三.傷跡

三. 傷跡①



「いよいよ明日は体育祭だ! お前ら気合入れて頑張れよ」


 帰りのHRで新がやる気に満ちた顔で声を張り上げる。二週間という短い期間で準備に練習に大忙しだったが、それもあと少しで解放されると思うと正直ホッとする。みんなみたいに勝負にこだわることも、今はどうでもいい。


「今日は早く帰ってよく寝ろよ! じゃあ解散!」


 新がそう締めくくると、みんな一斉に立ち上がり部活の準備を始めた。こんな時でも休みなんてものはない。

 下駄箱で靴を取り出していると、ふとどこからともなく、ゆったりとした猫撫で声が聞こえてきた。


「え~そうなんだ。じゃあ好きな食べ物ってなーにぃ? えー? 焼きそばパン? そんなの作れないし」


 キャハハと派手に笑うその声に、イラッとした。どうせどっかのカップルが、明日のお弁当の打ち合わせでもしているんだろう。人目につかないところでやればいいのにと、心の中で悪態をついて校舎を出ようとした時、


「すみません、先輩。俺予定があったのを思い出したんでお先です」


 その声が耳に届くのが早いか、腕を掴まれたのが早いか。気がつけば私の腕はがっちりホールドされていて、有無を言わさぬ勢いで引っ張られていた。


「悪い、お待たせ」

「は? ちょっ、なに?」


 っていうか、有川!?


「ちょっと話合わせて」


 言いながらずんずんと自分勝手に歩を進める。その足取りになんとかついていく。


「どういうこと?」

「先輩に捉まっちゃって。そしたらちょうどお前が出てくるのが見えたから」


 だから待ち合わせしていたフリをしろと? ということはもしかして、今のやり取りは有川だったの?


「私を巻き込まないでよ」

「こうでもしないと解放してくれなさそうだったんだよ」


 有川は逃げるように校舎を離れていく。その間にちらりと振り返ってみると、スラッとした大人っぽい女の子が、すごい目でこっちを睨んでいた。



 校門を出て先輩がいないのを確認したところで、有川はやっと手を離してくれた。


「ありがとう、助かった」

「腕、痛かったんだけど」

「あーごめん。必死で」


 校舎の方を見ながらそう言う有川の顔は明らかにホッとしている。

 ラインのID教えてよ! なんていう会話も聞こえていたし、きっとあの先輩は有川のことを気に入っているんだろう。


「もういい? 私帰るから」


 胸を撫で下ろす有川にそう言って背を向けると、なんか聞けよ! と背後から突っ込みが飛んできた。


「聞けってなにを?」

「あの人誰? とか、聞くだろ普通」

「あー……」


 そういう質問しなきゃいけなかったか。でも正直どうでもいいというか、興味がない。

 言葉に詰まっていると、「あの人、三年の先輩なんだけどさ」と自分から話し始めた。


「この前の全体練習の時に、名前教えてって言われて。それ以来付きまとわれて困ってるんだよ」


 そう言いつつ、本当は嬉しいんじゃないの? と思ったけど、さっきの綺麗系な先輩を前に有川がデレデレしたり、鼻の下を長くする姿が想像できない。

 現に部活の時だって、後輩やギャラリーの女の子にキャーキャー言われたりしているけど、まったく興味ないような顔をしているから。

 差し入れでお菓子やパンをもらった時は嬉しそうだけど、恐らくその裏に潜む女心には気がついていないんだろう。要は色気より食い気。そんな有川とどうにかなりたいなんて思う先輩に、少し同情する。


「ふ~ん。よかったじゃん。お弁当も作ってもらえば?」

「別によくねーよ!」


 有川がムキになって反論してくる。そんなに声を荒らげなくても。他の男子が聞いたらきっと羨ましがるレベルだと思うけど。


「つーか、弁当って。聞いてたのかよ」

「聞こえたの」


 あんな公衆の面前で、しかも大声で話していたら嫌でも聞こえる。


「断ったし」

「あっそ」

「断ったからな! 俺は!」


 今にも覆いかぶさってきそうな勢いで二度繰り返すと、私の様子を窺うようにじっと見下ろしてくる。


 そんな何度も言わなくても聞こえてるし。いったいなんなんだ。そこまで全力で否定する必要ある?

 眉根を寄せていると、前のめりだった有川が突然水をかけられたようにハッとして「俺行くわ」と言って部室の方へと駆けていった。


 いったいなんなんだ。相変わらず台風みたいな男。

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