手の届く偶像

飛鳥休暇

第1話 金曜ロードショーの女

「ずりぃよな」


 バイトの同僚である三好がつぶやいた。


「……なにが?」


 僕は脚立に乗っている三好の顔を見上げる。


「世の中にはよ、こんな美人を抱ける男がいるんだぜ?」


 三好は店内に展示をしようとしているポスターを指さした。新作映画のレンタル開始の告知ポスターだ。

 そこにはいま売り出し中の若手女優の姿があった。


「こんな色白でよ、透明感があってスタイルもいい。こんな女を抱ける男が世の中にはいるんだぜ? 前世でどんな徳を積んだんだよ」


 僕もその女優の姿を改めて確認する。

 はっきりとした二重、透き通るような肌、潤んだ瞳で相手役の男を見つめている。


 確かに、綺麗だなと思う。


 でも、あまりに綺麗すぎて僕には嫉妬する感情すら湧いてこない。


「いるんだね、世の中には」


「いるんだよ、世の中には」


 僕のセリフを繰り返してから、三好は脚立からポーンと飛び降りてきた。


「人生で一度でいいからこんな女とセックスしてぇなぁ。それさえ出来ればおれはこの世に未練はないよ」


 そう言って三好はふへへと笑った。


「人生ってそんなもんなの?」


「おれの人生はそんなもんだ」


 周りは大学を卒業する年代だというのにフリーターに甘んじている三好は、どこか諦めを含んだ声色でそう言った。


 そんなもんなのか、と僕は思う。


 三好と同い年の僕ではあるが、芸能人なんてあまりにも縁がない世界の話で、そんなこと考えたこともなかった。


 僕が想像するとしたらきっと――。





 レジに立つ僕の前に一人の女性がやってきた。


 毎週金曜日に、決まって二本DVDを借りていく女性、通称「金曜ロードショーの女」だった。


 仕事帰りなのだろうか、いつもタイトなスーツを着こなし、少しだけ明るい髪を後ろで一つに束ねている。

 まさしく、仕事のできるキャリアウーマンといったところだ。

歳は僕より少し上くらいだろうか。


 会員カードを受け取る際にふわりと化粧品の甘い香りが漂ってくる。

 綺麗に手入れされた爪が艶やかに光を反射している。


 僕は会計が終わった彼女の後姿を悟られないように目で追った。


「いいよな、あの人」


 隣に立っていた三好が顔を寄せて声を掛けてきた。


「え、あ、うん」


 僕は彼女を目で追っていたことがバレたような気がして、動揺まじりに返事をした。


「女のスーツ姿っていいよな。プリっとケツの形が分かってよ。そそるよなー」


 三好は僕の動揺に気付いているのかいないのか、気にする様子もなく言葉を続けた。


「あーあ。おれも普通に大学行って就職してたら、あんな人と沢山知り合いになれたんだろうなー」


「……そうかもね」


「ま、逃げ続けた結果だな。いまさら嘆いても遅いよな」


 そう言って三好は僕の肩をポンと一回叩いてから、レジから離れ返却BOXのほうへと向かっていった。


「……そうだよね」


 一人残されたレジの中で、僕は小さく呟いた。




 ******



 目を覚ますとすでに時刻は昼過ぎだった。


 手探りでリモコンを掴み、ベッドの上からテレビをつける。


 お昼のワイドショーが映し出され、芸能人が険しい表情で現政権の政策を批判していた。


 寝ぼけた頭のままぼーっと画面を眺める。


『――続いては、驚きの熱愛報道です』


 関西弁の司会者が大げさな笑顔を見せ、俳優の誰々と女優の誰々の熱愛が発覚したと嬉しそうに話している。


 女優の顔には見覚えがあった。

 先日三好が指さしたポスターの女優だ。


『いやー、びっくりですね。梅木さんは山崎くんと共演されたこともあるんですよね?』


『ええ。演技もさることながら、人柄も素晴らしくてねぇ。とても気持ちのいい好青年でしたよ』


 話を振られたご意見番のベテラン俳優がにこやかに答えている。



 ――ずりぃよな。


 なぜか僕の頭に三好の言葉が浮かんだ。


 ――こんな女を抱ける男がこの世にはいるんだぜ?



「ずるいのかな」


 でも、仕方ないことだと僕は思ってしまう。


 顔も良くない、家柄も良くない、才能もない。


 そんな男がどうやったら美女と付き合えるんだろう。



 ******



 バイトの帰り道、ふいに僕の耳に女性の悲鳴が聞こえてきた。

 すぐそばの路地裏からのようだ。


 僕は恐る恐る悲鳴の聞こえた路地裏を覗き込む。


「大きい声出すんじゃねぇよ」


 背の高い男が女性の手首を乱暴に掴んでいる。

 女性は必死の形相で男に抵抗している。


 その顔には見覚えがあった。


 あの金曜ロードショーの女だ。


 束ねていた髪がほどかれ、男に抵抗するたびに左右に泳いでいる。


「あ、あの!」


 気が付いたら叫んでいた。


 二人の動きが止まり、同時に視線が僕に突き刺さる。


「け、警察が! 警察呼びますよ!」


 精一杯振り絞って出したのはそんなセリフだった。


 男がチィッと大きい舌打ちをし、睨みを効かせながら僕に近づいてくる。


「なんだ、お前ぇ」


 僕より十センチ以上は大きい男に睨まれ、僕の足はガクガクと震えている。


 男が僕の胸倉を掴む。

 片手だけで僕の足が浮かびそうになる。


 ――だ、ダメだ。このままじゃやられる。


 その時、僕の脳内に浮かんだのは好きな格闘マンガのセリフだった。


 ――喧嘩に必要なのは【覚悟】だ。腕力で負けてたとしても『絶対にぶっ殺してやる』って覚悟があれば勝てるんだよ。


「うわぁぁぁぁぁ!!」


 僕は大きく叫びながら、男に向かい思いっきりヒザを蹴り上げた。


 「ぼぐっ」という鈍い感触をヒザに感じたかと思うと、男が苦悶の表情を浮かべゆっくりと倒れ込んだ。


「はぁ、はぁ、……やった」


 ほんの少し呆然としていた僕の視界に、金曜ロードショーの女が映った。


「に、逃げましょう!」


 僕は彼女の手を掴み、近くのカラオケボックスに逃げ込んだ。




「……はぁぁ。ようやく一息つけましたね」


 まだ荒い息をなだめながら僕は言う。


「はい。……あの、ありがとうございました」


 金曜ロードショーの女が乱れた髪を手で慣らしながら僕に頭を下げた。


「いや、そんな。……いつもご来店ありがとうございます」


 僕の言葉にはっと息を呑んだ彼女は「あ、あの店の!」と言った。


 顔を覚えてくれていたことに思わず僕の頬が緩む。


「そっか。……あの、良かったら今度お礼させて下さい」


 そう言って彼女がスマホを取り出す。


「あ、いや、そんな、ぼく、あの」


 女性から連絡先を聞かれたことなどなかった僕はあからさまにキョドってしまう。


「私、嬉しかったんです。だから……ね?」


 彼女の手が僕に触れる。

 初めて触れた女性の手はすべすべで、驚くほど柔らかかった。


「じ、じゃあ」


 僕は恐る恐るスマホを取り出し、連絡先を交換した。



 *******



「なーんてね」


 ひとしきり想像した後に、僕は寝転がったまま天井を見上げた。


「あるわけないよなぁ、そんなこと」


 あるわけないのに、いつもそんなことを考えてしまっていた。

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