炎帝本紀(クラウス・ハーン)

 中世、中央アジアをロシアの支配から救い、多数の民族・国家を統一して「炎帝」「炎の女皇帝」と呼ばれた皇帝がいた。その名をファーティマ一世という。


 ファーティマ一世について書かれた本は日本語はおろか英語でも存在せず、その存在には謎が多いようだ。筆者が中央アジアの歴史に疎いせいもあろうが、かの地方に皇帝がいた――それも女性の――ということは知らず、非常に驚きを覚えるものだった。

 女性君主は、しかし洋の東西を問わず存在しており、珍しくはあるが確かにあり得るものだったのだろう。


 彼女が炎帝位を得るまでの半生は、血にまみれたものだった。生まれると同時に背に巨大な火傷を負い、両親を失って狼に育てられ、羊飼いとして暮らすもロシアの支配によって地を追われ、夜盗を率いて一大勢力を為す。狼に育てられる、は現実とは異なるのであろうが、こと古い歴史書というものは事実を書き記しはしないものだ。

 だが、そうした伝承が作り上げた挿話は、事実ではなくとも真実を物語る。

 ファーティマ一世の「狼に育てられた」という挿話は、言うまでもなく事実ではないだろう。だが、古代ローマの建国王の逸話に準えたと思しきこの伝説が語られることは、彼女が当時の人々にどのように思われていたのかを知ることができるという意味では真実そのものでもある。


 そうして己の一大勢力を築き上げた彼女は、ふたたび「タタールの軛」を取り戻すべく、周囲の小国を併合していく。振るった刃から地獄の炎が吹き上げ、草原を焼き尽くしたという「緋色の鉞」の逸話などは、彼女が火攻めを得意としたとか、征服より侵略とでも言うべき政治方針を有していたことを意味しているのであろう。

 この「緋色の鉞」は、その後、炎帝の玉璽(レガリア)として伝えられていくことになる。それは、彼女の武威の象徴が、そのまま王権の象徴になるという意味だけでなく、その政治方針そのものが継承される意味合いがあるのだろう。


 長き戦いの果てに、彼女はついに中央アジアを統一し、いわば皇帝と呼べる地位を得る。

 炎帝という名は、その半生が流れる血と燃え盛る炎に包まれたものであったことに由来する、半ば蔑称めいたものであった。だが、それが己に課せられた使命であると受け入れ、それ自体を王に代わる新たな君主号としたのだから、ファーティマ一世の豪胆たるや恐るべきものである。


 しかし、その栄光は長くは続かない。

 彼女の苛烈過ぎる政策は反感を呼び、彼女自身の強烈なカリスマ性無くして、国体を維持することはできない。「緋色の鉞」は衰退する中で失われ、七将体制によって統治されていた炎帝国は、撚糸を解くように崩れ落ちていく。結局、その帝国は二代で潰え、中央アジアはふたたびロシアの支配下へと入ることになる。

 特に歴史の終盤においては妖精や魔法の類が頻出するようになり、また文章には叙情的な記載が増えているが、国体の衰退とともに事実を記録するものが無くなり、本紀の執筆者が伝承を取り込んで補ったものであろうか。


 いずれにしても、知られざる歴史が、こうして世に出ることは大変に望ましいものであるように思う。


【追記】


 本書はフィクション(小説)であり、ファーティマ一世は実在しない人物であるとのご指摘を多数いただきました。誤った情報に基づいた記事の作成をお詫びし、以後このようなことがないようチェック体制を強化し、注意していく所存です。

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