第29話 スポットライト

 次の日、ケイシは1時間も早く家を出ることにした。誰よりも早く、グラウンドに行ってサッカーをしたい。ケイシは、そう思っていた。玄関を出ようとして診療所を覗くと、父も、早くから動物たちの餌やりをしていた。

「行ってきます」

 猫の餌をやりながら、父は、振り向きもせず、右手を挙げた。

 自転車に乗ると、坂道を勢いよく下る。空は、雲一つないいい天気だった。

 急いで自転車を駐輪場に置くと、バックを片手に走り出す。部室を開けると、そこには着替えを済ませたユウマがいた。

「一番じゃないのかぁ」

 ケイシは、ユウマに先を越されて悔しがる。

「なんだよ、俺が一番だと思ったのに」

 後ろを振り向くと、ダイチも悔しそうに顔を歪めていた。

「おはよう。ほら、早く着替えて。始めるぞ」

 ユウマに背中を押され、ダイチと急いで部室に入る。

 着替えを終えて、グラウンドに向かうと、ユウマはもう、倉庫からボールを出し始めていた。二人が出てきたのを確認すると、ユウマは、ストレッチを始めるために座り込んだ。手招きされ、ケイシもユウマの隣に腰を下ろした。すると、ダイチが、力を入れてケイシの背中を押すようにして乗り掛かる。

「あいたたっ」

「体が硬いなぁ。ずる休みしてたからだろう」

 茶化すようにちょっかいを出すダイチに、ケイシも意地になって前のめりに体を倒して思い切り伸ばしてみた。

「いたたっ」

「あっ、ハルトだ。ハルト、おはよう!」

 ユウマが、校門から入ってくるハルトを見つけて声をかけた。ハルトは、少し迷ったのか、一瞬立ち止まると、ワンテンポ遅れてから、ようやく左手を挙げて合図した。その様子を見て、ユウマとダイチが目を合わせて、笑い転げる。

「あはは、本当に可愛いやつだな」

「まったく、素直じゃないんだから」

 ハルトは、恥ずかしいのか、そそくさとその場から歩きだし、校舎の中に入っていった。

「そうだ、昨日は、ハルトの練習見に行ったんだろ?」

「何だ、ダイチも知っていたの?」

「俺もさ、ユウマから聞いて、一度だけ見に行ったことがあるんだよ。やっぱりアイツはすげぇよ」

 ダイチは、感心するように呟く。ダイチの瞳に映ったハルトの姿は、何か響くものがあったのだろう。

「そうだね」

「さ、俺達も負けてられないぞ。ほら、練習始めるぞ」

 ユウマが、スッと立ち上がる。ダイチも立ちあがると、ケイシに手を差し伸べた。ケイシは、その手をしっかりと握ると、ダイチの力を借りるようにして立ち上がった。気持ちと同じで、いつもより体が軽くなったような気がしていた。

 しばらくボールを追いかけていると、坂田がグラウンドの奥で見守るように立っているのに気が付いた。坂田は、何も声をかけてこない。ユウマが挨拶すると、坂田は頷くように頭を動かしただけだった。

「なんだか見張られてる気分だよ」

 ダイチが笑った。予鈴のチャイムがなると、坂田は職員室に戻っていく。ユウマは、すぐに、ボールを倉庫にしまった。

「よし。じゃ、後は部活で」

 ダイチと階段を書け上がり、ジャージ姿のまま教室に向かう。担任と途中すれ違うと、ジャージ姿に驚いたのか声をかけようとしていた。

「始めるぞ」

 担任は、そのまま何も言わずに教壇に立った。

 ハルトは、授業が始まると、窓辺に頭をつけるようにして眠っている。その顔は、幼い頃のあどけない表情だ。


 放課後、部活が始まると、グラウンドでは昨日の疲れなど全く見せないハルトがいた。ちょうどその時、テニス部の女子生徒がランニングを終えて横切っていく。ボレーシュートを打つハルトに、女子の声援が飛んだ。

