第10話遭遇

 薄暗い部屋の中で赤羽と朝霧が作業を進める。手元が見えるだけの最低限の光を頼りに資料に目を通し、必要事項を書き込んでいく。

 北條、加賀、結城の三人が任務へと赴いてから、こうしてずっと事務作業を行っていた。


「任務の方は上手く言っているでしょうか」


 書類作業が一区切りした赤羽が小さく呟く。朝霧に問いかけたのではない。ただ、心配だったのだ。そんなものは不要だと、冷徹になれと言われたこともある。赤羽もそれは理解している。だが、せめて危険な場所へと赴いている仲間を思いやるぐらいはしても良いと考えていた。


「…………心配なの?」


 その呟きは小さく、誰に対して言ったものではないが、朝霧の耳には届いていた。

 手元の書類から目を離さずに、顔を伏せたまま朝霧は赤羽へと尋ねる。


「えぇ。必ず無事で帰ってくるという保証はどこにもありませんから」

「そうね。でも、それは日常生活においてもそうだわ」


 特に、私達は――と、淡々と、それでいて落ち着きながら朝霧が言葉を続ける。

 吸血鬼に支配される街。日常において、彼らの機嫌を損ねれば命の保証はない。喉が渇いたと言って理不尽に殺されることだってあるのだ。日々、命がけで生活している者もいる。だが、それだけではない。この街で生き抜くには吸血鬼だけに注意しておけばいいというものではない。


「はい。最近は、また密告されたようですし」


 密告――この街で生きていく手段は大きく分けて二つだ。

 一つ目は、吸血鬼に見つからないように祈り、なるべく派手な行動はしないようにひっそりと暮らすこと。この街に暮らす殆どの者がしている暮らし方だ。吸血鬼という怪物に近づきたくもない者達の集まりだ。レジスタンスの多くも身を隠すためにこういった者達の中に紛れ込んでいる。

 そして、二つ目は――吸血鬼に人を売ることで自身の身の安全を確保する生き方だ。

 どんな時代にも権力者に擦り寄る者は必ずいる。それが例え、人外でも例外ではない。そんな者達にとってレジスタンスは格好の獲物だ。

 街の至る所に手先を潜伏させ、レジスタンスの拠点、動きを察知すればいち早く吸血鬼の耳に入るようにしている。つい最近もそれで一つの拠点が吸血鬼達に襲撃されたのだ。


「ですが、地下通路に侵入してきた吸血鬼は、協力者の方々の助力もあって討伐できましたから、地下通路の情報が漏れることはなかったようです」

「そっか、それを聞いて安心したわ」


七十五年前に街を素早く移動するために作られた地下通路。その情報が

洩れなかったことに朝霧が無表情で安心したと言葉を吐く。例え、情報が漏れたとしても迷宮全てを把握するのには吸血鬼とはいえ時間はかかるだろうが、隠せるものは隠しておきたいものだ。


「本部の方は、どうやって対処するか聞いていないの?」

「申し訳ございません。顔を見せに行ったのですが……」


 苦笑いをしながら赤羽が頭を掻く。その反応を見て、朝霧も全てを理解する。

 大方門前払いでもされたのだろう。


「…………悪いわね」

「構いませんよ。私のしたことは間違っていないと今でも信じていますから」


 その言葉に、朝霧はもう一度胸の中で礼を呟く。

 本部の態度も全て自分自身のせいだと言ってもいいくらいなのだ。物資のことだって色々と苦労しているだろう。それなのに、嫌な顔一つせずに仲間の命を背負う立場にいる青年に頭が上がらない。

 借りを返すまでこの青年の命令にはどんなことだって従う。

 上級吸血鬼の討伐だろうが、足止めだろうが、同族殺しだろうがこなして見せよう。それぐらいの大きな借りがこの青年にはあるのだ。


「どうかしましたか?」


 何かを思い出すように黙り込んだ朝霧に赤羽が声を掛ける。


「いや、何でもないわよ。気にしないで。それよりも、密告者について対策を取らなきゃいけないでしょ」


 何でもないと手を振り、話を切り替える。

 いくら、地下通路の存在がバレなかったとしても密告者が目を光らせている状態では大きな動きを見せることは難しい。

 若輩達が命を懸けているのだ。ここで座って資料だけを片付けている

のでは、釣り合いが取れない。


「……確かに、そうですね。では、この資料を片付けたら情報を纏めましょう。第四区にいる密告者の数を把握しておかなければ今後の活動にも関わってきますしね」


 何か思うことがあったのか、少しだけ間を開けてから赤羽が口を開く。

 この後やることを頭の中にメモし、再び二人は止まっていた手を動かし始める。命の危険がある場所へと赴いている三人の無事を祈りながら……。






「よっこいせっと」


 大袈裟な掛け声で巨大なパイプを登る。少しでもバランスを崩せば下に真っ逆さまだが、ここ以上に足場の悪い所に足を踏み入れたことのある加賀にとってこの場所はアスファルトの地面を歩くのと変わりはしなかった。


「はてさて、どこにいるのかな――ってイテェ!?」


 いつもと同じ気軽さで、加賀が辺りを見渡そうとするが、不注意が過ぎたのか、小さな棘に指が刺さる。目を向ければ、そこにあったのはボルトが止められていないねじ穴があった。大きな穴に小さな棘が生えており、それに触れたことで手を切ったのだと判明する。


「はぁ……畜生、ちゃんとパイプを配置するのなら整備もやっとけよ」


 血が滴り落ちてパイプに落ちるのを見て加賀が溜息をつく。早く帰りたいと愚痴を零すものの、実際に任務を放棄して帰ってしまったら、上司が怖いのでやるしかない。


「(それにしても、何でこんな場所に逃げ込んだんだよ。いっそのこと拠点にでも逃げ帰れば良かったのに)」


 それができないから逃げ込んだのだろうが……と自分で文句を言っておきながら、答えを出す。

 目的地へと移動しようと頭の中で最短ルートを導き出しながら、パイプ管から飛び降りる。

 タタンッ――と靴底がパイプを叩く音が二つ響いた。


「…………」

「…………あぁ、くそ。やっぱりめんどくさいことになった」


 何時でも取り出せるように懐に入れてある拳銃を握り、後ろに向かって数発躊躇いなく引き金を引いた。

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