『練習日』その2

「うあ。ちょっとカゲル君! 避けて!」


 メグさんの声だ。

 反対側の壁にいるメグさんを眺め、ゆっくりと視線を上にあげる。

 黒い物体が徐々に近づき、視界を覆い。


「うえ!」


 間一髪回避、何とか直撃は逃れた。

 落ちた物体は、コロコロ床を転がり、壁にぶつかり停止する。


「ごめんごめん。ディアボロを思いっきり飛ばしすぎた」


 テクテクと走ってくるメグさん。


「ああ。びっくりした。何の技やってたの」

「ピルエットなんだけど、勢い余ってしまって」


 テへへと後ろ頭を掻くメグさん。

 不意にその手に絆創膏が貼ってあることに気がつく。


「アレ。どうしたのその手」

「あ、これ」


 左手の甲を確認する。


「ちょっと練習中にスティックをぶつけてね。平気平気。逆にこれはディアボロの挑戦状と受けたね。『私は悪魔に屈しない!』」


 ビシッと指をさして、顔を赤くした。

 あ、スイッチ入った。

 ディアボロと悪魔をかけたのか。


「メグさんー! メグさんー!」


 あ、ダメだ。

 自分に酔いしれている。とりあえずほっとくか。


「大丈夫か。カゲル」


 ドスドスとやってくる耕次先輩。


「あれ、メグは……、ああ。いつものか」

「いつもって、そんなにですか」

「週に三回だな」

「それ練習日に一回はしているんですね」

「あー。困ったもんだ。教えている最中になるから」

「ハハハ」


 全く、厄介な性格だ。


「大体どれくらい固まっているんですか」

「それが、俺だと全然ダメだ。リナの助けが必要なんだが」


 周囲に目を配る耕次先輩。


「エリ先輩! 練習している最中に脇腹をつつかないでください」

「だめだよ。リナ。どんな状況でも投げ続けられる強固な精神を持たなくちゃ」

「じゃあエリ先輩やってください」


 また別の場所で練習している。エリ先輩はリングを三つ投げている。リナが先輩の脇腹をつつこうとするが、エリ先輩は軽い身のこなしでそれら全てを回避する。しかも投げているリングは一切落とさない。

ググッと握り拳を作り、悔しさを噛み締めている。

不穏なオーラがメラメラと燃え上がっている。


「ああ。あっちもダメか」

「あれは無理ですね」


 揃って落胆する。


「どうかしたんですか?」


 大介がタオルを片手に、のんびりとした足取りで歩いてきた。


「おお。大介。練習はどんな感じだ」

「ボチボチですね。一人だと特に気にすることは無いですから」

「ああ。確かに」


 普通に話すだけなら、問題ないのにな。


「ああ。メグが自分に酔いしれて、動かなくったんだ」

「ええ! そうなんですか?」

「知らなかったのか?」

「全く」


 仮にも、一ヶ月以上クラブで同じはずだよな。


「いや。僕、先輩がやっている道具じゃないし、しかも経験者だから、練習時はいつも一人でやっているから」

「悪いな。シガーボックスは俺は全くダメなんだ」


 耕次先輩は申し訳なさそうに謝る。

 大介は手を横に振る。


「大丈夫ですって、高校の時からいつもそうでしたから」


 大介は、問題なさそうに言うが、いつもひとりって、重みのある言葉だ。


「あれ。大ちゃん?」

「メ、メグ?」


 耕次先輩が目を大きく見開く。


「大ちゃん! 調子はどう」


 メグが大介に詰め寄っていく。


「え、ああ。まあまあですね」

「そう。それは良かった」


 大介とメグさんが話している間、僕と耕次先輩は少し離れた場所で会話する。


「メグさんって、あの状況から元に戻るのは、どれくらいかかるんですか?」

「俺だと三十分くらい。リナで十分くらいだ」

「じゃあさっきは、ものの一・二分ですよね」

「確かにそうだな」


 二人揃って、大介とメグさんを見つめた。そのメグさんの楽しそうな光景に、僕と耕次先輩は不思議そうに二人を見つめたのだった。




「ここがこうなって、こうでこうやって……」


 夜の公園で一人ブツブツとつぶやきながら、必死に腕を交差したり、解いたりと、忙しくしている人物がいる。僕だ。

 丁度、街灯の数が多く明るいので、ボールを視認することはできる。それに人はいないので貸切状態で練習できる。


 ボトッと砂の上にボールを落とす。ボールに新たな砂が付着する。

 一週間前に届いた新品のボールはもう砂と汚れでくすんでいた。


 正直外では汚れるのが早いから、あまりしたくは無かったんだが、家でしていたら、下の階の人に注意されたので、仕方なく練習している。幸いほとんど人が通らないことが救いだが、誰か見ているのではないかと、無駄に外に視線を送ってしまう。


