第16話 コイン
ハルトとユウマが向かい合う。投げ出されたコインは、3回転するとゆっくりとそのまま坂田の手のひらに収まっていった。コインを確認すると、坂田はボールを、ハルトに手渡した。紅白戦は前半、後半15分のミニゲーム形式で行われることになった。ハルトはダイチと、ケイシはユウマと同じチームで戦うことになった。
「どうした?ケイシだって努力してきたんだろう」
駆け寄ってきたユウマが、ケイシの背中を力強く叩いた。緊張がスッと全身から抜けていくような感じがした。ユウマの呼びかけにしっかりと頷くと、しゃがみ込んだケイシは、靴紐を固く結んで目を瞑った。
今は、この時に集中する。そう自分に言い聞かせてゆっくりと立ち上がる。ユウマが言った通り、出来ることはやってきたはずだ。
坂田が手をあげると笛の音がなった。ゲームが始まる。
「いつまでやってるんだよ」
ダイチは、何度も空に向かってコインを投げていた。投げられたコインは、何度か回転するとダイチはそれを掴んでは、もう一度空に放り投げた。
「だってさぁ」
紅白戦は、2-1でハルトのチームが勝利した。得点をあげたのは、ハルトが2点、ユウマが1点だ。調子が悪い中でも2得点をあげるハルトは、やはり周りとはレベルが違って見えた。
「惜しかったよなぁ」
投げられたコインは、空に舞い上がると、ダイチの手には収まらず、そのまま地面に落ちていった。
後半12分、サイドから抜け出したダイチは、ディフェンダーをかわして、一気に駆け上がった。相手に囲まれる前に、体勢を崩しながら放ったゴールは、惜しくもゴールバーにはじかれ、転がった。それを押し込んだのが、ハルトだった。これが決定打になり、ハルトのチームが勝利した。
「勝ったんだからいいだろう」
ダイチと違って、ケイシに見せ場はなかった。
「ほら、コイン返しにいくぞ」
地面に落ちたコインを拾い上げると、ケイシは、ふてくされた顔をしたダイチと職員室に向かった。
職員室のドアを開けると、坂田が何やら話し込んでいるのが見えた。坂田の前に立つのはハルトだ。
「容体はどうだ?」
「あんまり変わらないです」
「そうか」
ダイチが、何のことだとケイシの顔を見つめている。きっと、母親のことだろう。坂田が振り返るのを見て、ケイシは慌ててコインを取り出した。
「これ、グラウンドに落ちていたので持ってきました」
「あぁ、すまない」
坂田にコインを手渡す。ケイシは、横に立つハルトの顔をまともに見ることが出来ないでいた。聞きたいことは、山のようにある。ユイのことも、母親のことも、何から口にしていいのか、ケイシは俯くしかなかった。
「新人戦のレギュラーを発表する」
週が明けると、坂田の声にチーム全体が静まりかえっていた。
「フォワードは、ユウマ」
名前が呼ばれた瞬間、チームが一瞬ざわついた。端に立つハルトは、意外にも冷静な表情をしていた。フォワードのポジションは、ハルトではなく、ユウマが勝ち取った。
「ハルト、お前も準備しておけ。状況次第ではお前で行く」
ハルトは、しっかりと頷く。坂田の決定に納得しているかのように、いつもより穏やかな顔をしているようにも見えた。
ケイシは唾をのんだ。ここで選ばれれば、何か変われるような気がしていた。こんな自分を捨て、変わりたい。誰かが差し伸べた手を、ぎゅっと掴みたかった。坂田は、次々に名前を読み上げていく。
「最後に、ダイチ」
最後に呼ばれた名前は、ケイシではなく、ダイチだった。
「よし!やった!」
呼ばれたと同時にダイチは、隣で両手を広げて大声で喜んでいた。
全身から力が抜けていく。やはり選ばれない。誰も助けてはくれない。絶望感に似た感情がゆっくりと襲ってくるような感じがした。
「ここからは、ベンチメンバーを発表する。まずは、ケイシ」
