異形の神々(東雲八雲)

 気鋭の民族学者、東雲八雲の新刊。

 『異形の神々』では、三面六臂の異形で知られる阿修羅や、知恵を得るために隻眼となった北欧神話の主神・オーディン、百の眼を持つギリシャ神話の巨人・アルゴスといった「異形」の神々について横断的に考察し、多肢や欠損といった特徴と神々の権能について考察を行っている。


 東雲はそうした「異形」について、部位と「増加/減少」という観点から整理し、それと権能を紐付けることで、「損失を代償にして霊感を得る代償型」「人間離れした権能の象徴としての増殖型」など、神々の異形を構造主義的にいくつかの分類に整理している。

 また、そうした整理された異形のタイプが、現実にそうした「異形」を持っていた人々に当てはめられてきた事例を、盲目の詩人と考えられてきたギリシャ神話の詩人・ホメロス、古代中国の貴人の相とされる重瞳を宿していた覇王・項羽などの歴史・伝説上の人物に当てはめ、そうした伝説や逸話から彼らに何が仮託されていたのかを、豊富な実例とともに分類していく。

 そのスマートに整理された異形の型については、とくに権能の解釈において牽強付会のきらいが見られるが、これは構造主義という思想そのものが持ち合わせる罠――ジョルジュ・デュメジルの三機能仮説にもみられた、結論ありきの編集の魔術――あるいはより俗な言い方をすれば「箇条書きマジック」とも――であり、これは批評され、洗練されていくなかで、より妥当で適切な形に磨かれていくものであると考えるべきだろう。


 また、この本のなかで特筆すべき点は、「異形」の設定が実際に図像として描かれたものの事例として、コンピューターゲームや、トレーディングカードゲームといった現代的な娯楽に登場する、異形の神々をモチーフにしたキャラクターを取り上げ、それらが現代的な「異形」に対する社会的なスタンスの変容――今日、腕が無い人を「異形」と呼べば、社会的批判は免れ得ないだろう――の観点から、どのように図像が変わったか、また「異形」を非異形に変形させつつデザインの中に取り込んできたか、またそれによる想像される権能の変化を挙げている点だろう。

 隻眼の大神は片目を前髪で隠した青年になり、百の目を持つ巨人は瞳めいた宝玉を埋め込んだ甲冑を身にまとう戦士になり、三面六臂の修羅は六振りの剣を中空に念力で浮かべた表情豊かな少女になる。

 ここの記述については、民俗学から離れてキャラクターデザインなどの創作論の範疇になり、東雲の専門範囲から離れるものである、ということが記載されおり、論そのものの確かさを含めて怪しい部分ではある。

 また、この部分の記述には東雲の持論自体にブレがあり、その確かさを検証をする段階にすらないとも言える。


 しかし、古典神話における異形の神々が、現代のキャラクターとしてどのように描画されるか、という観点による現代的な権能の解釈の変化、という視点は、民俗学のような種類の学問によってしか切り込むことが難しい領域である、ということもできる。

 もっとも怪しい部分にこそ、もっとも発展的な可能性が眠っていると言えるだろうか。

 先行研究の把握もやや甘いきらいがあり、いずれにしても、より洗練され・発展した形でこの続きが出ることを期待したいものである。

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