授業
窓の隙間から爽やかな風が廊下を吹き抜ける。梅雨も明けて、じめじめとした空気はどこへいったのか、からりと気持ちよく晴れた日がつづいていた。
朝の登校時間。校門から玄関口。玄関口から教室へと、生徒たちは思い思いに談笑しながら登校している。友達が話をしている輪のなかに、別の友達がひとり、ふたりと加わり、輪が大きくなっていく。次第に声も大きくなっていく。生徒たちの笑い声で、学校中が満たされる。
笑い声を聞いて、頭を悩ませるものたちがいる。先生である。
授業が始まる前。先生たちは職員室で、難しい顔をしながら集まっていた。
「困ったものですな。最近の生徒たちは」
年配の男性の先生が眉間に皺を寄せながら口をひらく。
「大人の言うことなんて、聞きやしない」
女性の先生がヒステリック気味に言う。
「寝ていたり、おしゃべりしたり、真面目に授業を受けようともしない。注意をしても返事もしない」
「うちのクラスの子なんか、塾の勉強のほうが忙しいからと言って、授業中に塾の宿題をしていましたよ」
「学校をなんだと思っているんだ」
先生たちが一斉にため息をついた。
授業がはじまる前に集まって、愚痴をこぼすのは先生たちの日課になりつつあった。生徒たちの笑い声に反発するかのように、日を追うごとに毒のこもった愚痴の量は増えていくのだった。
ある日。いつものように先生たちが集まっていた。不満をぶつけ合おうとしていたところに、若い先生が遅れてやってきた。普段はほかの先生の愚痴に耳を傾けていることが多い人なのだが、きょうはやってくるなり、興奮した様子で最初にしゃべりはじめた。
「みなさん、きょうはいいものを持ってきましたよ」
若い先生は手に持ってきたものを周りの先生に見せた。手のひらに乗るくらいの小さな四角い箱のようなもので、上だと思われる面にはいくつかのボタンがついている。
「なんですか、これは? なにかの機械のようですが」
「これがなにかの役に立つんですか?」
装置を手に取りながら、若い先生に尋ねる。
「簡単に説明すると、人間の集中力を高めてくれる装置です」
若い先生は機械のひとつを手に乗せた。
「ここについているボタンを押しますと、特殊な匂いと電波を発生します。それが、人間の嗅覚と聴覚を刺激して、好奇心を旺盛にするのです。それは機械に近いほうにより強く影響を与えます」
若い先生は一呼吸を置いた。
「それで、どうなるんです?」
装置の効果を早く知りたくて、周りの先生たちは先を促す。若い先生は咳払いをしてから、また話をはじめた。
「この機械のほうに興味を惹かれやすくなるわけですから、この機械の近くで話をしているもの、つまり我々の話に興味を持ちやすくなるというわけです。話を聞くので、自然と集中力も高まります。これで少しは授業を聞いてくれる生徒が増えればいいのですが」
「実際に使ってみないことには、この機械の効果もわかりませんな」
「試しに使ってみますか」
半信半疑であるものの、先生たちは機械を使うことにした。
言われたとおりに、各教室に入った先生たちは授業をはじめる前にボタンを押す。機械は動きはじめ、言われなければ気づかないような微かな匂いと音を発した。
生徒たちはいつもと変わらず、寝ていたり、しゃべっていたり、授業とは関係のない本をひらいていた。なんだ、いつもと変わらないじゃないか、と先生たちは心のなかで舌打ちをした。期待していた分、落胆も大きかった。暗い気持ちになった。生徒たちのほうをあまり見ないようにして、板書する。ところが、時間が経つうちに、生徒たちのおしゃべりが聞こえなくなった。ちらりと教室を見渡す。生徒たちがこちらを見ているではないか。ノートをひらき、黒板に書いてあることをメモしている。こんな光景を見るのは久しぶりだった。
チャイムが鳴って、授業の終わりを告げた。
先生たちは急いで職員室へと向かった。
「すごい効果ですよ。この装置は」
先生たちはみんな興奮していた。
「いつもは授業中起きない生徒が、きょうはずっと起きていましたよ」
「うちのクラスの子なんか、授業について質問してくれました」
「いつぶりだろうな。真面目に授業を受けてくれるなんて。久々に授業にやりがいを感じた」
「ありがとう。この装置のおかげで、悩まされなくなって助かるよ」
いつまで経っても、職員室は機械の話題で持ち切りだった。興奮が冷めぬまま、日は暮れていく。
放課後の教室。
女子生徒たちが数人集まっておしゃべりしていた。
「きょうの先生たち、様子がおかしかったよね?」
「それ、わたしも思った。いつもより、ハキハキしゃべってたよね? やる気に満ちてたっていうのかな」
「普段は眠そうな顔してたり、仏頂面で授業してるのにね。真面目に授業してるの、久しぶりだよね」
女子生徒たちが一斉に笑う。
廊下を風が通り抜けた。笑い声をさらっていった。
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