第57話 マリア・エスタール

 エスタールに滞在して数日が過ぎた時、俺は練兵場に足を運んでいた。

 ドラゴラスと戦った際、ハイランド兵たちの中でもエスタール兵の動きが群を抜いて際立っていたので、どのような訓練を行っているのか興味を引かれたのだ。


 ――俺の目が確かなら、精鋭と謳われたグルニア兵よりも精度は上だった気がする。


 兵の総数が違うので一概にどちらの訓練の方が優れているか比べ難い部分はあるが、それでも、ドラゴラス戦であれほどの動きを見せたエスタール兵を訓練している姿をこの目で見てみたかった。

 練兵場を一望出来る高台に着くと、凛とした声が響き渡る。


「左翼! 動きに乱れがあります! 隣の者と息を合わせなさい!」


 兵たちの最前列、中央で声を張り上げているのはマリア・エスタール。言わずと知れたペガサス四姉妹の長女である。


「次! 鶴翼の陣!」


 マリアさんの指示で、兵たちはまた違う動きをする。

 一斉に動き出し、長蛇の陣から鶴翼の陣へと素早く陣形を変えた。

 その動きに迷いはなく、陣の隊列は綺麗に揃っている。


「……見事だ」


 俺は思わず感嘆の声を上げたが、しかし、マリアさんは納得がいかなかったのか、厳しい声を張り上げた。


「右翼、動きが遅い! そんなことではいざという時、総崩れとなりますよ!」


 彼女はミニスカ姿で馬に跨っており、ともすれば下着が見えそうなほどだったが、そんなことを気にしている兵士の姿はない。

 それだけでマリアさんが普段からどれだけ厳しい指導をしているのかうかがい知れる。

 マリアさんは全体に向かってお叱りの言葉を投げかける。


「いいですか! わたくしたちの後ろには民たちがいるのです! そして、それはあなたたち一人一人の大切な人でしょう!? その人たちを守りたいと思わないのですか!? 愛しい人たちが殺されてしまってもいいのですか!? そうなりたくないのなら、ただの訓練とみて甘く考えるのはおやめなさい! 分かりましたか!?」

『おおっ!!』


 鬼教官。まさしくその言葉がぴったりだった。

 しかし兵たちの中に、反抗的な目をしている者は一人もいない。

 彼らはマリアさんに対して全幅の信頼の目を向けていた。

 ……やはり大したものだ。ドラゴラス戦での兵たちの精度と士気の高さの正体が分かった気がする。


 ――それは全て、マリアさんの将としての器の大きさによるものだったのだ。


 ドラゴラス戦でマリアさんは直接、兵たちの指揮をしていなかったが、それでもあれだけの動きを見せたのは、普段から行われている彼女の訓練に対し、兵たちが絶対の信頼と自信を抱いているからに違いない。

 ……すごいな。俺はこの間、フレインのことをかつてあれほどの王の器を見たことがないと評したが、マリアさんに関しては、これほどの名将を見たことが無い。

 ペガサスナイトたちを率いる手並みも見事だったし、槍の腕前もかなりのものだった。

 エスタールは……いや、ハイランドは本当に良い人材を有しているな。どこかのグルニアとは大違いだ。あ、グルニアって言っちゃった。

 そんなことを考えていると、マリアさんの演説は終わりを迎えようとしていた。


「午後の修練は午前よりもっと厳しくいきますから、そのつもりでいなさい!! では、しばし休憩を入れます! 各自、解散!」


 マリアさんの言葉に従い、兵たちはめいめいに散り散りになって行く。その際もけしてぐだぐだしている者はおらず、兵たちは皆、きびきびと動いていた。……本当に凄いな。

 俺が感心していると、マリアさんがこちらに気が付いた。


「あ、あら、ネル様。見ていらしたのですか。お恥ずかしいところを……」

「いや、大したものだ。本当に、心からそう思う」

「ネル様にそのようにおっしゃっていただけるなんて、これほどの賛辞はありませんわ」

「おおげさだな。たかだか旅人一人の言葉だ」

「『たかだか旅人一人』? 本当にそうでしょうか」

「……どういう意味だ?」

「ドラゴラス戦での折、事前の打ち合わせで見せたネル様のご助言の数々、とてもただの旅人のものとは思えませんでした。わたくしの目は誤魔化せませんわ。ネル様はどこぞの国で、一介の将を張られておられたお方でございます」

「………」

「申し訳ございません。わたくしはただ、かつてない見たことがないほどの名将に出会えたことが嬉しかったのです。もし、お気に触ったのであれば謝ります。どうかお許しくださいませ」


 深々と頭を下げられ、俺は慌てる。


「い、いや、別に怒ってないから」

「やっぱり、お優しいんですのね」

「……俺はただ事実を言っただけだ」

「ふふっ」


 マリアさんと話していると、どうも全て見透かされているようでやりにくい。

 俺が居心地悪そうにぽりぽり頬をかいていると、マリアさんはぽんと手を打つ。


「そうですわ。ネル様、よろしければ、お昼ご飯をご一緒いたしませんか?」

「え? 昼ご飯を?」

「はい。わたくし、美味しいお弁当を持っておりますので、是非」

「あ、いや、だが」

「是非に」

「わ、分かったから。分かったからそんなに顔を近付けるな」


 周りのエスタール兵たちの突き刺さるような目が痛いから。

 あとなんか嗅いだ事のない、いい匂いがするから!


「おや。ネル様ほどの強者でも、狼狽えることがおありなのですね」

「………」

「ネル様ほどの強者を狼狽えさせられるなんて、わたくし、ゾクゾクしてしまいますわ。いっそ、この方向で責めてみようかしら」

「頼むからやめろ」


 姉二人はまともだと思っていたのに、長女にもまともじゃない疑惑が出てきたんだが。

 しかし危険な艶を出していたのは一瞬、マリアさんはすぐにいつもの柔らかい笑顔に戻る。


「では、お昼ご飯をいただきましょうか」

「……了解」


 頼むからただの優しいお姉さんキャラでいてくれ。

 俺は切にそう思った。

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