第60話不自然な少女

 

 感触から鼻の骨を折ったことが分かる。

 相手の驚愕が分かる。

 そして、敵の殺意がこちらに向いたのが分かった。


「オラァアア!!」


 思いっきり足を振りかぶり、蹴り飛ばす。

 吸血鬼——ジャララカスは数メートル程吹き飛ばされるが、直ぐに態勢を整え、北條を睨み付けた。


「逃げるぞ!!」

「え——?」


 ジャララカスと距離を開けた隙に北條は結城を抱えて脱兎の如く走り出す。

 両腕を折られ、瀕死だった北條が身に着けている戦闘衣バトルスーツの性能以上の速度を出したことに呆気に取られる結城だったが、北條に抱えられたことで意識を回復させる。


「お前、どうやって——」

「それは後だ!!」


 その腕を治したのか。その身体能力は何なのか。

 問いただそうとする結城を無視して北條は一気に距離を引き離しにかかる。


『来るぞ。宿主マスター


 何が来るか。主語の抜けた言葉ではあるものの北條は察することが出来た。

 この状況で何が来るのか。そんなもの1つしか心当たりがない。


「(分かってるッ)」


 北條が結城を抱えたまま後ろを振り向く。

 そこには北條以上の速度で迫るジャララカスの姿があった。ルスヴンの力によって北條の身体能力は戦闘衣の補佐を受けずとも、戦闘衣の性能以上の速度を出せるようになっている。というよりもむしろ邪魔だ。

 北條の動きに戦闘衣がついていけずに阻害してしまっている。これ以上放置していれば動きについていけずに誤動作をしかねない。そう判断した北條は直ぐに戦闘衣の電源を落とす。

 戦闘衣が重くなる。電源を落としたことで人工筋肉の支えを失ったのだ。動かないモーターを自分の手で動かしているような感覚を体中で味わう。

 それでも先程よりはマシだった。

 逃げる際に拾ったAAA突撃銃の銃口を向けて引き金を引く。


 戦闘衣がなくては真面に撃つこともできない反動を持つAAA突撃銃。ルスヴンの力によって強化された肉体ならば、地面に両足でしっかりと踏ん張らずとも片手だけで衝撃を和らげられる。

