思い出される過去

 学校を抜け出して、慧の家に到着。

 慧のベッドまで来て、慧がいることを確認する。

 揺すっても起きない。

 改めようかと心をよぎったが、今出ていったらもう来られなくなるかもしれないという思いで踏みとどまった。

 そもそも、こんな時間にどこへ行こうというのか。

 家に帰れば大目玉だ。


(あれ?)


 布団をめくろうとしたが、強い力に引っ張られてびくともしない。

 慧は起きているようだ。

 でも返事がないということは、そういうことなのだろう。

 試しに足元からめくってみると、簡単にめくれた。


(めくれてしまったけど良いのかな?)


 ついそんな事を考えてしまった。

 布団の中には背を向け、手足を曲げて丸まった慧がいた。

 ずっとそうしていたのだろうか。


「慧」


 呼びかけても慧は反応しない。


「慧、こっち向いてよ」


 慧は寝返りを打って私の方を向いた。

 だがそれだけだった。

 他に何かをするわけでもなく、偶然声と寝返りのタイミングが重なっただけだと言われたら信じてしまいそうだ。

 慧は私をじっと見つめていた。

 だが、その目に光は見えなかった。


「ぅ……」


 私は心の、なにか大切なものを射抜かれたような気がした。

 慧がこんな目をするのは初めてだ。

 いや、そういえばずっと前に同じようなことがあった気がする。

 私の意識は過去へと飛ぶ。


◇◆◇


 私のお隣さんには、同じ幼稚園の慧くんがいる。

 慧くんは喋らないし、遊ばないし、不思議な子だった。


 ある日、なんとなく慧くんを見ていると、先生が困っていた。

 先生は慧くんに何か言っているようだったが、慧くんは全く反応せず、先生を見ることすらなかった。

 お母さんは『先生の言うことを聞いてね』と言っていたのに、慧くんは悪い子だと思った。


(私が注意した方が良いのかな? うーん)


 私が悩んでいると、慧くんがこっちを見て私と目が合った。

 私は驚いて思わずうつむく。

 慧くんの目が少し怖かったのだ。

 慧くんはまた視線を落とした。

 私がまた見ると、また目が合った。不思議だった。


 ある日、折り紙の時間にて、先生が私を慧くんの隣にした。

 先生が折った紙飛行機を真似て、私も折ったが、うまくできなかった。

 一応飛ばしてみたが、すぐに落ちた。

 慧くんは、全く動かなかった。

 私はただただ不思議だったので聞いてみた。


「慧くん、折らないの?」

「なんで?」


(喋った!)


 返事が来るとは思わなかったので驚いた。

 なんでと聞かれたが、そんなのは簡単だ。


「先生の言うことは聞かないとダメなんだよ」

「なんで?」

「お母さんがそう言ってたから」

「なんで?」


 これでも分からないとなると、もう説明できない。


「えっと……とにかく折ってよ」


 これ以上は聞かれても困る。だってそうなんだもん。


「……」


 私の思いが通じたのか、慧くんは折り紙を折った。

 慧くんの紙飛行機も、私と同じようにうまくできていなかった。

 折り紙は難しいのだ。私だけ下手なわけではないのだ。


「同じだね」


 私は同じ折り紙ができない子ができて嬉しい。

 このとき、慧くんも笑った気がした。


「慧くん、先生のこれも折ってみない?」

「……」


 先生が慧くんに先生の紙飛行機を見せてそう言ったが、慧くんは全く反応しなかった。

 先生の紙飛行機はきれいで、どこまでも飛んでいきそうだったのに。


 その後、私は慧くんとよくいるようになった。

 何かするときは先生が私を慧くんと一緒にするからだ。

 慧くんは先生のことを相変わらず無視するけど、私から言うとするようになってきた。

 するなら始めからすればいいのに、変な子だった。


 縄跳びや粘土など、いろいろ一緒にやったが、慧くんはだいたい私と同じくらいだった。

 だんだん楽しくなってきた。


 ある日、初めて名前を呼ばれた。

 慧くんとは仲良くなってきていた。


「美咲ちゃん」

「なに?」

「……」


 呼ばれただけだった。


 自由時間。

 私は砂場遊びでもしようと、慧くんを誘った。


「慧くん、一緒に遊ぼ」

「……うん」


 それから、慧くんは先生を無視しなくなった。

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