アクアマリンのペンダント
暖かい空気が肌に纏わりつく春の宵。春の陽気は人々を浮つかせる。新しい環境、新しい仕事、新しい出会い。そんなものと相まって人々は落ち着きを失くすのかもしれない。
早い時間から、駅前の繁華街は賑わっていた。その一画のはずれにある居酒屋の路地裏では、すでに酔いつぶれた男が膨らんだごみ袋に寄りかかって鼾をかいていた。男はサラリーマンだった。仕事の取引がうまくいかず、上司からは嫌味を言われ、同僚たちから笑われた。面白くなくて自棄酒を飲んでいたのだ。
男が目を覚ますと夜も更けていた。朧な目で腕時計を見る。
「もうこんな時間だ。早く帰らなくては」
手をついて立ち上がろうとする。手のひらに違和感があった。手をついたところに何か落ちていたらしい。
「なんだろう」
男は落ちていたものを手に取った。透き通った海のような水色の玉。アクアマリンのペンダントだった。男はしばらくアクアマリンの輝きに見とれていたが、我に返って急いで家路についた。ペンダントを鞄に入れて。
次の日。
男は仕事だった。いつものように営業に回る。しかし、仕事の調子はいつもと違った。行く先々で契約を取ることができた。
会社に戻ると上司に褒められた。同僚も男のことを称えた。男は幸福になった。
幸福な気分で家に帰ると、娘がリビングでテレビを見ていた。気が大きくなっていた男は娘に何かプレゼントしてやろうと考えた。そして、鞄のなかにきのう拾ったペンダントがあることを思い出した。
「これをおまえにやろう」
「なにこれ。とてもきれい」
娘はペンダントを手に取り、光に透かした。透き通った海のような水色で視界がいっぱいになる。
「ありがとう。お父さん」
娘は喜んだ。男も娘の様子を見て満足した。
次の日。
娘は友達と遊びに出かけた。ペンダントを身に着けて。
遊びに出かけた友達のなかに、娘が気になっているボーイフレンドがいた。
日が暮れるまで遊び、解散する直前。娘はボーイフレンドを呼び出して、ふたりきりになった。娘は恥ずかしがりながらも、胸の内の想いを告白した。ボーイフレンドのほうも娘に気があったらしく、娘の想いを受け止めた。ふたりは付き合うことになった。娘は幸福になった。
帰り道。娘は友達と歩いていた。有頂天になっていた娘は、幸せを分けてあげようと思い、友達にペンダントをプレゼントした。
「すてきなものを、ありがとう」
友達はペンダントを手に取った。透き通った海のような水色に少しだけ曇りがあった。それでも、見事な輝きを放っている。
友達は娘に感謝した。娘も友達の喜ぶ様子に満足した。
次の日。
友達は舞台のオーディションがあった。合格すれば役をもらえることになる。役者になるのが友達の夢だったのだ。
友達はオーディションに向かった。ペンダントをお守りのようにポケットに忍ばせて。難しい課題だったが、いつもよりも上手な演技をすることができた。同じくオーディションを受けにきた人も、友達の演技に見入っていた。その日のうちに、友達の合格が決まった。友達は幸福になった。
舞い上がった友達は、誰かと喜びを共有したいと思い、見知らぬ少女にペンダントをプレゼントした。
「こんなにきれいなもの、もらってもいいの」
少女はペンダントを両手で包み込んだ。透き通った海のような水色にまた少しだけ曇りが増えていた。それでも、まだまだ美しい輝きを放っている。
少女の喜ぶ姿を見て、友達は満足した。
次の日も、次の日も、ペンダントは人を幸福にしては、また別の人の手に渡った。アクアマリンは人を幸福にする度に、少しずつ曇りが増した。いつしか透き通った海のような水色は、どす黒い色に変わっていた。そうなってしまうと、誰もペンダントに見向きもしなくなってしまった。
最後には捨てられて、道端の石ころのようにペンダントは転がったままになった。来る日も来る日も、誰も幸福にできないまま、日々は過ぎていった。
そんなペンダントの様子を見ていたものがいた。神様だ。哀れに思った神様はペンダントを天から拾い上げた。
「これを磨いておきなさい」
神様は天使に命じた。天使がアクアマリンを丁寧に磨いていく。すると、アクアマリンはかつての透き通った海のような水色を取り戻した。神様はきれいになったアクアマリンを天にはめ込んだ。
かつてペンダントだったアクアマリンは星になった。星になったいまも、天から透き通った海のような水色の輝きを放って人々の幸福を照らしている。
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