『僕の5月1日 夜』その2

 テーブルの前に置かれたとても大きなステーキ。よだれを止めるので精一杯だ。

 落ち着かず、何度も先輩たちの顔を伺ってしまう。


「そんな固くならんでいいから、とりあえず食え食え!」


 隣にいるアフロの人が背中をバシバシと叩いてくる。

 衝撃で僕は若干顔を引きつってしまう。この人は加減というのを知らないのか。

 僕が苦しんでいると、テーブルを挟んで正面に座っている女性が、止めに入ってくれた。


「てるやん。さすがにやりすぎだ。少年が痛がっているだろ。さっきのあたふたしている少年の顔を見て、楽しんでいたのにさぁ」


 何言ってんだ! この人は!!


 喉から湧き上がる声を、顔を赤くするほど力を入れて何とか飲み込んだ。

 そんな光景を見て、目の前の女性は微笑ましそうに僕を眺めてきた。


 間違いなく誂っているこの人……。


 今、僕は近くのファミレスに来ている。

 僕は四人席の窓側に座らされ、その横にアフロの男性が座り、正面には短髪の女性が、その横には背丈が二メートル越えの男の人がいる。


「まあ食え」


 二回目の言葉に僕はそれに従うことにした。


「それでは遠慮なく、いただきます」


 左手でフォークを持ち、右手にはナイフを持ち、左端の一部分を丁寧に切り取り、その切った肉をフォークで突き刺し、パクッと一口で食べた。

 食べた瞬間に肉の味が口の中で広がる。

 しかもソースが濃くも無く薄くもない丁度いい濃さなのがいい。口の中で味がうまくミックスし、喧嘩もしていない。

 ファミリーレストランにしてはうまい。

 予想にしてなかった美味しさに、フォークを動かすスピードが自然と早くなった。

 十分も経たない内に、皿の上にあった肉を全て平らげてしまった。

 あまりにも早く食べ過ぎたので、他の席のテーブルにはそれぞれ肉が半分位残っている。

 周りに座っていた先輩たちも少しばかり驚いた表情になる。


「そんなに腹が減っていたのか」


 右斜めに座る大柄の男性が、そんな小さな体によく早食いできるな。と言わんばかりの表情をする。

 あなたから見ればそう見えなくもないか。


「それでお前は、名前は何と言うんだ」


 隣にいるアフロの男性が肉をモグモグとリスみたいに口元を膨らませながら訊いてきた。

 クスッと笑いそうになるのを堪えつつ、アフロの男性からの質問に答える。


「僕は数谷カゲルと言います。カゲルと呼んで構いません」

「なんかフツーだな」

「……」


 はじめてかもしれない……。自分の名前をフツーと答えた人は……。

 いや。自分の名前が珍しいといえば微妙なラインだが、カゲルという名前はあまり聞かないはずなので、そこで一つ二つの追加の反応を示すのだが……。

 僕は目を細めてジトーっとアフロ男を睨んだ。

 だが意に介さずステーキを頬張り続けている。

 別に何かを求めているわけでもないが、こうもあっさりと切られるのも、いい気分ではない。


「じゃあ。先輩の名前はなんていうんですか」

「俺か?」


 アフロ男は、口の中に入っていたものを飲み込み、体を僕に向ける。

 親指と人差し指でVの字を作り、顎に当てて白い歯をキラッと見せて答えた。


「フッフッフッ。聞かれたら仕方ねえな。答えてやるよ! いくつもの海を越え、山を越え、数々の伝説を残してきた英雄、それがこの俺様、澤本輝喜(さわもとてるき)様だ! てるやんと呼びやっ……」

「では、あなたのお名前は」


 即座に右斜めの大柄の男の人にターゲットを変えた。


「俺は城ヶ崎じょうがさき耕次(こうじ)だ。同期からは耕ちゃんと呼ばれてるが、まあ好きに呼ぶといい」


 改めて見ると、城ヶ崎先輩の体格は日本人離れしていた。隆々とした筋肉が肩から胸、巨樹のような腕、タンクトップがピチピチで今にも破れそうだ。持っているフォークとナイフがとても小さく見える。


