第56話 エスタールでの日常
アイスマリーの打ってくれた剣は、それは大したものだった。
――かつてこれほど剣が手に馴染んだことがあろうか? 剣が思い通りに動いたことがあろうか?
どんな固い物でもまるで紙のようにスパスパ切れる。
反面、切りたくないと思えば、どれだけ刃を立てようが切れない。
あたかも剣そのものに俺の意思が通っているかのようであった。
あまりにも楽しくて、俺は時を忘れて剣を振り続けた。
エスタールの修練場の中、そんな俺に対し、エフィとルナが呆れた声を出す。
「まるでおもちゃを与えられた子供だにゃ~」
「ですわね。あんな楽しそうなお兄様、初めて見ましたもの」
一方で、アイスマリーは嬉しそうだった。
「あぁ、マスターが、私が作った子を、あんなにも振って、突いて、ああ……」
……前言撤回。嬉しそうというよりも、なんか感じているように見えるのだが……。
そんなアイスマリーを見て、さすがのエフィもドン引きしている。
「……なんかこの子、ヤバくない……?」
「え、ええ。ちょっと特殊な性癖というか……」
「自分で作った物を使われて感じるって、どんだけ変態的な性癖なのよ……」
「ですわね」
ですわねって、ルナは完璧にアイスマリーを変態認定しちゃってるじゃん。
まあ、涎を垂らしながら悶えているアイスマリーを見たら、擁護も出来ないんだが……。
試しに俺が「ふんっ」と剣を半回転させると、アイスマリーが反応するようにして「ああっ!」と喘ぎ声を出す。……あの、めちゃくちゃやりづらいんだけど……。
しかもその隣でルンとランが真似して「ああんっ」「お兄さん、もっとぉ」などと体をくねらせているのが激しくうざい。……誰もいない夜に練習しに来ようかな。
そんなことを考えていると、真面目な顔をしたフレインが前に出てくる。
「ネル様。よろしければお相手願えませんか?」
鞘に入った剣を持って、彼女はそんなことを言ってきた。
……あれは真剣か。
「いいのか? 真剣同士の勝負でお姫様の身に傷が付いても知らないぜ」
「ふふっ。そんなことを言って、ネル様は女性の体に傷を残したりするお方ではないって知っておりますから」
「……お前なあ」
「でも、出来たら遠慮なくやっていただけると、私は嬉しいです」
そう言ってフレインは鞘から剣を抜いた。
その真面目な顔に、俺は嘆息するしかない。
「分かったよ。どちらかが参ったと言うまででいいか?」
「はい。それで構いません」
「オーケー。じゃあ、どこからでもかかってこい」
俺は剣をぶらりと下げ、自然体のままフレインと対峙する。
しかし、それだけでフレインの額から汗が流れ落ちた。
「……さすがネル様。まるで隙がありませんね」
「そうか? 自分じゃ意識しているわけじゃないんだが……」
俺は本当に普通に立っているだけのつもりだった。
しかし、どうやらいくつもの修羅場を潜り抜けている内に、自然とそういう体になっていたらしい。
ずっと勇者パーティで壁をさせられていたからなぁ……。
「とはいえ、このままじゃ何も始まらないだろ。ほら、これでどうだ」
俺はわざと両手を広げて見せる。
それでもフレインの表情は変わらなかった。
「……ネル様。ご自分では気づかれていないかもしれませんが、隙のなさは変わっていませんよ」
「え? そ、そう……?」
俺は狼狽えるしかなかった。こんなに隙だらけにしているつもりなのに。
しかし、その狼狽えた瞬間が隙となったのか、ようやくフレインがかかってくる。
「はあっ!!」
横一閃。
む、中々鋭い一撃だな。力こそないものの、技の冴えだけならあのアランを超えている気がする。
そんな冷静な分析をしながら、俺は体を後ろにずらしてそれを避けた。
「はああああああああああああああああっ!!」
そこからフレインは猛烈な勢いで剣を振りまくってくる。
横に、縦に、剣閃を躱しながら、俺は内心で感嘆の声を上げた。
――おお、これは中々……。
身体強化の魔法を使わない状態では、意外と避けるだけで精一杯だ。
――ふむ、ちょうどいい。これはミスリルの剣を試すのにもってこいか。
アランと戦った時は剣が折れることを恐れてまともに打ち合えなかったが、今は違う。
俺はフレインの剣に、正面からミスリルの剣を当てにいく。
――キィンッ!!
