『僕の5月1日 夜』その3

「席いい?」


 混乱していた思考が戻り白峰先輩の隣にいた女性の言葉に気がついた。慌てて「大丈夫です」と答えると、ポニーテールの女性は向かい側の席に座った。


「大変だったね。まあ、あの三人はちょっとズレているからね」

「は、はあ」


 女性は持ってきていたメロンソーダをゆっくりと飲み干した。

 右肘をテーブルにつけて僕をジッと見つめる。

 コップに入っている氷を左手でストローを掴み、グルグルかき混ぜる。


「君がカゲル君だよね?」

「あ、はい」


 名前を呼ばれ、妙に改まってしまった。


「ふーん。君、なんかパッとしないね」


 普通にダメ出しされた。しかも初対面の人に。

 勢いでテーブルの上に身を乗り出した。


「ちょ、ちょっと待ってください。いきなりなんてこと言うんですか」

「ん? いやなんか第一印象がそんな感じに思っただけ」

「第一印象って。え。いや。まあ。そんな……」


 言葉にならない感情が口の中でゴニョゴニョと渦巻き、結局吐き出せずに、変にモヤモヤが残っていった。

 正直、間違っていない。

 けど分かっていても純粋に傷つく。

 そんなことは知らずに、相手の女性がキョトンとしているから、尚腹立たしい。


「ごめんね。もしかして気に障った?」


 今更気づいたのか。


「いえいえ。まあ大丈夫です。よく言われていますので。それに慣れているので」


 自然と目線を下げてしまう。

 それでもパッとしていないのは事実だし、自分が目立った利点もないのも認識してはいたけど……。

 沈黙。


「だったらうちの部活に入らない?」


 聞き間違いかと思った。

 何故この部員たちは僕にクラブ勧誘を執拗にしてくるのか、それか、今の僕の反応を見てから本当に誘おうとしたのか。

 信じられないのだが。

 でも拒否せずついつい訊くのが、僕の悪い癖だ。


「気になっていたのですが、あなたたちの部活ってどんな活動しているのですか?」

「ああ。その前に、私の名前を言ってなかったね。私は中谷彩芽(なかたにあやめ)。アヤメと呼んで」


 アヤメ先輩は人差し指を軽く振って微笑んだ。


「わかりましたア、アヤメ先輩。その部活について、の前に。先輩達って名前で呼ぶの好きなんですか?」


 てるやん先輩、エリ先輩、そして目の前にいるアヤメ先輩。皆あらかじめ名前かあだ名でと言われた。

 それに僕の名前を初っ端からカゲル君って呼ぶし。  


「うーん。その方が、何か親近感が湧くからかな。それに苗字だと堅苦しい」


 僕にはいまいちピンとはこないが、本人がそう望んでいるならそう言うべきか。

 いや部外者の僕が納得するのも早いし、でもまあここは本人の意思を尊重するべきか。人との会話をしなさすぎて何かあっさりと納得した気もする。


「そうですか、わかりました。努力はしてみます。で部活についてですが」

「そうね。あれ? カスミンから聞いてないの?」

「そうですね。聞いてないですね」


 保健センターで話した内容は、世間話であって、クラブについては全く質問してなかったし、白峰先輩もとい、カスミン……。カスミ先輩からも話さなかった。


「ふーん。まあいっか。部活ね。まあ色々やってるね。ボール投げたり、棒を振り回したり、紐を振り回したり巻きつけたり……」

「えーと。なんか乱暴な事しているようにしか聞こえないのですが」

「いや。すごく楽しいかな」


 頬骨が上がり柔和な笑みになる。

 僕からしたら、ただの異常な人物としか捉えられないのだが。

 部長が災難過ぎて不憫に思えてくる。


「……。どういうところが楽しいのですか?」

「んー。みんなでワイワイと遊んだり、バカしたり。騒いだり」

「……」


 結局思いついた光景が、乱暴なことして騒いでいるしか想像つかなかった。あの三人を見て、このセリフを聞く限り、ただのお騒ぎ仲良しクラブという解釈しかできない。


「なぜ僕を誘うのですか」

「君が今、人生が楽しくなさそうに思えたから」


 少し前の反応を見て答えたみたいだ。一瞬しか見せなかったはずの陰りを見逃していなかった。

 でも、今のような目的が見えずにドンちゃん騒ぎをするクラブに、どうやって価値を見つけろと……。

 それに楽しむという感覚や、根本的にみんなとワーッと楽しむというのが、あまり慣れていない。経験がないと言ってもいい。

 だから今僕にできることは苦笑いだ。


「そうかもしれないですね。でも僕は、そんな風に楽しむことなどできません」

「そう? だったら今から、そうすればいいだけじゃない?」


 躊躇なく切り返された。

 そういう考えはなかった。今から楽しめばいい。

 僕にそんな自信なんてない。

 いや信じられないのかもしれない。今の今まで漫然と過ごしてきたから。楽しんだことなんてなかったから……。


「まあちょっと、今のは強引だったかもしれないかな」


 一歩退いた姿勢に戻るアヤメ先輩。


「いえ……。別に……」


 僕には曖昧な返事しかできなかった。


「興味あったら、明日部活やっているから、ここに載っている場所に放課後見に来て」


 スッと、部活の歓迎ポスターが手元に出される。

 日程は新歓期間で古かったが、場所は記載されていた。

