第58話 マリア・エスタール その二

 マリアさんが重箱の蓋を開けると、そこには色とりどりの料理が入っていた。

 重箱の中は色彩豊かで、良いにおいも漂ってきて、食欲をそそられる。


「ささ、どうぞ、ネル様」

「じゃあ、遠慮なく」


 マリアさんから手渡されたフォークを握りしめ、まずは唐揚げっぽい肉を口の中に放り込んだ。

 頬張った途端、口の中にほどよい塩気の肉汁が広がっていく。

 ……というか、これ、唐揚げか? 前世のあの味とよく似ていたそれは、しかし前世で食べた物よりも数倍は美味しかった。

 そこから肉じゃがっぽい物や、ナポリタンっぽいパスタにも手を伸ばす。

 もぐもぐと咀嚼しながら、俺はつい呟いた。


「……うまい」


 どれも冷めても美味しい物ばかりだった。

 それに、何だか懐かしい味だ。


「本当ですか? 作った甲斐がありましたわ」

「これ、もしかしてマリアさんの手作りなのか?」

「え、ええ。お恥ずかしながら」

「い、いやいや、プロ顔負けの腕前だって。それに家庭的な雰囲気もあるから、どこかほっとするというか……」


 そう、なんとなく、前世の子供の頃に味わったような、あんな味がするものばかりだった。

 思わず無言で食べていると、マリアさんが言ってくる。


「ふふっ。わたくしの夫になってくだされば、これくらいいつでも作ってあげますよ」

「は?」

「わたくしったら、そういう風に夢中になって食べてくれる人は初めてだったので、つい嬉しくなってしまいました。こういう風に、殿方のために作って差し上げるのも悪くはないかなって」

「マリアさん」

「ふふっ」


 先程までの鬼教官ぶりはどこにいったのか、そこには柔らかな笑みを浮かべた美人のお姉さんがいるだけだった。

 何気にこういう女らしい女性に免疫がない俺は、その笑みを向けられただけで思わず顔が赤くなってしまうのを自覚してしまう。


 ――ただ、周りにいる兵士たちの殺気の籠った目がヤバい。


 彼らはさりげなくこちらを見ているつもりだろうが、殺気がだだ漏れのせいでこっちをガン見していることがバレバレだった。

 しかしながら、マリアさんがどれだけ兵士たちから慕われているかがよく分かる。あれほど厳しくしごかれているというのに、どうやら兵士たちはマリアさんのことをとても尊敬しているようだ。半分以上は憧れの念も入っている。


 ――そりゃあこれだけ美人で有能な上司がいたらそうなるか……。彼女にはカリスマ性もあるしな。


 つまり、そんなマリアさんの隣にいる俺に向けられる殺気は異常。その数も相まって、さすがの俺も冷や汗が止まらない。


 ちなみに後から聞いた話では、兵たちはいつもマリアさんから弁当を分けてもらっているらしい。

 で、周りにいる兵たちは部隊長などお偉方で固まっているらしく、彼女の手作り弁当食べたさに、交代制でいつもさりげなくマリアさんの周りをうろついているのだとか。『マリア様の手作り弁当を食べたければ偉くなれ』――それがエスタール兵たちの鉄の掟らしい。……やべえなこいつら。


