慧のいない日常

 次の日。

 慧は私の家に来なかった。

 何となく慧の家に行きづらかった私は、慧を置いて1人で登校した。


「神井がいないな。地原、何か知ってるか?」

「いえ……」

「そうか」


 慧が来ないのは私のせいかもしれない。

 でもこれはわざわざ言うことではない。

 田中先生は私の様子に触れず、ホームルームを始める。

 慧の席をふと見ると、恋奈と目が合った。

 その目は恋奈とは思えないほど冷たかった。


「な、なに?」

「……別に」


 恋奈は声も冷たかった。

 怖かった。

 私が何かしてしまったのだろうか。


 お昼は1人で食べた。

 恋奈は誘えなかった。

 屋上で食べたのだが、もう夏だというのに、少し寒かった。


 帰り道。

 バスの時間がいつもより長く感じた。


 次の日。

 慧は今日も来なかった。

 昼休みに恋奈に呼び出された。


「ねぇ、美咲はさ、神井君をどう思ってるの?」


 いつもの冗談めいた声音ではない質問。

 この質問には真剣に答えなければいけないと思わせる気迫があった。


「どうって……」


 でもだからと言って、いきなり答えが出せるようになるわけではなかった。


「私さ、今の美咲を見てるとイライラするの」

「え?」


 恋奈は私の答えを待たずに続けた。


「どうして神井君を迎えに行かないの? どうして1人で学校に来てるの? どうして美咲は、そんなにつまらなそうなの?」


 冷たい理由は私にあったようだ。


「気づいてる? 美咲、神井君が来なくなってから笑ってないよ。ずっと暗い顔してる」


 言われてみればそうかも知れない。


「どうすれば良いか分かってるくせに何もしてない。なのに自分がかわいそうだとか思ってるの? よくそんな顔できるね」

「うっ」


 言い返せない。

 このところ授業に身が入らないのだ。


「神井君に何をしたの?」

「それは……」


 私が何かしたんだろうとは思うのだが、実は何が悪かったのか分かっていないのだ。


「何かしたんでしょ? 神井君が美咲と会わないなんて、よっぽど傷つけたんじゃないの? 風邪引いてるだけなら田中先生にあんな受け答えしないよね?」

「……」

「何か知ってて言えない理由があるんでしょ? そしてそれに美咲は負い目を感じてる」

「……」


 まくしたてる恋奈に、私は圧倒された。


「私はね、2人に笑っていてほしいの。美咲が自分に正直じゃなくても、神井君の想いが美咲に通じてなくても、2人が笑ってれば口出しする気はなかった。けど、もうだめ。見てられない」


 恋奈の声音が更に冷たくなった。


「美咲、神井君のもとに行って。今すぐ」


 恋奈は外を指差してそういった。


「え、でも授業……」

「まだそんなこと言ってるの? 今の美咲は受けてないのと同じだよ。いても意味ない」

「うっ」


 その通りだ。


「さっさと神井君と仲直りして、勉強なんて教えてもらえばいいじゃん」

「分かった」

「じゃあ早く行って。先生には私からごまかしておくから」


 怒られっぱなしだったけど、さっきより心が軽くなった気がする。


「ありがとう」


 せめて笑顔で。今はあんまり笑えてないけど。


「その笑顔気持ち悪い」

「ひどい!」

「早く行って、キスでもしてきなよ。どうせしたことないんでしょ?」

「う、うるさいよっ!」


 私は駆け出して学校を飛び出した。

 バスでは、私の心の中で恋奈の言葉が反芻はんすうされていた。

 『ねぇ、美咲はさ、神井君をどう思ってるの?』という言葉が。

 慧は幼馴染で、私の大切な……


(大切な、なんなんだろう……)


 結局、答えは出なかった。

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