第6話 猫のようなやつ

「じいさん、鍵」

 何度呼びかけても、杉山は新聞を広げたまま、ケイシに目もくれない。

「また、税金の無駄使いしやがって」

 杉山が、何やらぶつぶつと言っている。

「さっきから、何言ってるの?」

 ケイシの問いかけに、杉山は語気を強めた。

「新しく役場を立て直すんだとよ」

「この間、補修工事終わったばっかりじゃなかった?」

 ケイシの家から10分程の距離に役場はある。1年前の台風で、タイルが剥げ落ちてニュースになった。

「補修工事してみたはいいが、老朽化が激しいので、いっそのこと立て直すんだとよ。鬼の博物館と併設して観光名所にするだとかなんだとか」

 町には鬼の伝説がある。小さい頃によく聞かされた覚えがあった。悪さをした鬼が山に逃げる途中に、小さな子どもがうずくまって泣いているのを見つける。鬼はその子どもを助けるために、もう一度山を降りることにするが、村人に見つかり、鉄砲で撃たれて死んでしまう。多分、そんな話だったような気がする。悪さをすれば、必ずバチが当たる。子どもに、良いことをするように言い聞かせる話だ。ケイシは、この話をずっと、運命はすでに決まっていて変わらないという話だと思っている。

 杉山は、新聞を放り投げ、ようやく立ち上がって、ケイシの広げた手のひらにロッカーの鍵を置いた。

「全く、人の税金をなんだと思ってるんだ。センスのないやつらが集まって商売始めたって、どうせ上手くいかねぇよ。また仕事しねぇ天下りが増えるだけさ」

「へー。じいさんも、そんなこと考えたりするんだ」

「当たり前だ。お前もこれくらい興味を持て。その頭は何のためについてるんだ。世のため、人のために使わないでどうする。お前はまだ若い。俺なんかよりもたくさんのことが……」

「はい、はい」

 杉山の説教を適当に切りあげ、ケイシは更衣室に向かった。世の中のことなんて、今は考える余裕なんてない。プールに来たのも、いっぱいになった頭を冷やすためだ。

「どうするかなぁ」

 プールに浮かぶと、古びた天井を見つめて、ケイシは昨日の父との会話を思い出していた。

 

 家に帰ると、すぐに父の呼ぶ声がした。嫌な予感しかしなかったが、ケイシは診療室に入った。

「お前、進路決めたんだろうな?」

 父が、運ばれてきたイグアナの治療をしながら話し始めたとき、ケイシは真っ直ぐ見つめてくる檻の子猫に夢中だった。

「おい、聞いてるのか?」

「うん」

 きっと、父親はここを継いで欲しいと思っている。進路の質問が出てくることを、ケイシはずっと避けていた。変な汗が、手に染みてくる。

 ケイシは一人息子で、小さいころから周りに、「大きくなったら医者になるのよね」と、言われてきた。それを喜んでいる父の顔を何度も見てきた。ダイチにも、「決められたレールならあるじゃないか。継げばいい」と言われた。「冗談じゃない」と、言い返したけれど、継ぐことを考えたことがなかったわけではなかった。 

 しかし、ケイシの描いている未来は、なぜだかそこにはないように思えていた。ケイシの描く未来は、もっと華々しい未来だ。そう、きっとハルトのような。

「まだ決めてないのか」

 父の声に、イグアナが暴れ出した。

「おい、ちょっと。そこ押さえろ」

 ケイシは言われるがまま、イグアナの体に触れた。思ったよりも温かく、そして心臓の音がドクドクと波打って、手から体全体に広がっていく。きっとこいつは、今、緊張している。ケイシは仲間を見つけた様で、少しほっとしていた。

「よし、終わった」

 手を離すと、安心したように、イグアナが元気に動き出した。父は、イグアナを軽々と持ち上げ、檻の中にしまった。

「今からだって遅くない。塾に通え」

「え?」

「どうせ、ろくに試合にだって出れないんだろ?部活を辞めて今から勉強すればまだ間に合う」

「でも……」

 父親は、ケイシの言葉も聞かず、「よく考えろ」と、言った。


 杉山が、ケイシの顔を覗き込む。

「小僧、時間だ」

 ケイシは、一度深く潜ってプールを出た。

「ね、ここさぁ、採算とれてるの?」

 着替えが終わると、ケイシはまた、杉山の手伝いをした。

「取れてるわけねぇだろ」

 杉山が、入口のドアの鍵を閉めようとして、また手間取っていた。見かねたケイシは、反対側から力強く押すと、ようやく入り口は閉まった。

「よし」

 照明の消えたプールは、外から見てもどこか気味が悪い。

「ここ、潰しちゃえばいいのに。これこそ税金のムダ使いだよ」

「そりゃダメだ」

 杉山が反論する。

「何で?」

「何でって、俺の働き口がなくなっちゃうじゃねーか」

「さっきと言ってる話、違うじゃねぇか。役場の建て替えは、税金の無駄だって言ってただろ?ここだって同じだよ」

「そうか?」

「そうだよ」

 杉山は、笑っていた。

「誰だってな、自分の身が一番大事なんだよ。世の中はな、そんなもんだ。良く覚えとけ。ほら、さっさと帰りな」

「何だよ、それ」

 世の中を深く考えるな、杉山にそう言われたような気がした。杉山の言うとおり、世の中なんてそんなものなのかもしれない。深く考えると痛い目をみる。平凡な日常だって、きっとそれはかけがえのないものなのだし、世の中は難しそうで、案外、単純なものだったりもする。