 肉体だけでなく視界も強化されているため、強化されていない状態では捉えきれない動きもしっかりと捉えることが出来ていた。

 対吸血鬼用の銃弾が、寸分狂わず全弾ジャララカスへと襲い掛かる。


 それをジャララカスは片手で全て叩き落した。

 まるで虫でも払うかのように顔色一つ変えずに。改めて人間と吸血鬼との実力差を感じる。

 異能持ちがいなければ、レジスタンスはとっくのとうに壊滅している。と噂があるが、全く以てその通りだと北條は思った。

 銃撃は無意味。いや、当たれば効果はあるだろうが、それほどの技術がなければ意味がないのと同じだ。

 北條はAAA突撃銃を降ろし、結城を背中にしがみつかせると両腕を構える。


「ラァ!!」


 ジャララカスの突き出した拳を受け止め、カウンターを放つ。

 ジャララカスの拳を北條が受け止められたように、北條の拳もジャララカスに受け止められる。

 互いの両手を封じた形になったが、それで攻撃の手が緩むことはない。

 ジャララカスが蹴りを放とうとするが、動き出しを察知した北條に放たれる前に足で止められる。

 北條は掴まれていた腕を振りほどき、もう一度振りぬく。


「————イッテェ!!」


 だが、顔面を狙って振りぬかれた拳は一匹の蛇によって絡めとられていた。

 ザラザラとした紙やすりのような鱗。それが北條の拳を傷つけていた。

 蛇はジャララカスの口から出現しており、ガッチリと北條の拳を拘束している。この光景を加賀が見ていたら『大〇丸か!?』と叫んでいたに違いない。

 北條には蛇、という生き物を詳しく知らない。実物など初めて見る。光沢のある表面。グネグネとした体。

 だが、ルスヴンの言う通り、その蛇が異能によって強化されているということは直ぐに分かった。


「アッチィ!?」


 蛇の体が炎に包まれる。蛇が死んだ訳ではない。

 炎に包まれて尚、その蛇は生きていた。生物に詳しくはない北條でもこれが普通の生き物ではないと判断できる。

 拳を引こうとするが、引けない。そこに逃がさないなどという甘い意思はなかった。腕をへし折り、主の敵を殺さんとする使い魔の姿があった。

 蛇が鋭い牙で北條へと襲い掛かる。

 蛇が牙が情報識別機に喰らい付き、破壊される。地面にがらくた同然になった情報識別機が落ちた。

 蛇が一度離れ、再度北條に牙を剥こうとする。

 それに対処したのは結城だった。

 対吸血鬼用の投擲武器がジャララカスの後ろから迫り、蛇の首を斬り飛ばした。


「ナイスッ」


 拘束がなくなった北條はジャララカスの腹を蹴り飛ばし、距離を取る。そして、大きく息を吸い込んだ。

 北條の口から吐き出されたのは極寒の冷気。

 ジャックの時のような目隠しの要素も兼ねているが、今回は触れた相手を凍り付かせるレベルの冷気を放った。


「(死んで————ないよな?)」

『あぁ。だが、手傷は負わせた。この隙に離れろ』

「(そのつもりでーす!!)」


 氷霧でジャララカスの姿は見えなくなる。だが、気配だけは鋭利に感じ取ることが出来た。

 獲物に狙いを定める蛇。草木の間から蛇と目があったような感覚に陥る。

 北條は迷わず撤退を選択した。


 加賀から送られてきた経路からは既に外れていた。最初は別の道を通ろうと考えたが、北條にはどこをどう通っていけば良いのかは分からない。

 唯一の経路はジャララカスによって塞がれている。

 壁でも突き破っていけば到達できるだろうが、それでは自分の居場所を教えているようなものだ。中級の吸血鬼も周辺にいる吸血鬼も誘き寄せてしまう。

 勝てれば問題はないが——異能持ちだということはバレると不味いのだが——確実に勝てるという保証もない。


 迷路の中を走り回る。追跡されないように、二度と会わないように。

 途中で何度も下級の吸血鬼に襲われるも、蹴散らしながら進み、やがて2人は建物の中心地へと辿り着いた。

 そこは巨大な円柱がある地獄壺の中心地。

 偶然にも同時刻に加賀達がその円柱に目を向けていたのを北條達が知る由もなかった。

 意図せず中心地に辿り着いた北條は円柱に工場にあるような巨大なゲートを目にして足を止めてしまう。


「ねえ、いい加減に降ろして」

「あ、あぁ。悪い」


 結城の声で未だに抱えたままだったと気付くと北條は丁寧に結城を降ろす。

 質問攻めにされるかなと思っていた北條が身構えるが、予想とは裏腹に結城は北條に異能について尋ねることはなかった。

 気付いていない。ということはない。身体強化ならば高性能な戦闘衣を身に着けていると勘違いすることもあるかもしれない。けれど、口から極寒の冷気を吐いて異能持ちではないと言い切ることは不可能だ。