「やっぱり、あいつは持ってるなぁ」

 ダイチが、頬を膨らます。グラウンドに立つハルトは、やはり誰よりも輝いて見える。昨日のハルトとは大違いだ。輝きの裏側を見られたような気がして、ケイシは少しだけ得をしたようにも思えていた。

 部活を終えると、ダイチの買い食いの誘いを断り、ケイシはいつものように、プールにいた。

「今日は、機嫌がいいな、小僧」

「そうかもね」

 すっきりした表情をしているように見えたのか、ケイシを見つめる杉山の表情もどこか明るく感じていた。

「じいさんのかけてくれた言葉のおかげかもね」

「お、そんなこと言えるようになったのか」

 冗談を言うように、口を尖らせてみると、杉山が、ビート板でケイシの足を叩いてきた。

「まぁ、いいことだよ。そうやって人は前に進んでいくもんだ」

 杉山の言葉に、ケイシはしっかりと頷いた。

 プールの門を、杉山と一緒に閉め終わると、ケイシは駐輪場に向かう。自転車の鍵を外して、押し出した時、自転車のタイヤから嫌な音がした。

「あれっ」

 カラカラとタイヤを回してみると、どうやら尖った石を踏みつけたのか、タイヤがパンクしているようだった。

「あぁー」

 うなだれたように声を出したケイシに、杉山が近づき、声をかけた。

「あぁ、こりゃパンクだな。プールの近くには一軒、自転車屋があったはずだが……」

 慌ててスマホを取り出して検索すると、営業時間はとうに過ぎていた。

「あぁ、ウソだろう」

「ついてねぇな、小僧」

 杉山が、からかうように笑う。

「置いとけ。俺が明日、持っていてやるよ」

「いいの?」

「あぁ。まぁその自転車も随分、疲れてたんじゃないか。たまにはこうやって、パンクして、限界だ、メンテナンスしくれって言っているのかもしれねぇしな」

「そうか。ごめんな」

 自転車を撫でるようにして触るケイシを見て、杉山が、「まぁ、それは冗談なんだがな」と笑った。


 帰り道、公園を通りすぎると、ベンチに座る人影が見えた。自転車を降りて、ゆっくりと近づくと、そこには真っ直ぐどこか遠くを見つめるユイがいた。

「この間は、ごめん」

 ケイシが声をかけると、ユイが振り返った。ケイシだと気付くと、ユイは柔らかな笑顔になった。隣に座ると、グラウンドでは、ハルトが一人、居残り練習をしているのが見えた。暗闇の中でグラウンドを灯す光は、まるでハルトだけを照らすスポットライトのように見えた。 

「やっぱり、ハルトはすごいよ」

 ケイシが投げやりに呟くと、ユイの顔から柔らかい笑顔がスッと消えていく。ケイシは、慌てて言葉を探していた。 

「あ、違うんだ。前までは、正直、そう、嫉妬のような気持ちだったけど……。でも、今は少し違うんだ」

「どういうこと?」

 ユイが、不思議そうな顔をして瞬きをした。

「今は、ハルトのこと、ちょっとだけ理解出来たような気がする」

「そう」

 ユイは、安心したかのように言葉を吐き出した。

「ケイシが羨ましい」

「え?」

「三島ハルトは、あなたのことそう言っていたことがある」

 ユイは、グラウンドのハルトをじっと見つめながら続けた。

「いつも周りに囲まれてるって。きっとそれは、ケイシが自分のことを知ろうと努力するように、誰のことでも理解しようとするからだって。自分はいつも、そんなケイシが羨ましいって、そう言ってた」

「まさか、ハルトがそんなこと……」

「人は、自分のことになるとよく見えなくなるものだから。きっと、三島ハルトが言ったこと、あなたの素敵な部分なんだと思う。私も、最近あなたと話をするようになって、三島ハルトが言ったことがなんとなく、分かる気がする」

 あのハルトが、自分のことをそんな風に思っていたとは、とても想像出来なかった。

「一度、三島ハルトときちんと向き合ってみるべきよ」

 ユイの言葉に、背中を押されたような気がした。

「ありがとう!」

 気が付くと、ケイシはユイにお礼を言うと、そのまま駆け出していた。

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