 きっと自分の悩みなんて、後から考えると笑えるくらいちっぽけで、独りよがりだったりするのかもしれない。頭では分かっていても、ケイシは何だか納得がいかなかった。


 帰り道、学校のグランドで一人、ボールを追いかけるハルトをみつけた。近づくとボールの跳ねる音だけが響いていた。

「おい、ハルト」

 呼び掛けに、ハルトは振り向きもせず、ひたすらボールを追いかけていく。何度呼んでも、ハルトは答えない。

「ったく」

 ケイシは、諦めてそのままグラウンドを後にしようと後ろを向いた。その時、足元にボールが転がってきて振り向くと、ハルトが笑って立っている。時折、見せるその笑顔は、あの頃と変わらない。

「練習相手しろよ」

 ハルトは、猫みたいなやつだ。こっちが声をかけようとすれば、無視をし、無視をしたかと思えば寄って来る。なんて勝手なヤツなんだと思っていても、嫌だと断れない自分がいる。ハルトの無邪気な笑顔を見ると、なぜだか、いたたまれない気持ちが、胸の中に広がっていく。

 ケイシは、仕方なくハルトにボールを蹴り返した。ハルトは、嬉しそうに走り出していた。

「ケイシ、こっちだ」

 ハルトが、手招きする。こんな風に、暗闇の中でボールを追いかけるのはいつぶりだろう。幼いころ、サッカーボールで遊んでいたケイシの後を追いかけていたのがハルトだった。上手くいかなければ、泣きながら帰ろうとしない。昔から負けず嫌いで、わがままで、本当に困ったやつなのだ。

 よく、ケイシは、暗くなるまでハルトの練習に付き合っていた。今ではもう、あの幼かった頃のハルトはいない。

 ハルトは、ケイシのディフェンスを、右に左に、軽々と突破していく。そして、そのまま、お手本のようなフォームでボールを蹴り上げていく。

「ゴール!」

 ハルトがはしゃぐ。ケイシは、すぐハルトにボールを蹴り返し、荒い息をごまかすように、気迫でハルトに向かっていった。ハルトは、あの頃に戻ったように、無邪気に笑っている。

 ケイシのスライディングもむなしく、4度目のゴールがハルトから放たれたころ、ケイシは力尽き、その場に倒れこんでしまった。

「……そうか、俺、プール行ってきたんだった」

 仰向けに寝ころんだケイシの目に見えたのは、いつものあの古ぼけた天井ではない。空には、満天の星が輝いていた。満天の星に囲まれたケイシは、なんだかよりちっぽけな存在に思えて仕方なかった。

「なぁ、何でお前は、そんなに頑張れるんだよ」

 ハルトは、答えない。ゴールから転がってきたボールを足で受け止めると、リフティングしながら上手に左足に落として、また、軽々とシュートを放った。

「答えるわけないか……」

 ハルトは、答えを教えてくれるようなヤツではない。それに、答えを聞いてもどうしようもない。これは自分の問題なのだと、ケイシも分かっている。

「なぁ、覚えてるか」

 ハルトは、話を聞いているのかいないのか、シュートの形を何度も確認していた。

「あの時のボールだよ」

 ハルトは反応しない。

「覚えてねぇよなぁ」

 そう呟いて目を閉じると、ケイシの頭にボールが飛び込んできた。

「痛ぇ!おい!」

 ケイシは起き上がり、ハルトを追いかける。ハルトはコーナー辺りを指差し、何やら合図をした。

「え?何?」

「早くしろよ」

 転がっていくボールを追いかけると、そこから見えるハルトの姿は、あの時と同じに見えた。

 忘れてはいない。クロスから高くボールを蹴りあげると、あの時の様に、ハルト目がけて飛んでいく。ボールは、高く飛んだハルトの力強いヘディングで、ゴールネットに吸い込まれていく。

「ゴール!」

 ハルトは、またはしゃいでいた。

「何だよ。覚えてたのか」

「あぁ、俺の初ゴールだろ?」

「違うよ。俺の初アシストだ」

 ハルトは笑った。

「下手くそなクロス上げやがって。俺じゃなかったら決まってなかったぞ」

「何だよ、最高のクロスボールだっただろ」

 たった一度だ。記録にも残らない、たった一度のアシストだった。幼いころの紅白戦、ケイシがハルトに上げた最初で最後のアシストだ。アシストなんて上げたくなかった。 

 今までは、ずっとケイシがエースだったからだ。そんなことを思っていたあの頃から、ケイシはゴールどころか、アシストを上げる場所にさえ立てなくなっていた。

 あの頃から、ハルトは少しずつヒーローの道を歩み始めていたのかもしれない。

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