 僕は詳細をジッと見つめていた。


「お待たせー」


 通路側から、カスミ先輩が肩を揉みながら、小さなため息をポツっと出しながら戻ってきた。


「カスミン。今日は早かったね」


 アヤメ先輩は、この光景がいつもの出来事であるように、軽く反応する。


「そんなこと言わないで。私あまり怒りたくないんだから」

「もう」と一言、恥ずかしそうにしながら、軽く腕を組む。

 その動作を見ながら一つの違和感が僕の頭の中に過ぎる。


「さっきの三人組はどうしたのですか?」


 するとカスミ先輩が僕の座席正面に座り、綺麗な姿勢になり深々と頭を下げた。

 同時にアヤメ先輩も頭を下げる。


「またも三人組が迷惑をかけましたこと、本当に申し訳ありませんでした」

「そんなに頭を下げないでください。それに今回は、てるやん先輩の自己紹介をスルーした僕にも責任がありますし、それにそんなに酷いことはされてません」


 実際にただ三人が立って囲んできたまでだし。

 後に何が起きるかは想像したくは無いけど、実際むきずだったから、そこまで謝らないで欲しい。

 両手を振って、頭を上げるように促した。


 応じてはくれたが、まだ表情には申し訳なさが残っていた。

 何か説得を考えたけど、全然思いつかない。


「カゲルくんも大丈夫と言っているんだし、カスミンもそんな暗い顔しないで」


「ね」とアヤメ先輩はカスミ先輩の背中をポンと叩いた。


 カスミ先輩はちょっと顔を渋らせたが、すぐに諦めたように優しい表情に戻った。

 胸を撫で下ろした。


「んで、一応、カゲル君を部活に誘ったから」

『……え?』


 僕も驚いたが、一番反応が大きかったのがカスミ先輩だ。

 一瞬にしてアヤメ先輩に詰め寄った。

 二人が近づいてヒソヒソ話を始めた。


「ちょっとアヤメ、えっ? 誘ったの?」

「反応は、五分五分だけど」

「いやそれでも、カゲル君は今日大変だったのに、このタイミングで言う?」

「でもカスミンも誘う気はあったんでしょ?」

「それはまあ、なかったわけではないけど……」


 僕には全部聞こえていたのだが、コップに入っていたサイダーを全力で飲むことで誤魔化す。


(部活か……)


「カゲル君」

「はい」


 名前を呼ばれて、背筋が伸びる。

 言われることは大体想像ついていた。


「部員が色々迷惑をかけて、少々失礼かもしれないけど、明日、うちのクラブを見に来てみない」

「うーん」と唸った。


 時間を消費したが、はっきりとは決まらなかった。


「少し考えさせていただきます。もし行くことになりましたら明日クラブの方に顔を出します」


 二人の表情は、各々何とも言えない表情だった。暗くはなかったと思う。

 昔の僕なら否定していたはずだが、何故か少し前向きに答えていた。理由はたぶん楽しむという言葉に、引っ掛かりを覚えたからだと思う。

 


 夜、帰り道。


 僕は、夜空を見つめていた。


 アヤメ先輩の言葉が引っかかっていた。


『人生が楽しくなさそうに思えたから』

 痛い所を突かれた気がした。僕の人生は一言で言えば曖昧で片付いていた。

 何となくに過ごし、何となく生きていた。

 だからかな……。


 僕は思いっきりペダルに力を込めた。


 アパートに到着し、荷物を抱えて階段を上った。


「!?」


 アパートの二階は、一言で言うと惨状と化していた。

 目の前にはぐったりとドアにもたれかかって座っているエリ先輩と、俯せになったてるやん先輩がいた。


「ど、どうしたんですか!」


 荷物を放り出して、先輩の下に駆けつけた。

 エリ先輩が目を薄く開き、口をパクパクさせていた。全く声が聞こえなかった。

 突如胸を掴み、ガクッと上半身が床に崩れ、力尽きた。


「エリ先輩!」


(こういう時はどうしよう。人工呼吸、心臓マッサージだっけ?)


「カ……ゲ……ル」


 てるやん先輩が、ブルブル震えながら顔を上げる。

 僕はてるやん先輩の肩を掴んで揺する。


「先輩大丈夫ですか!」

「か……に……や……た……。ガクッ」


 白目を向いて意識を失った。


「てるやん先輩!」


 二人とも意識を失ってしまった。


(ああ、どうすればいいんだ)


 このままじゃいけないし、でもどこから手を付けばいいのか。


「ん?」


 ふいに一つ、蓋の開いた茶色の瓶が転がっていることに気がついた。

 異質感が半端ないその瓶に、僕は惹かれるように手を伸ばした。

 手に取りクルッと瓶を回し、ラベルを確認した。


「チョースーパー元気ドリンク?」


 胡散臭そうな感じが漂っていた。

 中を覗くと、緑色の液体が若干残っていた。


 数秒程考えた。


 まさか。そんなハズは……。


 倒れている二人の姿を何度も確認し、瓶を見つめる。

 気になった。原因がこの瓶な気がするが、こう怖いもの見たさ的な好奇心もある。

 ああ。確認だ!

 興味半分、不安2割、勢い3割で、瓶を口にくわえて一気に飲んだ。


「ぎゃあああああああ!」


 この世の飲み物とは到底思えなかった。

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