火花が散り、剣と剣が当たった。
それだけでフレインがよろめく。
……やはり彼女は力がない。それにミスリルの剣の性能も相まって、普通に当てただけなのにフレインが隙だらけになってしまった。
棒立ちしているのも何なので、俺は続けてもう一振り剣を振るう。
フレインは慌てて剣で防ごうとするが、
――カキンッ! ヒュンヒュン……ッ! ザクッ!
弾かれたフレインの剣は弧を描き、地面に突き刺さった。
フレインは茫然とその剣を見つめている。
わざわざ剣を突きつけるのもあれなので、俺は剣を下ろした。
すると、
「……参りました」
フレインが頭を下げる。
「……やはり全然相手になりませんね」
「そんなことはない。フレインは筋がいいよ」
実際、フレインの実力はアランに劣っていない。
それに、彼女の一番得意な得物は恐らく槍だ。それなのに、剣でここまで俺と打ち合えるだけで上等だと思う。
そんな風に考えていると、フレインは何やら嬉しそうに笑っていた。
どうしたのか首を捻る俺に向かって、彼女は言ってくる。
「やっと、名前で呼んでくれましたね?」
「え? あ」
ようやく気付いた。自分が初めてフレインのことを呼び捨てにしていたことを。
何だかこっぱずかしくなって、ばつが悪そうに頬を掻いていると――
気付けば両隣にルンとランが陣取っていた。
こ、こいつら、いつの間に……!?
「お兄さん、ついにやりましたね~?」
「エスタールの正式な跡取りであるフレインお姉ちゃんのことを呼び捨てにしたとあっては、これはもう責任もってお婿さんに来てもらうしかないですね~?」
「ですです~。エスタール家にようこそです~」
「ネル・エスタールの誕生です~」
「ルンとランのことも名前で呼んでくれていいのですよ~? お・に・い・ちゃ・ん」
「ほらほら~。照れずに~。さんはい、ル」
「ルン、ラン、殺す」
「まったく照れないどころか殺気が籠ってますけど!?」
「初めて名前を呼んでもらったのに、こんなのあんまりです!?」
隙があれば絡んでくるルンとランを、そろそろ本気で折檻してやろうと俺は動き出したが、捕まえようとすると、ひょいひょい手を躱されてしまう。
……お、俺の動きに対応しているだと!?
こいつら猿か!?
ルンとランは、わー、きゃー、言いながら楽しそうに俺の腕を掻い潜っていた。
鬼ごっこじゃねえんだよ!? こっちは結構本気で捕まえに行ってるんだぞ!?
ルンとランの天賦の才能を見た瞬間だった。
身体強化の魔法を使うのはさすがに大人げないし、ちょっとイラついていると、エフィとルナがゆるい笑顔を浮かべていた。
「にゃはは、なにをやってるんだか」
「最近では割とこの光景も見慣れてきましたわね」
最初は何かと反発することが多かった彼女たちだが、すっかりエスタールの屋敷に染まっていた。
あと、アイスマリーは俺がフレインの剣を弾いたところで完全にイッてしまわれたようで、一人でびくんびくん体をくねらせている。……そっとしておいてあげよう。
そんなエスタールでの日常は、意外と悪くないものだった。
――だが、俺は認識していた。
別れの時が、もう間もなく近付いてきていることを。
……それは仕方のないことなのだ。
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