一. 失速⑤
「よーし、代表選ぶぞー!」
張り切った様子で担任が入ってきた。その声にみんな一斉にガヤガヤし始める。
栞奈の言っていた通り、今日は選手決めをやるらしい。普通科ならブーイングが起こりそうだが、体育会系らしくみんなやる気満々に盛り上がり始める。
「隣のクラスに絶対負けんなよ!」
まるでまだ学生のような言動をする担任、北島新先生は、この学校の出身で元ラガーマンだとか。身体もでかいが、声も大きいのが特徴で、同じ体育会系の隣のクラスをかなりライバル視している。まるで先輩のような先生をクラスのみんなはすごく慕っていて、「新」と呼び捨てしている生徒も多い。
「まぁうちには有川と栗原がいるし、走りの面では楽勝だろうな」
新は教壇に立つと、クラスを眺めながら当然かのように言った。皆もそれに賛同するように野次を飛ばす。
――勝手に決めないでよ。私は走る気なんてないのに。
「有川! お前はリレーと徒競走と障害物な」
「え~! 俺、騎馬戦に出たい」
「こんな時こそ特技を生かさないでどうする。走れ!」
「なんだよそれ、ひで~」
クラスのみんなが一斉に笑う。確かにお世辞にも勉強ができるとは言い難い有川は、去年の体育祭も私と同様走る種目に全部出ていた気がする。クラスは違ったけど、みんなの声援の大きさに自然と視線が向いて、気がつけば見入っていた。
「栗原も頼んだぞ! 期待してるからな!」
「えっ、」
「リレーメンバーはお前が選べ!」
そんな、まだ出るなんて一言も言っていないのになんて横暴なんだ。だいたい生徒に選択権も与えないなんて。
「あの、先生」
皆の注目が集まるのを承知で、勇気を出して声を上げる。そんな私に先生が
「ん?」と首を傾げて先を促した。
空気を読んで、走ればいいなんてことわかっている。
だけど怖い。
またあんなことがあったら。また夢中になってなにかを失ってしまったら……。
「先生、私、走れ……」
「つーか新さ、俺ら毎日走ってるわけよ。だからこういう時くらい違うことやってみたいんだけど。な? 栗原もそう思うだろ?」
意を決して口を開いた私を、大きな声で有川が遮った。そして席から立ち上がると、ホワイトボードになにかを書き始めた。リレー、徒競走、ムカデ競争、騎馬戦など。体育祭の種目をつらつらと並べていく。
「新、俺ら自分たちで決めるわ。いいだろ? みんなもそのほうがいいよな!」
たちまちそれもそうかも、と賛同の声が上がる。
「んー、まぁそうだな。押しつけるのはよくないよな」
「お! わかってるね、新。じゃあ今から俺が進行する! よーし、お前ら! 俺の話をよく聞けよ~」
有川は新のモノマネをして笑いを取ると、一瞬にしてクラスの中心になる。好きなことを好きなだけやって、誰の目も気にしないあの性格は羨ましくもある。きっと悩みなんてないんだろう。今の私とは真反対だ。
「あーあ、都が走るところ見たかったのになぁ」
お弁当のおかずを頬張りながら栞奈が残念そうに呟く。
結局あれから有川の進行で体育祭の選手決めはあっという間に終わった。
正直有川に助けられた。きっとあの流れのままだったらクラスの雰囲気を悪くしていただろう。
「今年も張り切って応援するつもりだったのに」
そう言う栞奈の前で、私はごはんをつつきながら苦笑いをこぼす。
運動部は試合の日程がかぶることが多いため、なかなかお互いの応援に行けないし、活躍しているところを見る機会が少ない。私も栞奈がバドミントンをしている姿をあまり見たことがないが、もはやこれは運動部同士の定めともいえる。
「だけど陸上部のエースが綱引きってちょっとウケるよね」
「……そ、そう? たまにはいいかなって」
種目選びで迷わず綱引きに手を挙げた私を見て、みんなは驚いていた。だけどそんな視線に気づかないフリをして、あとはただ時間が過ぎるまで息を潜めて俯いていた。
「そういえば有川、あんなこと言ってたくせにほぼ走る競技出るんだよ! 意味わかんなくない?」
栞奈に言われ後ろのホワイトボードに目を向けると、そこには有川が書き写した乱雑な字があった。
リレー、徒競走、二人三脚、ムカデ競争の下には「俺」の文字。たまには違うことやりたいって言っていたくせに。
……もしかして私を庇ってくれたとか? いや、まさかね。休部することあんなに反対していたわけだし。
「食わないならちょうだい」
視線を戻した直後頭上から明るい声が響いてきた。ほぼ同時に、大きな手がお弁当の前にニュッと伸びてきて、私は体をのけ反らせながら慌てて顔を上げた。
「ちょっと、なにするのよ有川!」
「そんな小さい弁当いつまで食ってんだよ」
「勝手に取らないで」
言いながら腰を上げる。そんな私を見て有川が「おっ!」とどこか嬉しそうに目を大きく見開き、身構える。だけどそれを見てダメだダメだと心の中で自分を諫めた。関わらないようにしようって決めたんだ。挑発に乗っては思う壺だ。
「なんだよ、言い返さないのかよ。らしくねーな」
私が黙って椅子に腰を下ろすと、有川は唐揚げを摘んでいた指をぺろりと舐め、つまらなそうにどこかへ行ってしまった。
「なんか二人、最近イチャイチャしてないよね」
有川が離れていってすぐ、栞奈が妙な発言をするものだから思い切り眉根を寄せた。
「イチャイチャって、誰と誰が?」
「都と有川だよ。最近やけにおとなしいなって」
「そんな、してないし!」
「えー? 無自覚? 毎日やってたじゃん、今みたいに。有川が都にちょっかいかけて、都もすぐムキになって噛みついてたのに。都がやり返さないからビックリしちゃった。なんかあったの?」
キョトンとした顔で問われドキリとする。
一昨日から栞奈は私の様子がいつもと違うことを心配してくれている。きっと栞奈のことだから、休部のことも、あのことも話せば私の気持ちに寄り添ってくれるってことはわかっている。
ただ、自分の気持ちに整理がつかないまま、こんなところで冷静に話せる自信がなかった。
しばらく考え込んでいると、栞奈が「あっ! もう時間だ」と声を上げた。
「今から部活のミーティングがあるんだ。ごめん都、私ちょっと行ってくるね!」
「あぁ、うん」
栞奈はお弁当箱のふたを慌てて閉めてカバンの中にしまうと、大急ぎで教室を出ていった。その瞬間無意識にため息が漏れる。
嘘をつくのがこんなにも苦しいなんて知らなかった。栞奈に早く話したほうがいいってわかっているのに、口に出すのが怖い。
それが真実だと、突きつけられる気がするから。
――だけど、このままでいいわけがない。
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