第2話

「すごーい、まっしろー!」

 小学二年生も終わりに近づいたころ、大雪が降った。前日の午後から降り始めた雪は夜じゅう止むことはなく、翌朝には世界を真っ白く染めてしまった。

 雪かきをするスコップの音を聞きながら慌てて朝食を済ませ、外へ飛び出そうとする。すぐにお母さんに捕まって、毛糸の帽子から手袋からマフラーから、あらゆる防寒具を装備された。

「滑るから気を付けるんだよ!」

「はーい!」

 お母さんの注意は私の耳にしっかり届いていた。滑って転んだりするのは嫌だ。だけど、心と体は勢いよく外へと飛び出した。

「雪だああああ」

 私のはしゃぐ声に振り返ったお父さんが、雪かきの手を止める。

「美冬、良いものがあるぞ」

 玄関の門柱に立てかけてあったそれを指さした。

「そりだ!」

 プラスチックでできた、真っ赤なそりが一台、雪の中に映えていた。すぐさま飛びついて、門の外に押し出す。

「今日はどこのおうちも車出してないみたいだけど。それでも車や人が来ないか、よく確認してから遊ぶんだぞ」

「うん!」

 うちの前の坂を走る車は、坂道の途中にある家のものだけだ。坂道のど真ん中を陣取って、巨大な滑り台と化した雪道をそりで滑り出した。

 風を切って加速するそりのスリルに身を任せる。その楽しさにすっかり興奮してしまう。

「フユちゃーん」

 何度か滑りきったところで、アキくんが家から出てきた。

「あっ、なにそれフユちゃん。そりだ!」

「うん、お父さんが出してくれたの。アキくんも遊ぼう!」

「うん!」

 私たちは坂道を独占して、何度も滑走を繰り返した。 

 交代で。二人で一つのそりに座って。何度もスピードに乗って、時に振り落とされては雪塗れになって、そのたびに笑い転げた。


「まあまあ、すっかり雪塗れになって。秋人とフユちゃんに、ココアでも入れてあげようねえ」

 玄関先に出てきたアキくんのおばあちゃんが、にこにこしながら言った。雪に濡れた体をタオルで拭いてもらって、アキくんのおうちにお邪魔する。

 ジャンパーをストーブで乾かしている間、私はこたつに入れてもらった。うちにはこたつがないから羨ましい。

「はいどうぞ」

「ありがとう」

 おこたでぽかぽかになった体を、さらにココアが温める。甘い香りの息を吐いた。

「午後からも遊ぼうね、フユちゃん」

「うん」

 アキくんからのお誘いに、私は元気よく答えた。


「美冬ったら、アキくんのおうちでココアごちそうになってたのよ。もー、やめてよそういうのー」

 結局、午後からアキくんと遊ぶことはなかった。午前中の間じゅう、体まで濡らして極寒の中遊んでいたから、『寒いから、お外はもう駄目』と言われてしまったのだ。

「だっておばあちゃん、くれるっていうんだもん」

「ねえ、勝手に人のおうちに上がっちゃ駄目ってお母さん言ったよね。お菓子とかごちそうになっちゃ駄目って言ったよね」

「まあ、これだけ仲がいい子の家ってなると、つい上がっちゃうこともあるよな」

 厳しいお母さんとは反対に、お父さんはのんびりと言った。

「でも、これからはお父さんかお母さんにちゃんと言ってからにすること。アキくんのお母さんやおばあちゃんにも、お父さんたちから家の中で遊んでいいか確認しないといけないからな」

「はーい。ごめんなさい」

 お母さんはまだ何か言いたそうだったけれど、私はとりあえず謝ってしまう。

「アキくんとこのおばあちゃんと顔合わすことがあったら、お礼言っとかないとな。スーパーで仕事してるとこはよく見かけるんだけど……。おばあちゃん、まだ働いてんのな。元気だね」

「旦那さんが早く亡くなって、女手一つで娘を育てた人だからね。おばさんはいい人よ、よく働いてさ」

 ずっと地元ここを離れたことのない、『おばあちゃん』が『おばさん』だったころから知るお母さんは言う。

「でも娘さんはねえ」

「アキくんのお母さんか?」

「あなたは住んでる地区も学校違ったから知らないでしょうけど……。結構勝手な人でさ、色々面倒起こして、付き合いづらくて。私ら同級生は遠巻きにしてたわ。大人になっても変わんないのよ、あの人」

 アキくんのお母さんには、私はほとんど会ったことがなかった。

 アキくんちはお父さんがいなくて、お母さんとおばあちゃんとアキくんの三人で暮らしているっていうのは知っているけれど、詳しいことは何もわからなかった。


 中学を卒業した今になっても。私はいまだに、アキくんちの家庭の事情をほとんど知らない。

 

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