「今この人のこと、渋そうであまり感情を表に出さない人だなと思ったでしょ」


 女性がにやりと嬉しそうに見つめてくる。

 事実そう思っていたのだが、変に核心を突かれ、慌てて弁解しようと試みたが、その暇を与えてくれなかった。


「こう見えて、号泣屋だよ」

「え」


 想像していなかった。こんなごつそうな人が涙脆いのか。

 城ヶ崎先輩はぷいっと横を向く。


「あまり言うな」

「でも映画見ているときこうちゃんめちゃくちゃ号泣していたじゃん。もうボロ泣きで」

「!」


 赤面させる城ヶ崎先輩、地味に抗議を続けるがその全てを女性は軽々と交わす。


「確かに泣いたが、そこまで泣いてない」

「ええー。ティッシュ二箱使ったじゃない」

「そこまで使ってない。一箱だ」

「十分多い!」

「そうだけど」


 抵抗は虚しく終わる。

 同時にこのメンバーの支配者が正面に座っている女性だと察した。

 女性は含みのある笑みと、悪戯に満ちた瞳だった。


「私には名前を訊かないのかな」

「いやいや訊きますよ。訊きますよ」


 先手で攻めてきた。

 さっと両手を振って自分の潔白を示す。


「私の名前は西条(さいじょう)エリ。見ての通り人をいじるのが大好き。あと呼ぶときはエリ先輩とよんで。苗字苦手なんだ」

「はあ」


 とりあえず自覚していることだけは解った。あと名前で呼べと。変な人だな、まあここは素直に呼ぶことにするか。

 このあと何か言ってくるのかと身構えたが、エリ先輩はそれだけ言って、普通にステーキを食い始めた。

 少し拍子抜けをしたが、攻撃を受けないことで安心もした。


「ブー。ブー。ブー」


 バイブル音が聞こえた。自分のスマホをポケットから取り出すが反応していない。


「ブー! ブー! ブー!」


 変に音が大きくなった。電子的な音というより、妙に抑揚がある響きだ。

 僅かに振動が隣から伝わってくる。

 視線を移すと、頬袋をパンパンに膨らましながら、ブーっと声をあげるアフロさんだった。


「リスですか。先輩」

「リスとは何ぞや! 先輩の渾身の自己紹介をスルーするとは何様だ!」

「いやー。あれはスルーして欲しい空気だと思いましたので、それに名前だけはきちんと聞いていましたよ。澤本輝喜先輩」

「そこは聞いていたんだな。少年」


 エリ先輩が、また嬉しそうにニヤニヤする。


「エリお前もか。んなことは置いといて、先輩のボケには全力で突っ込むのが礼儀ってもんだろ!」


 どこの決まりだ。

 一度顎に手を当てて考える。冷静に見てもあの自己紹介は、どう考えても、救いようがないと思うのが妥当のはず。

 僕は間違っていない。

 一人でに頷く。


「ひとりで勝手に納得してんじゃねえよ。俺をおいていくなよ!」

「先輩、今冷静に考えていたのですけど、流石にあれは無理です」


 てるやん先輩は顎が外れたように口を開けた。そして二度、口をパクパクさせたあと、今度は口元を上げて不気味な顔を浮かべる。

 背筋が急にゾッとし始める。


「そうかそうか。だったら、三人の奥義。トライデントアタックを喰らうがいい!」

「ええええ!」


 何の前触れもなく、てるやん先輩がぴょんと椅子の上に立った。


「おお。てるやんやるのか」


 城ヶ崎先輩も立ち上がりながら、腕を組んで僕を見下ろす。


「フフフ」


 エリ先輩も満面の笑みで、立ち上がる。


 三人が悪魔のような笑顔で、見下ろしてくる。

 後ろには逃げ場がない。前からもう迫ってくるのをただ待つだけだ。


 もう何が起きているのか分からない。何で責められているのかもわからない。

 三人の影で光が遮られ、僕の周りは暗くなった。

 僕は今まさに絶叫をあげようとした。

 

「何してるの?」


 ピキッという何かが切れた音が聞こえた気がした。


 三人の表情がみるみる青色に変わり始めた。

 僕は恐る恐る三人の背後を、ひょこっと顔だけを覗かせた。

 立っていたのは、今日会った白峰カスミ先輩と、もう一人はポニーテールの女性の二人だった。

白峰先輩の顔は優しいそうだが、赤いオーラみたいなものが背中からフツフツと湧き上がっていた。

先輩三人組は、白峰先輩と目を合わせると一層頬を引きつらせて、小さく身を寄せ合う。


「よ。よお。カスミン」


 てるやん先輩が震えた声で、右手を挙げる。


「元気そうねてるやん。何をやっているのかしら?」

「こ。これは、その。昼間の償いでこいつに飯でもおごろうかと……」

「こいつ?」


 白峰先輩は一歩迫る。

 てるやん先輩はのけぞる形になった。体格で有利な城ヶ崎先輩までもが、圧倒され後ろに下がる。


「ひい! カゲル君です」

「なるほどね。ちょっとこっちに来なさい」

「そ、それは勘弁を……」

「来なさい!」

「!」


 心臓を貫くような鋭さに、反論もできなかった。

 一瞬の間にカスミ先輩が三人の腕と肩を持ち、強引に店の外に連れて行ってしまった。

 三人の顔が血の気が引いて青冷めているのを見届けた。


 座席に残された僕は、ただただ呆然といることしかできなかった。

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