 ボールを拾い上げて、また投げ始める。


 今、練習している技は「ミルズメス」という基本技、カスミ先輩曰く、「最初に躓く動画を見ても解らない技」らしい。


 実際、生でカスミ先輩に見せてもらったが、全く解らなかった。


 三つのボールが生き物の様な軌道の流れと手捌きを解読するために、スマホに収めた動画を齧り付く様に確認したが、完全に解読はできていない。


「あとはノリだよ!」といつもの笑顔でザックリとまとめられた。


 最初と変わらず、投げては落として拾うを繰り返す。地味だ。


 けど続けているのは、何でだろう。はっきりと解らない。けど心の中で、楽しむってどうなんだろうと考えていたら、認めたくはないがアフロ先輩と陽気な悪魔先輩の言葉が引っ掛かっていたのかもしれない。それにカスミ先輩みたいに上手くなりたいと思っているかもしれない。


 どっちもあまり自信はないけど。


 またボールを落としてしまう。その一つが道路に向かって転がっていくと、慌てて走ってボールを追いかけていく。


 運良く歩道の縁石に当たって止まり、ホッとして足を緩める。


 ボールに手を伸ばしていく。


 急にフワッとしたラベンダーの甘い匂いから、包み込むような感触の後に手を掴まれた。

 右から伸びてきた腕を凝視し、伝うように視線を向けていく……。


「あら。あなたは」

「!!!」


 突然現れた予想外の……、いや奇跡に近い人物の登場で、僕の心は卓袱台をひっくり返した上にミキサーでかき混ぜられる程、訳が解らなくなった。


 僕はボールを持った手を振り上げてしまい、その拍子にボールは路上に転がった。


 そして運悪く通りかかった自動車に、買ったばかりの一個六百円のロシアンボールがグシャッという破裂音と共に、粉砕した。


「あああああ!」


 地面に這いずるように行くと、外のプラスチックは木っ端微塵に砕かれ、中の砂は路上に散らばっていた。

 膝を付きガクッと肩を落とした。


「ごめんなさい」


 黒髪の女性が僕の横で顔が見えなくなる程、深く頭を下げていた。

 僕は即座に立ち上がり、両手を突き出して説得する。


「謝る必要なんてないです。僕がびっくりしてドジを踏んだだけで、君がそこまで頭を下げることなどないです。大丈夫ですから頭を上げてください。」


 中々頭を上げてくれない。


「本当に大丈夫ですから」と何回も何回も言って、やっと頭を上げてくれた。


 ホンの少し目元が赤くなっていたことに、もの凄く申し訳なくなった。


「私が弁償します!」

「いやいや。だから大丈夫ですって」


 そこまで言われると心が痛くなる。


「でも、少なからず私も原因がありますし」

「無いですって」


 ここまで言っても、何か踏ん切りがいかないみたい。困った。でも正直ここで何か言えるような会話術もない。


「あー! いた!」


 こっちの状況などいず知らず、元気よく現れたのは、僕の同期であるメグだった。


「あれ。その人は」

「それよりも、何故ここにいるんだ」

「それはこっちのセリフ! あんなに連絡していたのにスマホ見ていなかったでしょ」


 言われてスマホを開くと、ラインの一年生グループのコメントが百を超えていた。ほぼメグとリナだが。


「あ、わりい、サイレントモードにしていて全然気づかなかった」

「罰としてカゲルの家だから!」


 何だと……。


 再度、ラインのコメントを確認すると、最後の方に書かれていた。ギュッとスマホを強く握る。


「あの……」


 目前にいる黒髪の女性が、落ち着かないのか、ボクとメグを交互に何度も見返している。


「カゲル。この女性は?」


 メグの質問にどうしようかと悩んだ。けど正直に話す以外に方法は無いと思った。


「一度授業で席が隣になった方だ。それで今日練習中にたまたま出会った。まあその拍子に僕が驚いてボール一つがダメになってしまった。こんな現状」


「それは、私が突然手を触ったのが原因でして」

「いやいや大丈夫ですって」

「ふーん」


 メグが何やら腕を組んでニヤッとした笑いを浮かべている。僕の嫌な予感レーダーが察する。


「メグさん??」

「よし。あなたも来なさい!」

『え?』


 二人揃ってメグを見つめた。


「ちょっと待った。何でそう言う結論に至るんだ」


 思わず、メグに詰め寄るが、むしろ何かを確信したかのように笑顔が広がっている。


「メグさん。誤解してる」

「いいじゃん多い方が。いいですよね?」


 向かいの女性に同意を求める。こんな全く無関係な人の提案を承諾するはずなんて……。


「分かりました。行きます!」


「えええええ!」


 夜の住宅街に一際大きい声が木霊した。

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