・・・・・・。こんな・・・・・・、・・・・・・も、・・・・・・様に・・・・・・」


 三人の会話が聞こえる。親父の言葉を最後まで聞き取る前に、俺の意識はまた闇の中に落ちた。




 足が痛い・・・・・・。それに顔も・・・・・・。凄く寒い。


 「っいた・・・・・・。ここ・・・・・・どこだよ・・・・・・」


 目が覚めると、顔全体がザリザリする。手で触ってみると、細かい砂のようなものが落ちていく。それに、後ろから波のような音も聞こえる。


 半立ちのまま、顔を後ろに向ける。見えてきたのは、暗く淀んだ空と、空の色を映した漆黒の海。幼い頃見た、夜の海とはまた違うものだ。


 「え?は・・・・・・?何だよ、ここ。島?見た事もないんだけど?つうか何で・・・・・・」


 ああ、そうだ。確か――実家に帰ったら親父に離島で暮らせと言われて、それを拒否したら変な男二人組に体持たれて・・・・・・。


 そういえば、頭を何かで叩かれたような気がする。それから記憶がない。あの二人組がここまで運んできたとしか思えないが。


 (服もビショビショだ・・・・・・。どこかで着替えないと・・・・・・て、着替えがないのか)


 実家に持って行ったキャリーケースは実家に置きっぱなしだ。あそこに携帯や着替えを詰め込んでいた。もしかしたら、一緒に流されてきているかもしれないな。探してみるか。


 「て、おいおい・・・・・・あるじゃんか・・・・・・」


 探すも何も、目の前に置かれていた。中を確認するが、特に濡れてはいないようだ。早速濡れたシャツやズボンを脱ぎ捨て、新しい服に着替える。


 「ん?こんなTシャツあったか?まあいいか」


 服を着替え終えたところで、目の前に森がある事に気づいた。全く気に留めてもなかったが、かなり奥まで広がっているようだ。


 「まあそんな事関係ないか。あとはスマホで助けを呼べばいいだけだし・・・・・・」


 これで助かる。そう思って携帯の電源ボタンを長押しする。向こうに帰れたら、あの親父を獄中に閉じ込めてやる。そして母親をこき使って、悠々自適なマイホーム生活をするんだ。


 しかし、一向に携帯には電源が入る様子がない。何度ボタンを長押ししても、四角い箱はうんともすんとも言わない。帰る前に充電はしていたのにどうして今つかないのだ。


 「ああ、くそ。このぼろ携帯が・・・・・・」


 怒って地面に投げつけた。しかし地面は柔らかい砂だ。少しめり込んだだけで、携帯自体は無事であった。


 「くそ・・・・・・歩きたくねえ。でも何とかしないと・・・・・・」


 目の前には深い森。周辺は岩と海に囲まれて、港も見えない。遠くで釣りをしている船も見当たらない。もしかしたら、ここは無人島なのか。


 親父は離島と言っていたし、間違いない。しかしここには誰も住んでいる痕跡が見当たらない。ここで待っても誰も助けに来てくれないのでは?


 「・・・・・・行くか。くそ」


 キャリーバッグをここに残して、一先ず行けるところまで進んでみよう。


 砂浜から、固い地面の境目を超えて、柔らかい草を踏んだのが足に伝わる。鬱蒼と生い茂る緑には一切の光など当たっていない。にも拘わらず、緑色がハッキリと分かる。暗闇なのに見えるというのはおかしい。


 「ま。いっか」


 深くは考えたくない。行けるところまでと思ったが、存外奥まで易々と進めそうだ。まるで最初からここを通るように加工された道であるように。


 奥へ奥へ。進むにつれて視界が狭くなっていく。それも少しずつ慣れていった。暗闇の中見えるのは、所々に掘られた傷。緑の葉に赤い文字。


 途中、こつんと足に何か当たった。恐る恐る確認すると、それはライトだった。暗いから助かったと電源を押したが、一向につかない。電池の蓋を開けたら、中からムカデやらヤスデが大量に飛び出してきた。


 「ひいッ!?」


 急いで投げ捨て、小走りでその場を逃げた。ライトに頼らなくても、自分にはこの目がある。大丈夫、俺ならいける。


 今までだって俺一人の力で解決してこれたじゃないか。誰かのせいして、逃げてきたじゃないか。それも俺の実力だ。やれるさ、必ず。


 自分を鼓舞しつつ、余裕が無くなってくる所を気合で押し切る。ここで止まってダメだ。この奥に助かる手段があるのだ、と。


 足元に気を付けて、時折聞こえる野鳥の声にびくつきながら、俺は奥へと進む。


 喉が渇く。腹が減る。更には足元までおぼつかなくなってくる。結構な距離を歩いたのだ。この先に家でも何でもあれば、一泊させて貰おう。


 「何せ、このオレだぞ?女の子の一人や二人、オフ会で絶対来るでしょう~」


 「それなのにさぁ、オフ会一人も来ないって。いやさぁ、もしかしたらいた訳じゃん?でも場所が分からなかったとか。それはないと思うけどなぁ。前の放送の時にも行ってたし、うん。絶対キテルわ」