 結城がその時に息を飲んでいたことは分かっている。


「…………」


 しかし、結城は尋ねてこない。

 気になっているのだろう。ちょくちょくと視線が北條に突き刺さっている。

 だが、何を思ったのか結城は何も口にせずに円柱へと向かっていく。正確には円柱にあったゲートに。


「(えっと……ルスヴン。どう思う?)」

『ジャララカスならばまだ来とらんぞ』

「(いや、そうじゃなくてさ)」


 そうではない。聞きたいのはジャララカスがいつ来るかではなく、結城の不自然さだ。そう言いかけるとルスヴンが笑って冗談だと口にした。


『知っているさ。あの小娘の事だろう? 宿主に何かあれば余も困る。さっさと片付けてこい』


 片付けて来いというのはもしかして殺るの方じゃないよね?と言いかけて止める。

 ルスヴンは結城に苛立っていることが多い。笑っていても声色が硬い時もある。ポロっと口にしたことに本気で同意されたら面倒だ。

 取り敢えず、気になるのなら自分で聞いて解決してしまえ。という意味だと解釈し、北條は結城を追いかける。

 勿論、周囲の警戒は続ける。

 この中心地には近づいていく度に吸血鬼の襲撃は少なくなり、今はもう周囲に吸血鬼のきの文字もないが、油断はできない。


 北條が結城に追いつくと、結城は円柱をペタペタと触り、円柱に取り付けられていたゲートを調べていた。

 ゲートの横には操作盤のようなものもある。恐らくはこれでゲートの開け閉めをするのだろうが、電源が切られているのか画面は真っ黒だ。

 北條は結城の横へと並ぶ。


「あ~……結城。その、さっきの事なんだけど」


 結城の横顔を見る。

 視線は操作盤に移されており、どうやって動かしたものかとあちこち弄り返している。

 一瞬、一瞬だけ結城は視線を北條に向けると小さく声を漏らした。


「何?」


 機嫌を損ねている訳ではないが、硬い声色を発する。


「さっき、吸血鬼と戦った時のこと」

「…………異能のこと?」

「……そう」


 やはり、結城には分かっていた。北條が何を聞きたいか。

 分かっていて放置したのだ。

 色々と考えているのだろう。

 これまで北條は異能持ちではないと言ってレジスタンスに所属してきた。だが今回、異能を使って結城を助けた。

 何故、異能持ちではないと言っていたのに異能を使えたのか。何故、嘘をついたのか。何の目的があったのか。

 冷気を出したことから噂になっている氷結の異能持ちであると感づいているのかもしれない。

 だとするならば——。

 そこまで考えて北條は冷や汗を流す。

 結城は氷結の異能持ちに敵意にも似たものを持っていた。助けられたり、手柄を奪われたり。そのおかげで結城の中では氷結の異能持ちの評価は最悪とは行かずとも下に位置しているはずだ。

 今までは正体が不明であったため、訳も分からない者に怒りを向けることはなかった。なんせ——主にルスヴンのおかげで——氷結の異能持ちの容姿や性格などの特徴も分からなかったのだ。そこら辺を通る人間を捕まえて「オゥコラ。テメェがレジスタンスに張りおう取る氷結かぁ? あん?」などと聞く訳にはいかない。

 だが、今まで正体不明だった氷結の異能持ちが姿を現したのだ。それが自分のすぐ傍にいたと分かったのだ。

 1つや2つ思うことがあるのは当然だ。


 冷や汗を流し、覚悟する。

 憎まれ口を叩かれるならば受け入れよう。このことを黙って貰うためには何でもしようと土下座の準備を始める。

 何時ぞやのジャンピング土下座解禁である。


「——誰にも言わないわよ」


 しかし、アップを始めていた北條は結城の口から紡がれた言葉に唖然とする。


「はい?」

「だから、誰にも言わない。冷気を吐くことも、戦闘衣の性能以上の身体能力で戦ったことも、骨折していた両腕が一瞬で治ったことも全部言わない」


 唖然とする北條を余所に結城は捲し立てる。

 何も見ていない。そんなはずがない。しっかりと目にしていたし、違和感がある所全てを口にしているではないか。

 覚悟を決めていた北條は一瞬これは夢なのではと思ってしまう。


「えっと。良いの?」

「…………………………何処の研究所にいたかは分からないけど、私達は似たようなものでしょ」


 沈黙の後、最後に視線すら寄越さずに結城はボソリと言った。

 それを聞いて北條は結城が何か勘違いをしているのではと思った。

 恨み言や追及の嵐でも来るのかと思っていたのに、実際に来たのはこちらに同情するような言葉。

 都合が良い——が、その都合の良さ故に、実は裏ではチクってやろうとか思っているんじゃないかと疑ってしまう。

 いつもの結城ならば詰め寄る所。明らかに不自然だった。


「(なぁ、ルスヴン。結城は嘘を付いてない……よな?)」


 迷った末、北條は相棒を頼ることにする。

 あらゆることに対応できる万能型の相棒はふむ、と頷いて返事を返して来た。


『嘘はついておらんな。ただ、恐らくだが勘違いはしておるだろう』

「(勘違い。やっぱりそうだよな)」

『あぁ、同情のようなものも感じるし、同時に苛立ちも感じる。何故勘違いをされているのかは分からんぞ。気になるのならばそれは宿主が聞け。尤もこちらにとっては都合の良い勘違いだから流しておいても良いが』

「(そ、そうか……)」


 そう言いつつ、北條は再び結城の横顔を見た。

 同情。苛立ち。何故そんなものを自分に向けるのだろうか。苛立ちは分かる。異能持ちであることを黙っていたのだ。それについてのことなのかもしれない。しかし、同情というのが分からない。

 思えば結城はラクシャサと戦った後から様子がおかしかった。

 何かがあったことは確実だ。だが、ラクシャサが結城に見せた悪夢は結城にしか分からない。結城の過去は結城が口にしなければ北條には伝わらない。

 何かがあったのだ。しかし、何かは分からない。

 北條は頭を悩ますしかなかった。

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