氷結の吸血鬼に太陽を――

大田シンヤ

第1話常夜の街


 突然だが、吸血鬼という怪物を知っているだろうか?

 ――そう。鋭い牙と爪、不死の体を持ち、狼やコウモリを従え、夜の街を飛び回り、血を好む……世界中で知らないものはいない怪物。太陽の光、ニンニクやら十字架などが弱点でと言われているが、そんなもの出す前に人間など殺されてしまうのではと戦っている今ではそう思う。


 ここは夜の工場地区。誰もいないはずの倉庫の中で破壊音が響く。中にいたのは二つの影。工場を照らす照明に照らされた少年――北條一馬は、破けそうになるほど激しく鼓動する心臓を感じながら、必死に脚を動かす。


 目の前にいる怪物へと迫っていく。

 背中を見せるな。止まるな。走れ、走れ、走れ!!

 止まってはいけない。止まれば一瞬でやられる。背中を見せるな。目を背ければやられる。気持ちで負けるな。前へ行くことだけを考えろ。

 そう心を奮い立たさなければ、自分は逃げてしまいそうになる。元より自分の体は人間だ。いくら特別な力を借りることができると言っても生身の今は一撃でも食らえば一瞬でお陀仏になる自信がある。


 もう一つの影の正体――その姿はまさに異形。何でこんな奴と戦っているんだと思っているだろうがそれは追々話すとしよう。今は意気揚々と自分に襲いかかってくるこの吸血鬼を何とかしなければいけない。


「キッシャア‼︎」


 地面を割って飛び出してきたのは、目の前とは別の個体。理性のないところを見ると恐らく下級だ。


「せいっ‼︎」


 飛び出してきた下級の怪物の頭を踏みつけそのまま頭を踏み潰す。最初のうちは靴底に殻と中身の嫌な感触がする。全身に悪寒を感じ、もう止めたいと思うが残念ながらそうはいかない。


「ルスヴン、力を貸せ」

『やれやれ、またか宿主マスター。 あんな小物相手に手こずるようではお主もまだまだよのう』


 頭の中で女性の声が響く。

 彼の周りには人はおらず、目の前の怪物が喋ったわけでもない。これは自分の体の奥に潜む、怪物たちの王が発したのだ。当然この声を聞けるものは、自分一人以外誰もおらず、存在を感知できるものはいない。彼女は俺で、俺は彼女だ。

 ————何を言っているのか分からないと思うが、要するに憑依と言うやつだ。彼女は以前、死ぬ前に人間世界を陰から脅かしていた原初の吸血鬼のようなのだ。

 それが何の因果があって、吸血鬼の力そのものを持って人間である自分に憑依したのかは分からない。というか、何で死んだのに前世の力を持ってんだとか聞いてみると「死んで別の存在などになってたまるか‼」らしい。


 体の主導権は自分にあるせいで退屈なのか、よく喧嘩しろなど体をよこせとか言ってくるがこうして戦う際には力を貸してくれる頼れる相棒でもある。


『来るぞ。宿主』

「見えてるよっ」


 鉄パイプを撒き散らしながら、腕を大きく横に振るわれる。

 不規則に落ちてくる鉄パイプ。それだけでも人間を串刺しにできるというのに、それに紛れて鞭のようにしなりながら、首を狙ってくる吸血鬼の腕。ただの人間である北條だけではそれを避ける術はない。


「――見える」


 ルスヴンの力によって細胞、骨、血管、臓器――それだけではない。肉体が吸血鬼へと置き換わる。

 一時的に原初の吸血鬼であるルスヴンの力を体に宿し、降り注ぐ鉄パイプを避け、鞭のようにしなる腕を逆に掴んで引き寄せる。


「オッッッラアアァアアァア!!」


 背負い投げのように腕を引き付け、本体を投げ飛ばす。人間に合わせて遊んでいた吸血鬼が急激な力の増強に合わせきれずに体は宙に浮く。

 遠心力が働きより強い力で振り回された吸血鬼は鉄骨を砕き、その上の屋根も吹き飛ばしていく。


「ゼィイヤァッ!!」


 気合いの入った一声と共に、北條が吸血鬼を地面へと叩き付ける。それだけに留まらず、天井にぶつけた拍子に破壊された鉄骨やスレート屋根が落ちてきて、下敷きにしてしまう。

 漂ってくる血の香りが、傷を負わせたことを証明するが、吸血鬼に取っては傷などないのと同じだ。

 だからこそ――――落ちてきた鉄骨を持ち、起き上がりかけた吸血鬼に向けて容赦なく振り落とす。


 何度も、何度も、何度も…………。

 肉が潰れる音など、鉄同士のけたたましい音で掻き消される。

 え?そんなに振り下ろさなくて良いじゃないかって?――馬鹿言わないでくれ、例え、こいつが人間の死体を処理するだけの下働きの吸血鬼だろうと頭を潰しても、心臓を潰しても死にはしない。奴らを殺せるのは自分と同居している吸血鬼だけだ。


『宿主、準備できたぞ』

「待ってました!!」


 その言葉を今か今かと待ち続けていた北條が鉄骨を投げ出し、瓦礫の山を駆け上がる。細い足場で、吸血鬼が再生しながらも暴れているせいでグラグラと揺れるが、思いっきり踏みつけることで地面に叩き付けて強制的に大人しくさせる。


 瓦礫の山を駆け上がり、瓦礫の下敷きになっていた吸血鬼の元へとショートカット。無性髭を生やしたおっさん吸血鬼の顔を確認すると早くも治りかけている体に爪を立てて掴みかかる。


