第13話 ブルー

 部活が終わると、ケイシの足はプールに向かった。ユイの様子が気がかりだった。きっと、靴を受け取りに来るだろう。その時、彼女はどんな顔をして受け取るのだろうか。自転車をこぐ足は、自然と力が入った。

 ハルトとは、まだ必要以上に話さない。話してしまうと、自分の張り詰めた糸が緩んでしまいそうだったからだ。部活を休んだ理由も、まだ聞けずにいる。ハルトは、いつもと変わらない。周りが気を遣うほど、相変わらずサッカーに夢中で真剣だった。

「ユイちゃんなら、さっき取りに来て、帰っていったぞ」

 プールに着くと、受付にいた杉山が手招きをした。

「追いかければ、まだ近くにいるかもしれんなぁ」

 ゆっくりと背伸びをしながら、杉山は窓に目線を落とす。 窓からは、ユイの歩く姿が見えた。ケイシは、何も言わずに走り出していた。

 入り口を出たところで、グレーの学生服を着た3人組の女子生徒とすれ違う。くすくすと、馬鹿にしたような笑い声がした。ユイが、何か言われたのだろうか。ケイシの耳元には、女子生徒の嫌な笑い声が残っていった。

 駐輪場を右に曲がったところで、青いセーラー服の後ろ姿が視界に入る。その右手には、昨日、見つけたローファーがあった。泥は消え、光沢を出している。きっと、杉山が磨いてくれたのだろう。

 走ってきた音に気がついたのか、ユイがふと、立ち止まる。振り返った顔は、いつもと変わらない凛とした表情をしたユイだった。

 大丈夫?、どうしたの?、どの言葉を発してみても違うようで、ケイシは、ユイの瞳を真っ直ぐ見つめたまま、立ち尽くしていた。追いかけてきた理由が、思うように口に出せない。

「好きな色、何色?」

「え?」

 ユイの問いかけは、唐突だった。

「私はブルー。教室でもね、グレーの中に一人だけブルーでいると、何だか気持ちが落ち着くときがあるの」

 星蘭中学の制服の色は、グレーだ。制服は、ブレザーとセットになっており、どこか上品な印象を受ける。ダイチが以前、星蘭中学の制服が、一番可愛いと言っていたことを思い出す。

「私は、グレーの色には染まらない。染まるつもりもないわ」

 ユイは、ゆっくりと口角を上げて微笑むような表情をして見せた。作り笑いとは違う、何とも言えない、決意に似たような顔だった。

 セーラー服は、澄んだ青色をしている。肩から胸元まで細く白いラインが入り、白いリボンがついている。その制服は、大人びた顔立ちのユイを、より一層、引き立たせていた。

 強い風が吹く。白いリボンの端がゆっくりと揺れる。ユイは、乱れる髪を押さえながら、「じゃあね」と、笑っていた。


「何だ、今日は天井見つめないのか」

 プールに戻ると、すぐに着替えを済ませ、プールサイドに座り込む。結局、ケイシは、ユイに一言も声をかけることが出来なかった。

「ボーっとしていると溺れるぞ」

 杉山の言葉には、ろくに反応もせずに、そのままゆっくりと足の先から水の中に落ちていった。頭まで沈むと、目を開ける。そこには、いつもと変わらないブルーの世界があった。ここだけは、ずっと変わらない場所であって欲しい。ケイシは、水の中で瞬きをしながら、そう思っていた。

 水面に顔を出すと、隣のレーンでは、勢いよく泳ぐ星蘭中学の生徒の姿があった。豪快に泳ぐ男子生徒を横目に、ケイシも負けまいと泳ぎだす。息継ぎをする度に、プールサイドでは、3人組の女子生徒達の笑い声がまた、耳に響いていく。

 何も考えたくはない。ブルーの世界から顔を出すと、現実世界へ引き戻される気がした。ケイシは、息継ぎをすると、すぐに水面に顔を沈める。全身に力を入れ、必死に泳いでいた。

