第27話 光
「これからちょっといいか?」
土曜日、午前中の部活が終わると、すぐにユウマが声をかけた。返事をすると、ケイシは、そのままユウマに連れられて、電車に乗り込んでいた。窓の外に目をやると、ダイチが笑顔で手を振っていた。
今日も、ハルトは部活を休んでいた。まだ、ハルトとは上手く関係を戻せずにいる。二人きりになるとぎこちなく、それとなくダイチを探しては、同じ空間にいることを避けていた。ハルトの前から立ち去る時、いつも背中に痛みが走るような、そんな気持ちになった。多分、ハルトは捨て猫のような顔をしている。そう思うと、振り返ることもできずに、気持ちはどんどん重くなっていた。
「どこに向かうの?」
隣に座るユウマは、優しく笑うだけで何も答えてはくれない。電車は、静かに揺れていた。三坂中学前から2駅目でユイと同じ星蘭中学の学生たちが乗り込んでくる。ユイがいるはずはないのに、その学生の中に、自然とユイを探している自分がいた。
「なぁ、ケイシ。この間、俺のこと強いって言ったよな」
電車のドアが閉まったと同時に、ユウマがゆっくりと話しだした。
「うん」
ユウマは、いつだって強かった。ハルトにレギュラーを奪われたあの日から、弱音を吐くこともなく、ハルトを追いかけてきたし、チームが落ち込めば励まし続け、模範となった。その強さは、ハルトとは違ったユウマの魅力だ。
「俺はさ、そんなに強くなんてないよ。今の自分じゃ、全然ダメなんだ」
その言葉を聞いた時、ケイシは驚きを隠せなかった。ユウマが、ケイシの前で弱音を吐くのは初めてのことだ。ユウマの顔を覗き込むと、ユウマは、これも僕なんだと、目を細めて微笑んでいた。
「ハルトが初めてレギュラーを取った日のことを覚えているか。先輩達から、すごい反発があっただろう」
その時のことは、ケイシもよく覚えている。突然のハルトのレギュラー抜擢は、驚きでしかなかった。ハルトは、1年生の時から今と変わらず勝ち気な性格で、そのせいもあり、敵も多く、部員の中でも少し浮いた存在だった。レギュラーに選ばれた時期は、納得のいかない先輩たちの目が特に冷たく、ハルトが一人、悪者のような扱いになった。
「あぁ、覚えてるよ。坂田の目が間違ってるとか、えこひいきに違いないって、みんな言ってた」
「そう、俺の方が上手いって言ってくれる先輩もいてさ。実際、俺もハルトのレギュラーには納得いかなかったんだ」
レギュラーを勝ち取ったハルトに、笑顔で「頑張れ」と、言っていたユウマが、そんな事を考えていたとは思いもしなかった。
「だけど、ハルトは急激に伸びただろ。びっくりしてさ。俺だって、こんなに毎日頑張っているのに、何でハルトだけって。頭では納得しようとしても、どうしても心の奥では受け止められない自分がいてさ」
坂田にしごかれているハルトを見るうちに、先輩たちも少しずつ態度を変えていった。ハルトは、どんどん実力をつけていき、周りを黙らせていった。黙らせたというより、周りはそんなハルトを見て、黙るしかなかった。
「それで、俺、ハルトの後をつけたことがあるんだ」
優等生のユウマからは、想像もできない行動だった。
「ユウマもそんなことするの?」
「もちろんさ」
ユウマは、これが自分の姿なんだと、堂々と言い切ったような顔をした。
「俺、見たんだ。ハルトが隠れて一人でずっと練習していたところ」
「え?」
あの当時は、顧問が坂田に代わり、慣れない練習に苦労した。部活が終わると、口数も少なく、皆、そそくさと帰宅していた頃だ。
「今では当たり前のことかもしれないけれど、俺たちが知る随分と前から、ハルトはずっと一人で練習していたんだ。多分、ハルトが一番、疑ってたんじゃないかな、坂田の目を。そんなに俺はすごくないって、そう思っていたから、きっとずっと隠れて一人で練習していたんだと思う」
電車が止まると、ユウマは「行くぞ」と、先に電車を降りた。ケイシも、すぐにユウマの後を追った。
