第5話 背中

「練習始めるから、早く部室にこいよ」

 ユウマは、キャプテンになってから、より一層口うるさくなった。ケイシは適当に頷き、眠っているハルトを起こして部室に向かった。

「まだ眠たいのかよ」

 ハルトは大きな欠伸をする。相変わらず、自由人でうらやましい。

 練習が始まると、ハルトの姿は一変する。

「静かに!」

 声援を送る女子に向かって、そう吐き捨てたこともある。周りの声なんて目もくれず、ただ真っすぐボールを追いかけるその姿は、男のケイシでもかっこいいと思うことがある。

「なぁ、次はベンチに入れるよな」

 ダイチが言った。

「後ろから10名は、追加で走ってもらうからな」

 坂田の声だ。部活が終盤になると、いつものようにランニングが命じられていた。もう日が落ち始めている。今日は、風が強く、肌寒い。

「坂田、今日、機嫌悪いなぁ」

「後3カ月で、新人戦だしな」

 ダイチは、ケイシの言葉を無視して、新人戦のことばかりを気にしていた。新人戦は、毎年12月に行われる。新しいチームになって行われる一番大きな公式戦だ。

「ほら、そこしゃべるな」

 坂田が叫ぶ。ケイシはダイチと中盤に位置づけて、先頭集団に少し遅れを取りながら走っていく。先頭には、ハルトの姿が見える。後ろには、ユウマがピタリとつけていた。ダイチは、坂田の声すら無視して、話を続けた。

「2年は俺らをあわせて15人だろ。3年生が引退したのに、前みたいにベンチでもなくて、観客席からの応援は嫌だよなぁ。1年にさ、ハルトみたいに急激に伸びるやつが出てきたらどうする?」

 ケイシは後ろを振り返る。1年生が列になり、必死になって追いつこうと迫ってきていた。あの中に、ハルトみたいなやつがいて、自分はいとも簡単に追い抜かれていくのだろうか。気がつくと、そのハルトみたいなやつらは、もうすぐ側まで来ていて、自分の場所を狙っているのかもしれない。

「ラスト一周!」

 坂田のかけ声で、先頭集団がギアを入れ直し、次々にペースを上げてグラウンドを駆け抜けていく。

「おい!」

 ダイチの驚いた声が、一瞬、聞こえた。ケイシは、ただ夢中でハルトの背中を追った。ただ、ただ必死に、ハルトの背中だけを目指して走った。まだ、間に合うかもしれない。ハルトに追いつくことが出来るかもしれない。ケイシはそう思って、必死に腕を振った。ハルトの背中は、スピートを上げても、どんどん遠くなっていく。追いかけても、追いかけてもその距離は縮まらない。なぜだろう。ハルトの背中なんて見たくないのに、いくら手を振っても、足を前に踏み込んでも、ハルトの姿はどんどん遠くなっていく。風だ、この向かい風のせいだ。風さえなければハルトに勝てる気がしていた。ケイシの目には、ハルトが僅差でユウマより先にゴールした姿が映った。ケイシも遅れてゴールする。

「やっぱり、また負けたな」

 ユウマが、荒い息を整えながら呟いている。ハルトは、少し笑っているように見えた。ユウマと戦う後ろで、必死になって追いかけたケイシの姿は、きっとハルトの目には映らない。隣にすら並べない、無様な今の自分の姿が情けなかった。追いかけても、追いかけても、ハルトの背中は遠い。昔は、ハルトの背中なんて遠く感じたことはなかったはずなのに。

「後ろから10名は居残りだ!」

 坂田の声がした。

「後、ケイシ、お前もだ」

「は?」

「そんなに走れるなら、最初からやれ」

 坂田はそういうと、ケイシの背中を押し出した。

「スタート!」

「マジかよ」

 ケイシは、重たい足をどうにか持ち上げようと、走り出す。前には、ユウマがいた。

「自分も、もう一度走らせて下さい」そう、坂田にお願いしたのだ。一体どこまで、真面目なヤツなのだろうと、ケイシは呆れていた。


「な、な。知ってる?」

 次の日の放課後、ダイチが何かを聞きつけて、教室に駆け込んできた。

「なぁ、聞けって」

 この顔は、きっと何かいい噂を聞きつけてきたに違いない。

「何だよ」 

「なんと、南稜高校の視察が入るらしいよ!」

「え?マジ?」

 ケイシは、驚きを隠せなかった。南稜高校は、県でも有名な強豪サッカーチームを持つ高校である。地元のサッカー少年なら、南稜高校の赤いユニフォームに憧れを持ち、あそこでプレーしたいと、誰もが一度は思うだろう。