 「何でアンチコメにいちいち反応しないといけないの?あいつらそれで楽しんでるだけじゃん。ホモ?俺が?ふざけるんじゃねえ!」


 「俺よりチャンネル登録者少ないのに、俺に甘えようとしてたんだぜ?切られて当然じゃん。逆にさぁ、俺からのコラボ断る奴多いと思うんだよね。何でだろう」


 「サムネが面白くない?自分で作った事もない癖に文句だけは言うのかよ。じゃあ自分でやってみろ。俺は忙しいんだよ!」


 (何だよ・・・・・・これ・・・・・・。何で俺が映ってんだよ・・・・・・)


 両脇から生えている草の先端がテレビになって、そこに映し出されたのはかつての自分だった。


 オフ会に来なかった者への愚痴。アンチコメに対する反応。コラボを拒否した奴への嫌がらせ・・・・・・。


 「謝罪動画?何で?俺に謝るのが普通じゃない?」


 「ゲーム実況もさぁ、攻略サイト見ながら突破すればいいじゃん。それでイージーモードでさ。これなら絶対死なないし、飽きたらやめればいいんだしさ」


 「家族への嫌がらせが原因で引退しますなら、同情してくれる人多いんじゃない?」


 やめろ。やめろ。


 「処女は100点。それ以外は80点でしょ?可愛いならやりたいけどね」


 「AV女優も俺の事好きだってさ。やっぱモテル男は辛いね」


 やめてくれ。やめてくれ。やめてくれ――。


 「もう嫌だ!やめてくれ!なんだよコレ!何でテレビがあんのに誰も住んでないんだよ!」


 もう頭が真っ白で、何も考えたくない。これを聞きたくない。耳に入れたくない。何より、自分の声を聴きたくない。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


 絞りだした声が枯れるまで叫んだ。走った。そしてまた叫んだ。


 それでも声が、後ろから一歩下がった所から断続的に聞こえてくる。それを聞きたくないから走っているのに。ずっと後ろからついてくるように。


 「何でだよ!何で奥に!いけないんだよ・・・・・・!」


 元々ない体力だからか、足がふらふらになってきた。そして、何かに足を取られてこけた。


 地面に倒れこんだ俺は急いで立ち上がろうとしたが、もう全身が疲れて動けない。腕で立つことも出来ない。這うように動こうとするが、足に力が一切入らない。


 ふと、後ろを振り向いた。そこにあったのは、先端がテレビになった草花がこちらにゆっくりと歩いてくる姿だった。そして、足にもそいつがいた。絶対に逃がさないつもりか、ツタや葉っぱが足にめり込み、テレビ部分がふくらはぎを何度も殴打していた。攻撃事態は痛くないが、めり込んだツタは徐々にふくらはぎを伝い、太ももにまでたどり着いてきた。


 「ひ!?来るな!ヤメロ!」


 テレビの中の俺は変わらない表情で動画を続けている。時におかしく、時に切れたり、自分が見ても不快に思う言葉を喋りながら、こちらに近づいてくる。


 「いやだ・・・・・・来るな・・・・・・。やめろ・・・・・・おかーさん・・・・・・助けて・・・・・・」


 太ももにまで侵食したツタが、今度は下半身を包み込んでいた。足に力が入らない。もう目の前には、テレビしか見えない。


 「来るな・・・・・・!来ないで!嫌だああああああ!」


 叫んだ瞬間、近くまで来ていた俺の顔に、テレビがめり込み――。




 「あなた・・・・・・。あの子は・・・・・・?」


 「すまない。お前の手を煩わせたくなかった。お前が買い物に出かけている時に――」


 「そう・・・・・・。でも、仕方ないわ。そうするしかなかったんだもの」


 「・・・・・・本当に済まない。いくらアレでも、君にとっては・・・・・・」


 「気にしないで下さい。お願いしたのは私だから。これでアソコの神様も喜んでくれるでしょう。島民の皆さんに感謝しないと。さ、早く夕食にしましょう。まだ私たちには優秀な娘がいるんだから」


 「――ああ。そうだな。あの島も喜んでいるだろう」

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