奇跡 アド・アストラ解散までの180日(川添淳一郎)
アド・アストラ解散のニュースが駆け巡ったのが七年前の秋のこと。ラストアルバムの発売、年末の解散ライブの開催。その解散劇は実にスマートなものだった。メンバー同士の仲も良好。ボーカルの椎名恭介はソロアーティストとして順風満帆、他のメンバーも別バンドやスタジオミュージシャンとして活躍している。
デビュー十周年での発展的解散――あの解散劇については、そういうイメージであった。
『奇跡 アド・アストラ解散までの180日』は、アド・アストラへの密着取材によって得た証言をもとに書かれた、音楽雑誌『ノーツ』で連載されたルポルタージュの単行本化だ。
作者の川添淳一郎は、スポーツライターとして『決断 岸辺冬馬・二十四球の叙事詩』で一躍人気作家となり、NHKテレビでは冠番組も持ち、若者から絶大な支持を集める「時代の人」だ。
この『奇跡』の単行本化も、川添淳一郎の名前がついていれば何でも売れる、という出版社の見込みありきのものだ。筆が早く、知的好奇心も旺盛で、長期間の密着取材を苦にしないタフネスと、相手に好意を抱かせる名人とも言われる人間的魅力を持っていた川添は、さまざまな現場で重宝されてきた腕利きのライターだった。ゆえに、川添の書き仕事で後世に残る形になっていないものは、いくらもあるというわけだ。実際、無記名の仕事も相当数があり、これらの成果をまとめるのは、不世出の作家に対する出版界の責務と言ってもいいだろう。
閑話休題。
アド・アストラの解散は、確かに目立った衝突などは無かった。お互いの間に不仲などがあったわけでもない。あえて言えば「音楽性の違い」という古典的な言い訳こそが解散の理由としては一番近いものだった、という。
しかし、川添の眼は、その「音楽性の違い」というありきたりな言葉の持つ、生々しい痛み、苦しさを浮き彫りにする。
ボーカル・作詞の椎名と、ギター・作曲の寿の対立は、表立っては行われなかった。彼らは確かにお互いを尊敬していた。椎名は今もなお「俺はトモ(寿)みたいな格好いいリフは書けない」と言うし、寿もまた「椎名氏の歌声には、どんな曲も愛の歌に変える力がある」と言っている。
寿は自分もボーカルをやりたいと考えていた。だが、それを決して表立っては言わなかった。椎名の面子を立てたのか、自分のプライドを守りたかったのか。彼は決して、アド・アストラにいる間、そう言わなかった。
そして、椎名も、寿にそう薦めはしなかった。今、自分の声が求められているという事実を盾に、高校時代からの親友の希望とすら正面から向き合わずに、やり過ごそうとした。決して寿を否定したわけではない。ただ、そうするべきであるにも関わらず、そうしないでいいからという理由で、そうしなかった。ただ、バンドに寿のリフが必要だからというだけで。
二人は傷つけあうことを避けた。
そこには、真正面から人間関係やら素行やらで衝突するバンドのお約束のような揉め事よりも、ずっと生々しい痛みがあった。その淡々とした筆致は、取材対象への絶え間ない愛情によって書かれている、とまで評される川添の筆とは思えない、突き放した冷たさがある。
二人の関係を表現するための筆致の選択か、あるいは川添は彼らにタフに取材を続けながらも好意を抱けなかったのが表れたのか。単純に、当時の川添はまだそうした冷静さの中に愛情を滲ませるような文体を得ていなかっただけ、という可能性もある。
ともかく、綿密な取材によって多面的に描かれた彼らの半年は、破滅的な衝突による大きな亀裂などはなく、氷が解けるように、あるいは炎が消えるように、どうしようもない不可逆の変化が起こるさまを描いたものになった。
のちに、椎名は自エッセイでルポルタージュの書き様を挙げて「川添さんのことはみんながそうであるように俺も大好きだけど、俺は川添さんに嫌われてしまった数少ない人間だったかもしれない」とも書いている。
あるいは、川添は当時彼らの間にある不穏さについて、何か直接口にしていたのかもしれない。川添は、取材対象のことは本人が知る以上にすら書くが、彼自身についてはそれほど多くのことを書かなかったからだ。
そういう意味では、川添にしては珍しい冷淡さのある筆致の中に、多作な筆者がまるで残さなかった自身の感情を読み取る作品としての面白さもある、と言えるかもしれない。
発売日の六月十二日は、川添の一周忌となる。
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