第186話逃走

 

 歯をむき出しにして襲い掛かる獅子郷に対し、北條は拳を掲げ戦闘態勢に入り——


「あ?」


 真正面からの殺し合いになると思っていた獅子郷は肩透かしを食らった表情をする。


「テメェッ逃げるのか⁉」

「当たり前だろうがッ戦う理由ないしな‼」


 獅子郷がビルの上から派手に降りてきたことでトラブルを予感した通行人達はさっさと退散している。

 人を巻き込むことはないが、紛れ込むことが出来ない状況は北條にとって不利。

 すぐに北條は路地裏に入り込んだ。


「おいおい、そこに入るのは悪手だろうがよ」


 狭い一本道。

 横に逃げることも出来ない場所に逃げ込んだ北條を見て獅子郷が笑みを浮かべて地面を蹴る。

 北條が十歩全力で走る距離を一歩で詰める。


「そんなの分かってるよッ」


 獅子郷の手が迫る瞬間、北條は懐からスタングレネードを取り出し、放り投げる。それは獅子郷の顔の間近で炸裂し、眩い光となって獅子郷の視界を潰した。

 狭い路地裏に逃げ込んだのはこの瞬間を望んでのこと。

 自分の思い通りになり、北條はにやりと口端を吊り上げた。


「じゃあな単細胞‼ そこで暫く休憩してろ‼」

「クソがッ調子に乗ってんじゃねぇぞ餓鬼が‼」


 地下への続く入口に逃げ込もうとする北條だが、相手がそう簡単に逃がす訳がなかった。

 ビルの壁に手を突っ込み、まるで水を掛けるかのように腕を振るう。

 それだけでアスファルトが散弾銃のように北條に襲い掛かった。


「ッ——」


 アスファルトの破片が北條の脇腹を抉る。

 体がぐらりと傾き、地下へと続く階段を転げ落ちていく。


「待ちやがれゴラァァアアアアア‼」

宿主マスター、余を使え』

「使わせて貰いまぁすッ」


 一番下に転げ落ちた時に聞こえたのは地下の壁が震えるほどの怒声。

 視界は見えずとも執念だけで追ってくるのではないかと思わせる気迫に北條はルスヴンの力を使うことを躊躇わなかった。

 転がり落ちた階段が氷で埋め尽くされ、次の瞬間、獅子郷が突っ込んで来たことで破壊された。


「な——」


 目の前で起きたことに驚愕する。

 地上から地下までの深さは20メートルはあった。そこを吸血鬼でも簡単に壊せない強度の氷で塞いだのに、意に介さず獅子郷は突っ込んできたのだ。


「あんたの体は鉄か何かよッ」

「あん? よく分かってんじゃねぇか」


 服に付いた氷を振り払う。

 その度にガチッガチッと人体を叩いて鳴るはずのない音が北條の耳に届いた。

 異能が解放されたことで人間の動体視力を超えた北條の視界に肌が変化した獅子郷が映った。


「あんたの異能って皮膚を鉄にする異能か?」

「さぁな、一体なんだと思う?」

「ッ——」


 爪の先まで鋼鉄になった獅子郷が素早く北條の懐に入る。そして、がら空きの胴体目掛けてその腕を振るった。

 泡が割れるような音が北條の口から漏れる。

 体格から想像出来ない速度、そして、体格以上の力で殴られた北條は一撃で膝をつく。


「~~~~~~ッ⁉」


 相手を吹き飛ばすのではなく、内側から崩す拳。

 異能に頼った力技ではなく、個人の技量を垣間見える一撃だった。


「(実力が、違い……すぎるッ)」


 鮮血病院にいた血濡れの男は単体で中級吸血鬼を倒せるほどの力を持っていた。

 その血濡れの男に条件を付けて勝利出来たことから北條の実力は中級吸血鬼を超えているとも言って良い。

 だが、それでも異能持ちには届かない。


「こちら獅子郷、対象を捕獲した。これから引き渡し場所へと向かう。輸送部隊を待機させておけ」


 獅子郷は最低限の連絡を取ると北條を逃がさないように襟を掴み、引き摺りながら移動を開始する。


「肩透かしだな。この程度、俺が出るまでもなかったじゃなぇか」

「ごふっ」

「おっと、手加減したんだ。死ぬんじゃねぇぞ? これからお前には色々聞かなきゃいけないんだからな」

「俺は……吸血鬼の、味方じゃ……ない」

「そんなのお前が決めることじゃない。判断するのは何時だってボスさ。覚悟しとけよ。ククッ、吸血鬼に人権はねぇ。なんせ吸血鬼だからな‼」


 会話にならない。

 敵としか思われていない。

 人間とも思われていない。

 このまま捕まれば、碌な目に遭わない。最悪死ぬかもしれない。

 それは駄目だ。ルスヴンには借りを作りっぱなしで何一つとして返せていない。


 歯を食いしばり、襟を掴んでいる獅子郷の手を掴む。

 僅かな抵抗の意思を見せた北條に獅子郷は今度こそ意思を挫くために拳を握る。

 拳を叩き込む、顔が低くなった時を狙って北條は口に溜めていた血を獅子郷の顔に吹き掛けた。


「ッテメェ、往生際が——⁉」


 獅子郷の顔に吹き掛けた血液が凍り、顔面を覆い尽くす。

 視界、呼吸を塞がれた獅子郷の動きが止まる。


「早く壊した方が良いぞ。それ、放っておいたら内側からあんたを壊しかねないからな」


 ただ顔面を氷で覆うだけではすぐに獅子郷に壊される。氷の壁を破壊された瞬間を見ていた北條は普通にひるませるだけでは駄目だと理解した。

 だから、ただ顔面を氷で覆うのではなく、眼球や鼻孔から血飛沫を侵入させて内部で凍らせ、拡大するようにした。

 そのおかげもあって、獅子郷本人は何が起こっているのかも分からずに狼狽えている。

 このチャンスは逃せない。

 痛む腹部を無視して反転。そのまま全力で獅子郷から距離を取る。

 倒そうなどとは考えない。

 先程の一撃で北條は自分と異能持ちとの実力差を痛感した。


 僅かでも戦えるという思い込みはなくなった。

 この常夜街でこれからずっと逃げ続ける。そう心に決め、北條は地下通路を走り抜けた。

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