二. 変転③


「掃除の時間とっくに過ぎてるけど。てか、一人?」


 驚いたように私を見下ろす水嶋くんは、スパイクと大きめの水筒を肩からぶら下げていて、今から練習に行くんだと思った。


「あぁ、うん。でももう終わりそうだから大 丈 夫。一人で平気」

「俺、まだ時間あるし一緒にやるよ」


 水嶋くんが私の手からスッとモップを取ると、手早く拭き始めた。いいからと奪おうとしたが、あっさりかわされてしまう。さすがサッカー部。動きが俊敏だ。


「つーか押しつけたやつ誰? 続くようだったら俺に言って」


 水嶋くんらしい言葉に、感心しながら「ありがとう」と頷いた。

 水嶋くんは体育会系のクラスで一目置かれる、お兄さん的存在。誰に対しても親切で、頭もよくてサッカーも上手。だからファンも多く、彼が動けば女子が集団でついて回る。

 こんなところを誰かに見られたらますます反感を買いそうだと思った。


「栗原は? 部活間に合う?」


 手際よく拭きながら、水嶋くんが聞いてきた。


「あー……私は大丈夫」

「そっか、陸上部はグラウンド整備、一年の仕事だっけ」

「ううん、そうじゃなくて、今休部してるから。だから時間は気にしないで」


 まだ水嶋くんは知らなかったんだ。てっきりもう有川が話しているかと思っていた。いつもつるんでいるとはいえ、男同士ってそんなものなのかな。

 女子の間だったら細かいことまで逐一報告し合うし、言わなかっただけでこんな風になってしまう。だから男の子同士のそういう関係性が、今はちょっと羨ましいと思った。


「休部してるの?」

「……うん」

「あーなるほど、だからか。なんか繋がった」


 不意に水嶋くんが、閃いたように声を上げる。


「繋がった、って?」

「最近有川がちょっと寂しそうだったからさ。どうしてか理由がわかったよ」


 いたずらっ子のように笑って私に視線を向ける。それはつまり、私が部活を休んでいるから有川が寂しそうだって言いたい? あいつには一番無縁の言葉のような気がするけど。


「たかだか部活とはいえ、色々あるよね。でも俺は疲れたら休むのもありだと思うよ」


 水嶋くんの予期せぬ言葉に私は目を瞬かせる。

 だって次に来るのは絶対、どうして? なにが理由? そういった類の反応だと思っていたから。だから続けて水嶋くんが口にした言葉は、意外だった。


「無理はしないほうがいいよ。無理すると心も体も壊れちゃうから。色々周りから言われるかもしれないけど、辛い時は思い切って休むほうが賢いよ」


 理由も聞こうとせず、むしろ励ましてくれた。優しい声色に胸が熱くなる。

 こんな菩薩のような人と有川が友達だなんて、今更だけど信じられない。どちらかというと正反対で、太陽と月といった感じ。いったい二人はなにがきっかけで仲良くなったのだろう。


「もしかして昼休み、中庭で揉めてたのって、それが原因?」

「……うん、実は。走ることから少し離れたいんだけど、有川のやつ、なにかと強引に誘ってくるから、それでちょっと」

「あいつ、そういうとこあるからなぁ」


 苦笑いを浮かべながら何度も頷いている。まさかこんな風に援護してくれる人がいるとは思わなかった。

 ここ二、三日責められることが多かったから……。

 思いもよらなかっただけに、ちょっと嬉しくなった。


「もう掃除、終わりでよくない? 片付けようか」


 言いながら、水嶋くんは両手にほうきやモップを抱え掃除道具入れに向かい始めた。


「あ、うん。そうだね。手伝ってくれてありがとう」


 そんな彼の姿を見て、私は先回りするように掃除道具入れの扉を開けた。だけ

ど次の瞬間――


「きゃっ」


 大きな音を立てながらバケツが降ってきて、咄嗟に頭を庇う。……でもすぐ、ん? と目をしばたたいた。当たると思ったバケツは降ってこず、恐る恐る見上げると間一髪のところで宙に浮いている。


「あっぶねー。大丈夫?」


 どうやら水嶋くんがキャッチし、庇ってくれたようだった。

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