名前が呼ばれた時、ダイチは自分のことのように喜び、「良かったな」と、言って肩を叩いた。公式戦で初めてのベンチ入りだ。喜んでいいはずなのに、笑顔が作れないでいた。大喜びするダイチの横で、ケイシは、ただ地面と向き合っていた。
「まさか、レギュラーになれるなんて思ってもみなかったよ」
ダイチの顔は、喜びで溢れていた。
「お前がなぁ。ヘマするなよ。俺がすぐ代わりに出てやるからな」
ケイシも茶化すように笑って見せた。おめでとう、というべきなのだろうか。その一言が、どうしてもケイシの口からは、出てこなかった。
「頑張ってみるもんだな」
ダイチの言葉が、心に一気に突き刺さる。努力が足りなかったから、選らばれなかったのだとはっきり言われたようで、ケイシは、泣きだしそうな自分を必死になって抑えていた。
「忘れ物をした」
そう言って、ケイシは一人で部室に戻ることにした。
「おい、しっかりしろよ」
忘れ物なんて、本当はしていない。嬉しそうに語るダイチの顔を、これ以上見るのが辛かったからだ。何かを掴み取ったダイチの姿は、ハルトと同じように輝いて見えた。その姿は、ケイシにとって恐怖でしかなかった。自分は、どうあがいても無駄なのだと、烙印を押されたような気がして、涙が流れてきた。
部室のドアが開いた。入ってきたのはユウマだった。ユウマは、何も語ろうとはしない。すすり泣く声だけが、部室に響いていた。いたたまれない感情が、ケイシの全てを壊していくようだった。
「ユウマは、強いよ……。いつもこんな気持ち味わってたなんて。練習しても、悔しい思いして頑張っても、お前が狙っている場所にはハルトがいる。俺には、耐えられない」
ユウマの顔も見ることが出来ない。そんなケイシに、ユウマはタオルを差し出した。
「悔しい思いをしたってことは、それだけ頑張ったってことなんじゃないか」
ユウマの穏やかな声が、心の奥に沁みていく。
「でも、レギュラーになれなかった」
「ベンチに入れたじゃないか。前進してる。その一歩は大きい。すぐに望みが叶うようじゃ、つまらないだろ。まだ強くなれる機会が与えられた、そう思えばいいじゃないか」
そう言うと、タオルを手渡して、ユウマは静かに部室を出ていった。ケイシは、一人取り残された部室で大きな声で泣いた。
「今日はもう、泳がねぇのか」
ケイシは泣き腫らした眼で、プールに浮いていた。1時間位たっただろうか、ずっとプールの天井を見つめている。何も変わらない景色が、ケイシに現実を突きつけているかのようだった。
「沈むなよ」
杉山はそういうと、事務所に戻っていく。それ以上、杉山は何も声をかけてはこなかった。
帰り際、学校のグラウンドにはいつものように灯りがついていた。シュート練習をするハルトは、近づくケイシに気づかない。
ボールを拾い上げ、険しい顔をして、位置を確認しながら何度もゴールをイメージしていた。集中しているハルトは、周りの雑音なんて聞こえていないのだろう。ケイシは咄嗟に、ハルトがセットしたボールを先に走り込んで、蹴り上げていた。シュートしたボールはバーに弾かれ、バウンドする。
「なんだよ!入れよ」
叫んでみても、ボールは静かに転がっていく。悔しがるケイシに、ハルトの表情も和らいでいくようだった。
「俺をレギュラーにしろって、また暴れるのかと思ったよ」
「思ったプレーが出来てないなら、外されてもしかたねぇだろう」
ハルトは、ボールを拾いあげると、ケイシに投げた。
「忘れたか?状況次第では、俺にだってチャンスはあるってことだ。絶対にあの場所に戻ってやるよ」
ハルトの瞳には、力があった。こんなところでつまずいている暇はないと、言い切ったようなその姿は、いつもの強気なハルトだった。
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