「ルスヴンッ!!」

『……今夜の食事はまた一段と冴えんな。やる気が出ない』

「グチグチ言ってないで早くしてくれる!?」


 やる気が出ないとか勘弁して欲しい。気怠げそうな声を耳にして冷や汗が止まらなくなる。冴えないおっさんみたいな顔をしている吸血鬼でも今の自分の力を瞬間的に超えることはできるのだ。


『まぁ……仕方ないか。 お主が死ねば、余も死ぬからのう』


 なーんてルスヴンが抜かしているうちに北條は瓦礫を蹴り飛ばし、暴れ狂う吸血鬼を抑えている。

 姿見たことないけど声がすっごい優雅な口調だ。体の中で豪邸建てて、紅茶でも飲みながら話している人っぽい。


『ちょっとばかり、腕を借りるぞ』


 ――メキィ!!と音を立てて右腕の力が増し、吸血鬼の首に爪を突き刺す。何度やっても慣れない感覚。体のコントロールを全てルスヴンに譲るといつも起こる内側から体を操られている感覚。皮膚の下に腕があるのではないかと始めは疑ってしまったぐらいだ。


「ギゴギギィァアッギィィ!!」

「うっへぇ」


 それは吸血。本来であるならば吸血鬼達が自らの食欲を満たすために行なう行為。ルスヴンが肉体を持っていればこんなことをする必要などない。しかし、今彼女は魂だけの存在だ。北條の体を介し、吸血鬼の血も、肉も、力も全てを糧として自身を強化する。人間を食せばより強くなれるが、流石にそれは北條が反対した。

 相手の血が腕を通り、自分の中に入ってくるのを感じ、身震いする。吸血鬼達これで食事していると思うとゾッとする。まるで、全てを奪うかのように体の中に取り込むこの感覚はいつまで経っても直らない。いや、直したいとも思わない。


「コオオッオォォ――――」


 相手が力尽き、動かなくなるまで指を食い込ませて血を吸い取り続ける。瓦礫を蹴り飛ばし、地面を砕いて暴れ回っている吸血鬼はミイラのようにやせ細っていくが容赦はしない。ここで手を抜けば、死ぬのは自分だ。


「タ、タス――ケテ……」

「――――ッ」


 助けを求める声が木乃伊になりかける吸血鬼の口から零れる。声だけならば、耐えられた。しかし、瞳を見てしまった。

 そこにあったのは、死を恐れる者の目。食料となった人間がいつも死の間際にする目だ。

 吸血鬼だって人間と同じように恐怖し、死を拒む。そう考えた訳ではない。ただ、自然と頭の中に沸き上がっただけだ。


 ――――一瞬の迷い。それを逃す吸血鬼ではなかった。


『馬鹿者がッ!! 死ぬ気か!?』

「ゴアアッ!!」


 腕を振り払い、北條を押しのける。

 ただ、単純な腕の押し出し。それだけ、強化の解けていた北條は数十メートル吹き飛ばされる。

 基本スペックの圧倒的違い。ただ押し出すだけでも骨を潰され、呼吸困難に陥る一撃となる。


「――――人間ガァ!!」


 そして、先程とは違い、今度は敵意を持って吸血鬼が踏み込む。

 脚で簡単にアスファルトを踏み抜き、ダンプカーが走るように残骸を蹴散らしながら北條へと迫る。障害があるとかお構いなしに、北條一馬という人間を殺しに来ている。

 最早、北條一馬に勝ち目はなくなった。









『惰弱者め』


 故に彼女が動く。

 未だに北條の腕はルスヴンの腕。北條が躊躇しようとも彼女は容赦しなかった。


「――――!!」


 それは吸血鬼であり、魔女であり、会ってはならない存在だった。


 空気が変わる。戦場が凍り付く。

 それに回避も、防御も、策も意味はない。ただ全ての物体は静止し、機能は停止する。工場地帯の全てを凍り付かせ、当たりは白銀の世界と化した。


「…………」

『のう、宿主よ』


 命の危険を感じたと思ったら、終っていた。気付けば、目の前には季節外れの氷結した世界が広がっている。空気も冷えているのか吐き出した息は白くなっていた。


『余はお主で、お主は余————最早、一心同体の存在だ。お主が戦うというのならば、余も力を貸すのも惜しまぬ。だがな、相手の命を奪うことに躊躇いがあるのであればもう戦うな。宿主が死ねば、余の願いも叶わぬのだからな』

「…………」


 何も言えない。あの目をしている奴らを自分はいつも手を出せない。それで何度助けて貰ったか、何度仲間の命を危険に晒したか。

 幾度となく繰り返した失敗であるため、何も言えなくなる。


『はぁ……行くぞ。 もう時間稼ぎも良いだろう。 直ぐに彼奴らと合流したらどうだ?』

「あぁ……そうだな」


 自分の不甲斐なさに唇を噛みしめながら、北條は立ち上がる。レジスタンスに入ってから、助けられてばかりだ。

 直ぐに強くなれないなんて分かっている。しかし、常に足を引っ張るのは自分という自覚が彼を焦らせる。今回の殿も敵との経験値を得るために率先して彼は残ったのだ。


 凍り付いた工場に騒ぎが起き始める。どうやら異変に気付いたのだろう。直ぐにここから離れなければならない。反省は後回しにして、立ち上がる。


「帰るか……家に――」


 既に太陽が昇る時間帯、しかし、ここに太陽の光が射し込むことはない。北條もこれまで太陽の光を一度も拝んだことはない。それもそうだろう。ここは


 吸血鬼が一夜で国を滅ぼし、代わりに作り上げた街。もう二度と日が当たらなくなったこの街を、人は常夜街と呼んだ。

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