 しばらくして、疲れてプールの底に足をつくと、隣のレーンの生徒は、すでにプールサイドにいた。ケイシは、息を整えながら、揺れる水面だけを見つめていた。

「熱でもあるのか」

 杉山が、声をかける。ケイシは、口をつぐむ。そのまま、水面に浮かびだすと、杉山はまた、「溺れるなよ」と言って、管理室に戻っていった。

 時間になると、いつも通り杉山の手伝いをした。杉山は、口数の少ないケイシに、特に何も聞こうとはしなかった。

「ほらよ」

 オレンジジュースを取り出すと、杉山は、ケイシの目の前に差し出した。それを受けとると、ケイシは、その場で一気に飲み干していた。

「ほほぅ。今日もいい飲みっぷりだな」

 杉山は、満足そうに笑っている。

 空を見上げると、雲もなく星がよく見えた。この場所から見える景色は、ケイシをとても温かい気持ちにさせた。

「なぁ、じぃさん」

「なんだ?」

 杉山が、また門を閉めるのにとまどっていた。鈍い音が辺りに広がる。

「自分のこと好き?」

「なんだ気持ち悪い。そんなことより、手伝ってくれ」

 杉山に呼ばれ、ケイシは手を貸した。門は、ケイシの力が加わると、スッと動き出す。閉め終わると、杉山は手についたサビを払いのけて話し始めた。

「好きかどうかなんてわかんねぇけどなぁ、自分のことわかってやれるのは自分しかいないと年取ってから、つくづく思うぞ。他人なんてな、小僧が思っている以上に自分に興味はもってないもんだ。そんなことに期待するくらいなら、自分が自分の味方である方が気が楽だと、俺は思うけどなぁ」

 ユイに何も言えない自分は、臆病だと思った。声をかける度胸もなければ、知らない顔をする勇気もない。それは、多分、ユイの反応に自分が傷つくのが怖いからなのかもしれない。どこまでも自分勝手な考えに嫌気がさした。

 ハルトなら、こんな時にどうしただろうか。ケイシは、深いため息をついた。ハルトならきっと、ただ真っ直ぐに行動するだろう。気持ちに正直に、自分の思ったことをすぐに行動にする。そんなハルトが、ケイシはとても羨ましく思えていた。


 帰り道、偶然、ダイチに出くわした。ダイチは、体力作りのために、毎晩走り込んでいたらしい。ケイシと目が合うと、気まずそうに笑っていた。

「俺だってさ、少しは変わりたいって思ってるんだよ」

 そんな真面目な事をいうダイチは、初めてだった。

「俺、小さいころから足が速くて、中学行ったら陸上やろうとも考えてたんだ」

 ダイチは、照れ隠しなのか、何度も頭を掻いていた。ダイチの足の早さは、短距離ならば、サッカー部でも上位だ。それは坂田も皆、わかっている。

「けどさ、ワールドカップ、お前も見ただろ。絶対負けるって言われていた試合をさ、ひっくり返したんだ。ゴールの瞬間、ピッチ上で大の大人が、すごい喜んで泣いてた」

 ケイシも覚えている。テレビの中には間違いなく、日本のヒーローがいた。きっと憧れを抱いた子どもは、ダイチだけではない。ケイシも、その一人だ。

「顔がさ、みんな必死で。全てをサッカーに捧げて、全身でその瞬間を生きてるって感じで。俺、あんな風に、いつかなりたいってそう思ったんだ。だから、サッカー部に入ったんだけど。……まぁ、現実はそう簡単にはいかねぇもんだな」

 ダイチは、おどけていた。いつもふてくされている顔しか思い出せないのは、自分がダイチのことを良く見ていないだけで、ダイチは自分よりずっと先に駆け出していたのかもしれない。

「ハルトの言うとおり、戦う前からびびってたたのかもしれないなぁ、俺」

 そう話すダイチは、いつもよりなんだか大人びた顔をしていた。

 自分は変われるのだろうか。手をふって走り出すダイチを見送りながら、ケイシは、そんなことを考えていた。どんどん周りから取り残されていく。ケイシは、焦る気持ちを抑えるのに必死だった。

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