今に向き合え

 思い出した。

 今の慧は初めて会った時と同じ目をしている。

 私はその目に怯んだ。

 何を言えば良いのだろうか。


「美咲は、僕がいないほうが良い?」


 そんなはずない。


「僕は、どうすれば良いか分からないよ」


 慧は何を知りたいのだろう。


「僕は、美咲に見てほしい。美咲に笑ってほしい。美咲に喜んでほしくて、いろいろやった」


 慧は一呼吸置いて続けた。


「けど美咲は、僕を見てくれなくなった」

「何を言ってるの? 私はずっと一緒に……」


 自分で言っていて、私の『見る』と慧の『見る』とでは決定的に何かが違うことを気づいていた。

 でもそれが何なのかが分からない。

 私はうつむく。


「ほら」

「え?」


 今私は確かに視線を外したが、そんなことが慧をここまで傷つけたのだろうか?


「どういうこと? 私達はずっと一緒にいるわけじゃないでしょ? 私が慧を見てない時なんて今までたくさんあったと思うんだけど……」

「美咲の目は、温かかった。今は違う」


 なんとなく分かってきた。

 慧の『見る』とは、たぶん心だ。

 でも私の慧に対する気持ちは変わっていない気がする。

 何なのだろう。


「ごめんなさい。もっと頑張るから。美咲に見てもらえるよう頑張るから」


(なんで謝るの? 傷付けたのは私でしょ?)


「……だから、帰って」


(どうしてそんなに寂しそうな顔をするの?)


 そんな顔を見たら……


「嫌」


 帰れるわけないよ。


「私、慧をちゃんと知りたい。だから、お話ししよう?」

「……うん」


 慧は起き上がり、私を見つめる。

 私も隣に腰掛ける。

 慧の目に、少しだけ、光が灯った気がした。


 自分で言っていて思ったことがある。

 私は、慧のことをどれだけ知っているのだろうか。

 私は正直、慧のことを変な子だと思ってる。

 おかしな行動をするし、空気を読まないし、恥じらいはないし。

 でも、どうしてそんなことをするのか、考えたことはあっただろうか。

 私は、本当の意味で、慧のことを知ろうとしてこなかった。

 でも慧は、私のことを知ろうとしていたと思う。喜ばせようとしてくれていたと思う。喜べないことも多かったけど。


(私、慧に甘えていたみたい)


 私は慧に、お返しがしたい。

 慧に、喜んでほしい。

 だから話そう。

 とことん知ろう。


「慧は、私に何をしてほしい?」

「僕のことを見てほしい」


 いつもなら、その意味を深く考えず、見てるじゃんと言ってしまうだろう。だから……


「見るって?」


 もっと踏み込むんだ。

 慧に近づくんだ。


「分からない」


 なんと。

 慧にも分からないのでは私に分かるわけがない。


(いやいやいや)


 諦めるな、私。

 まだ聞けることがあるはずだ。

 慧が私に言ったことを思い出すんだ。


 慧は言った。『見てくれなくなった』と。

 それはつまり、最近は出来てたということだ。

 私は少なからず、慧を喜ばせられていたということだ。


 私が慧に何をしたのだろう。

 考えていて悲しくなってきた。

 とりあえず別のことを考えよう。


 私はお風呂で慧の顔を見られなかった。

 あの時が一番慧を傷つけたはずだ。

 もしくは限界に到達したか。


 あのとき、私は慧に見るよう言われたのに目をそらした。


(それだけじゃない。慧に抱きつかれたとき、私は……)


 私は、慧を拒絶・・したのだ。

 それを慧は感じ取ったのかもしれない。

 さっきもそうだ。

 私は慧の言葉に疑念を抱いた・・・・・・

 ずっと見てるし、目を離したときだってある、と。


 考えてみれば、私は今まで、慧の言葉を疑ったことはなかった。


(そうか、そうだったんだ)


「慧、私は、慧のことを信じてるよ」


 慧に、私の気持ちを告げよう。


「私、いままで慧と一緒にいることがどれだけ幸せか考えたことなかった。でも、今なら分かる。私は、慧と一緒にいたい」

「……」


 慧の目に光が戻ってきた。

 でも、もう1歩。

 私はまだ、慧を傷つけた分を修復してしかいない。


 バスの中で考えていた。

 慧は私にとって何なのか、答えは結局出なかった。

 でも、今やっと分かった。


「私、慧がいてくれないと、笑えないみたい」


 恋奈に言われて気づいた。


「慧といるときが一番楽しい」


 今までずっと一番だったから気づかなかった。


「私、慧のことが好き」


 私は慧のことが好きだったんだ。

 たぶん、あのときからずっと。


「ありがとう。嬉しい」


 慧の目に、光が戻った。

 もう1歩!

 自分の気持ちに気づいた今、もっと慧に近づきたい・・・・・


「慧は、私のこと好き?」

「分からない」

「えぇ?」


 はっきり答えてほしかった。

 だが私もさっきまで答えられなかったのだから何も言えない。


「でも、美咲にはそばにいてほしい」


 きっとそれが好きということなんだろう。

 私はそう思うことにした。


「なら、その気持ちを知っていこう。……一緒に」

「うん」


「じゃ、じゃあ・・・目を閉じて」

「うん」


 これは証だ。

 私が慧を好きだという。

 これは誓いだ。

 私の気持ちが言葉だけじゃないという。

 これは愛だ。

 私の気持ちを形に。そして慧へ1つ目のお返し。


 私は、慧と唇を重ねた。

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