「なぁ、ユウマ。南稜高校の視察の話、本当だよな?」

 廊下を歩いていたユウマを、ダイチが呼び止める。

「あぁ、そうらしいな」

「すごいぞ!」

 ダイチは、はしゃぎながら、南稜高校卒業のプロ選手を嬉しそうに挙げはじめた。

「やっぱり、ハルトかな」

「あぁ。去年の県大会の活躍を見て、向こうの監督が一度会ってみたいらしい」

「へぇ」

「もし、推薦が決まれば、開校以来の快挙だな」

 ユウマの一言が、重くのしかかる。ハルトはやはり、ヒーローの道を歩み始めている。


 それから少し経った頃、フェンス越しに、見たこともないスーツ姿の3人の大人が現れた。ハルトの動きを見つめながら、あぁだこうだと言っている。

「来た、来た」

 ダイチが、興奮して指をさす。坂田が深く頭を下げて、ハルトを呼んだ。

「ケイシ、自分もひっかかるかもしれないとか、期待してるんだろう?」

 ダイチが、茶化すように言った。

「そんなことねーよ」

「うそだぁ」

 心の中を読まれている気がした。ダイチの言う通り、もしかしたら、自分にだってシンデレラストーリみたいなものが用意されていて、「あぁ、あの子もいいじゃないか」、なんて言われるかもしれない。ケイシは、そんな期待を抱いていた。期待するのはタダだ。ケイシは、どこか開き直っていた。

 練習中、無駄にゴールを狙ってみせたり、声を大きく張り上げたり、チームはなんだか落ち着きがなかった。いつもと違うのは、ケイシだけではない。皆、どこか浮き足立っていた。

「期待するだけ無駄だったな」

 ケイシをからかったダイチも、また、同じ考えだった。視察にきた大人たちは15分もしないうちに、ハルトを別室へと連れていった。

「ハルトのヤツ、これでまた遠くにいっちゃうな」

 ここにいる誰もが、きっとハルトに嫉妬している。「心から応援するよ」、なんて言うやつがいたら、そいつは大嘘つきだ。ケイシはそう思っていた。


「なぁ、お前は何になりたい?」

 ダイチが帰り際に、そんなことを言い始めた。

「来年は、中学3年生だし、受験生だろ?お前は、何になりたいとかあるのか?」

「そうだなぁ」

「ハルトみたいなの見ると、正直焦っちゃうよ」

 ダイチも、受験と言う現実の壁に、少し戸惑っているようだった。

「なぁ、ケイシはある?やりたいこと」

 ふと、空を見上げた。空には、一羽の鳥が大きな翼を広げて気持ちよさそうに飛んでいる。

「鳥になりたい」

 ケイシが呟くと、ダイチが立ち止った。

「全くおもしろくないぞ、ケイシ」

「ボケたんじゃねぇよ」

 いっそのこと、このまま時が止まってくれればいいのに、ケイシはそう思った。自分には、ハルトのような特別なものはなくて、あるのはこの平凡な毎日だ。これから先に、何か特別なものがあるかもしれないし、ないかもしれない。あると信じている自分と、いくらあがいても、お前に残されているのは、この平凡な日常だけだと、どこか悟った自分もいる。

 数日後、ケイシの手元には、白紙で提出した進路志望が返ってきた。

「書くまでは、絶対に帰らせないからな」

 担任が、ため息混じりに言っていた。教室には、ダイチとケイシ二人だけが、白紙の進路志望の用紙を見つめていた。

「人生はな、色んなチョイスの結果で出来ている」

 ケイシは突然、得意気にダイチに言ってみせた。

「は?」

「だから」

 ケイシは、進路志望の欄をダイチに指さす。

「いいか、この選択で次にいく道が決まるんだ。で、また次の選択肢がやってきて、そこでまた、どれにするか決定する。それで人生の道ってやつが決まるんだよ。それが、険しい道なのか、最短で最良の道なのか、それはその時のチョイスで決まるんだ。つまり、自分の道は自分の選択で決まるってことだよ」

「で、お前の道は最終的にどこに向かっていくんだよ」

「……どこか、だ」

 ケイシは、答えることが出来なかった。

「何だ、結局分かってないんじゃねぇか」

 ダイチが、呆れた顔をする。

「お前だってそうだろ。こんな紙切れ一枚で、進学ですか、就職ですか?どこ行きますか?って、そんなの知るか!」

 ケイシは、紙を机に叩きつけた。

「あ、投げ出したね。今、お前、自分の人生投げ出したよ」

 ケイシは机に、顔をのせてうなだれた。

「いっそのこと、誰かレールを引いてくれ。俺は、そのレールの上を歩いて生きていくよ」

「そのレールはアレだろ?有名になるとか、金持ちになるとか、そんなすごいレールじゃなきゃ結局、ダメなんだろ?」

 また、ダイチに心の中を覗かれたような気がした。

「あぁ、そうだよ。なんでもいいから有名になりたい……」 

 ケイシの答えに、ダイチが笑う。

「道は自分で切り開くものだよ、ケイシ君」

 ダイチが、ケイシの肩を叩く。

「なんだよ、その得意気な顔は!お前だって自分の道、分かってないだろ」

 この後、ケイシは、ダイチと一緒に進学に丸印をつけた。理由はただ一つ。消去法だ。中卒で働く気もなく、まずは進学で、その後の学科は、良く分からないので、普通科に丸をつけた。専門科より、普通科ならその後にあるチョイスの数が多いような気がしたからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る