 だからこそ、たった一人でそれを独り占めしている俺に向けられる殺気は以下略。血涙を流している者さえいるから、もう怖いのなんのって……。

 だからって、今日ばかりは俺はこのポジションを譲る気はない。それほどマリアさんの弁当は魅力的だった。

 それをマリアさんほどの女性を隣にしながら食べるのだから、美味しさが格別だ。

 夢中で頬張る俺を、マリアさんが慈しみの表情で見てくる。

 その空間は俺を限りなく癒してくれるのだった。



 **************************************



「ごちそうさまでした」


 俺は合掌して、深く頭を下げた。


「いいえ。我が国の恩人にこのようなものでもてなしてしまい、恐縮でございました」

「いや、すごく美味しかった。俺にとっては金銀財宝より、よっぽどこっちの方が価値あるものだったよ」

「ま、まあ。さ、さすがにそこまでおっしゃっていただけるほどの物ではなかったと思いますが……」

「いや、俺はつまらない嘘は吐かない。全部本当のことだ」

「ネ、ネ、ネル様……」


 いつも笑顔を絶やさないマリアさんが顔を赤くして俯いている姿は新鮮だった。

 そして、周りからの殺気がもう臨界点を迎えようとしている。


「あ、あの、よろしければ、少し散歩しませんか?」

「あ、ああ、構わないぜ」


 なにせこの殺気から逃れられるなら何でもいい。

 そんなわけで、俺はマリアさんの提案を即行で飲んだ。



 *************************************



 マリアさんに連れられてきたのは、練兵場のすぐ近くにあった、エスタール家が所有する花園だった。

 辺りには色とりどりの花が咲き誇っており、甘い香りが漂っている。

 水が湧き出ているのか、花園の中央には噴水があり、ちょっとした池になっていた。


 その池にかかる橋の上を、俺とマリアさんは歩いている。

 ここは関係者以外入れないのか、周りには誰もいない。


 隣にいるのは絶世の美女であるマリア・エスタールであり、彼女はとても女らしい女性だ。これで意識するなという方がおかしい。

 その彼女と花を愛でながら歩くというのは、とても心地良い空間であった。平静を保つのが難しくはあったが……。

 そんな俺を見透かしたように、たまにクスッと笑うマリアさんがとてつもなく可愛い。

 俺よりもお姉さんなのに、背は俺よりも低いから、下から見上げてくるのも魅力的だった。


 ……あれ? 何か俺、いつの間にかマリアさんにぞっこんになっているような……。兵士たちの気持ちが分かってきたかも。

 ただ、ふと――

 彼女の顔が寂しげなものに変わる。

 どうしたのかと思っていると、しばらくしてから、彼女は正面を向いたまま口を開く。


「ネル様……ずっとこのエスタールに滞在していただくわけにはいきませんか」

「え?」


 マリアさんの顔は、相変わらず前を向いていた。


「わたくし、妹たちのあんな楽しそうな顔を見たのは久しぶりでした。母が死に、アラン・ヴェスタールの色欲と、ドラゴラスの脅威に晒され、妹たちはずっと辛そうな顔をしてばかりだった……。わたくしは姉として何とかしてあげたくても、どうにもしてあげられず、自分の無力をなげくばかりで……。そんな時、現れてくれたのがあなたなのです」

「……俺が?」


 そこでようやく彼女はこちらを向く。

 マリアさんはこれまでで一番優しい笑顔を浮かべていた。


「あなたが来てから、妹たちの顔に笑顔が戻りました。知っていますか? ルンとランがあのように笑ったの、母が生きていた時以来なのですよ」

「あいつらが……?」

「フレインだって、いつ緊張の糸が切れておかしくなっても不思議じゃなかった。あの子を救ってくれたのはあなたなんです。あなたはあの子のヒーローなんです。あの子には頼れる人が必要なんです。……あの子が頼れるのはあなただけなの! だから……だから……」

「………」

「ごめんなさい、勝手な話をしてしまって……。でも……」


 彼女の顔は今までで一番真剣だった。

 しかし――俺はその顔に答える術を持たなかった。

 俺が黙ったままでいると、マリアさんは焦った顔で言ってくる。


「……もしエスタールにいてくれるなら、わたくし、何でもしてあげますよ?」

「……マリアさん」

「本当に、何でもしてあげます。お望みなら、この場でわたくしをお好きにしていただいても……」

「マリアさん……」

「なんて……。そんなことで思い止まってくれる方ではありませんものね」


 マリアさんは寂しそうに笑った。


「あーあ、ルンとランも満更ではなさそうですし、ここに居てくれれば、本気でわたくしたち四姉妹をまとめてお好きにしていただけるかもしれないのに」


 そのセリフには、俺は吹き出すしかなかった。

 そんな俺に構わず、マリアさんは悪戯っぽい笑顔をこちらに向けてくる。


「ご存知でしょうか? わたくしたちペガサス四姉妹といったら、この国ではちょっとした羨望の的ですのよ」

「そ、それは知ってるが……」

「もし、この国に居ていただけると約束してくださるなら、わたくしが無理矢理にでも四姉妹揃ってあなたの閨に向かわせますわ」

「ま、マリアさん、何を言って……!」


 ――ペガサス四姉妹を同時にだって?


 心が揺らがないと言ったらウソになるが、さすがにまだ幼いルンとランをどうこうするのは問題があるだろう。ルンとランは確かに美形で可愛らしい子たちだが、まだまだ子供だ。

 俺は鉄の意思をもって、首を横に振るしかなかった。


「……ですわよね。冗談です。未練たらしい女ですわね、わたくし。妹たちをダシに使って……最低な女ですわ」

「そんなことはない」

「いいのです。優しくしないで下さいませ。諦められなくなってしまうから……」


 その目が、心から寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。

 ……こんな自分勝手な男のどこがそんなにいいのだろう?

 彼女がどこからどこまで本気で喋っていたのかは分からない。

 でも、なんとなく心が重かった。



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