「ハルトさ、この頃ずっと様子が変だっただろう。もちらん、母親のこともあったと思うけど、俺、どうしても気になってさ。また、後をつけてみたんだ」
ユウマが指をさす。振り向くと、そこには南稜高校があった。
「ここ……」
「行こう」
ユウマに連れられ、ケイシは校内へ進んでいく。門をくぐると活気のある生徒の声がすぐに聞こえはじめた。体育館を横切り、左手にグラウンドが見えてくると、ユウマが足を止めた。目を凝らして見ると、そこには、高校生の中に一人だけ後れをとって走る少年がいた。一回り身体の小さい少年は、どんどんと周りから引き離されていく。その少年は、まぎれもなくハルトだった。
「何であいつが?」
「ハルトさ、たまに南稜高校の練習に参加してる。視察があったあの日、自分から参加させて欲しいって頼み込んだみたいなんだ」
「そんなの、知らなかった」
周りから、「もっと走れ」と、檄が飛ぶ。一番後ろを走るハルトは、いつもグラウンドで見ている誰もが憧れるハルトとは違う。息を切らして、倒れそうに走り込む姿は、ケイシもしばらく見た事がない姿だった。
「ここでは、多分、ハルトが一番下手クソだよ」
ハルトは、途中で引きずるように足を止めた。「何やってんだ」、「さっさと続けろ」、次々に厳しい言葉がハルトに浴びせられていく。ハルトは、空を見上げるようにして上を見ると、気合を入れなおしたのか、また足を一歩前へ出し、走り出した。
「あんなハルト、見たことないだろう」
ふらふらになりながら、やっとの思いで走り終えるハルトは、ペットボトルの水を一気に飲み干すと、すぐにグラウンドの中央へと向かっていった。ボールを追いかけるハルトは、とても辛そうな表情をしていた。サッカーを楽しんでいる姿はどこにもない。ボールを受けても、何度もすぐに相手に倒されていた。その度に、周りからは檄が飛んだ。ハルトと周りとの力の差は、歴然だった。
「ハルトが焦ってみえたのは、多分、このせいだ」
グラウンドでは、「やる気はあるのか」と、監督の厳しい言葉が聞こえていた。ハルトが頭を下げている。もう一回やらせて下さい、そう頼みこんでいるようだった。
「本気だよ。本気でハルトは、上を目指してるんだ」
ハルトのいる世界は、ケイシのいる世界とは、きっと違う。だけど、そこにいるハルトは、ケイシと同じように泥臭く、もがいているように見えた。ハルトは、また、激しいディフェンスに倒されていく。その場でうずくまるハルトの姿に、ケイシは思わず叫んでいた。
「おい!ハルト!」
フェンス越しにかけた声は、きっとハルトには届かない。そんなことはどうでもよかった。ただ、声をかけずにはいられなかった。
「お前はそんなものなのかよ!違うだろ!」
ハルトの姿に、どこか自分の姿を重ねていたのかもしれない。大きな声で叫ぶしかなかった。
「まだやれるだろ!」
そんなものじゃない。もっと前を向け、立ちあがれ、ケイシは、夢中で声をかけ続けた。惨めなハルトなんて見たくない。強くなハルトはどこへ行ったのか。ケイシは、喉が枯れるほどに声をかけ続けていた。
その後も、ハルトは、ふらふらになった足を地面に力強く踏みつけ、歯を食いしばってボールを追いかけていった。
「あの時のハルトも、きっとチャンスをモノにしたんだ。初めは小さな期待だったし、もしかしたら、その期待も間違いだったかもしれない。でも、それを本物に変えていったのはこうやって、がむしゃらに頑張ったハルト自身なんだ」
ユウマは、そういうと少し俯き、続けた。
「俺は、あの時のチャンスをモノに出来なかった。だから、決勝で外されたんだ。もちろん、今でも諦めていないよ。いつかはハルトからポジションを奪ってやるって、そう思ってる。だから俺も、ハルトに負けないくらいやるつもりでいるんだ」
ケイシは、溢れ出る涙をぬぐうことも忘れて、ただ必死になってハルトに声をかけ続けた。自分だってまだやれる、諦めるな。ケイシの心の中にも、小さな光が見えたような気がした。
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