風邪1

 春の日差しがあたり、心地よく目覚める。

 毎日同じことをしていると人間は慣れて飽きてしまうらしいが、この気持ち良さに飽きることはなさそうだ。


「ふあ~」


 私はあくびをしながら両手を天井に向けて体を伸ばした。

 口を抑えずにあくびなど、はしたない気もするが、家の中でまでそんなことは気にしない。

 見られてもお母さんか慧くらいだ。

 慧に見られるのは恥ずかしいはずなのだが、最近はそんな気も薄れてきた気がする。

 いつも一緒にいるから気にしても仕方ないと思ったのかもしれない。


「あれ、慧?」


 だが、そんな幼馴染は今朝はいなかった。

 慧はよく居眠りをするが、朝には弱くなかったはずだ。

 いつも私が起きる頃にはなぜか私の部屋にいる。


(珍しいな)


 慧が寝坊するとは珍しい。

 だが誰だって寝坊するときくらいある。

 今日は私が起こしてあげよう。


(とりあえず支度しないと)


 私は制服に着替え、朝食を取り、そして慧の家に向かった。


(慧の家、久しぶりだ……)


 私は慧の家にいつでも入れる。

 小さい頃に慧から合鍵をもらったのだ。

 そのときはいつでも遊びに行けて便利、としか思わなかったが、改めて考えると家の鍵を家族以外に渡すのは異常ではないだろうか。

 私は別に泥棒をするつもりもないので、問題にはならないだろうが。


「お邪魔しまーす」


 そんな馴染みある家だが、最後に行ったのは2・3年前だ。

 中学生になったあたりからなんとなく行きづらくなったのだ。

 それでも慧は変わらず接してくれたので、特に気にならなくなっていたのだが。


「慧? まだ寝てるの?」


 私は玄関で叫んでみたが、返事はない。

 まだ寝ているようだ。

 慧のお父さんとお母さんは忙しいようで、この時間ではすでに仕事に行ってしまっている。

 寝坊すると、起こしてくれる人が慧にはいないのだ。


「慧、入るよ?」


 私は一応ノックしてから慧の部屋に入った。

 そこには見事に熟睡した慧がいた。


「慧、もう朝だよ」


 声で起きないのは分かっていたので、私は慧を揺すって起こそうとしたが……


「うぅ……」

「あれ、慧?」


 慧は苦鳴くめいを上げた。

 眠くて唸っているのとは違った。


「もしかして……あっつ!」


 慧のおでこに触れると、すごく熱かった。


「うわっ、どうしよう! とりあえず、冷やそう!」


 私は急いで家に戻って冷却ジェルシートと風邪薬を持ってきた。

 慧の家にもあるはずなのだが、リビングのレイアウトが以前より変わっていて、どこに何があるのか分からなかった。


「慧、しっかり」

「うぅ……み……さき?」


 冷却ジェルシートを貼ると、その冷たさでか、慧が目覚めた。


「慧、大丈夫?」

「頭が……くらくら……する」


 つい聞いたが、大丈夫じゃないのは火を見るより明らかだ。


「大丈夫じゃないよね! えっと、後は何すれば……」

「美咲、慌てて戻ってきたと思ったらどうしたの?」

「お母さん!? 慧が、すごい熱で!」


 気づけば、お母さんも慧の部屋に来ていた。


「そこどいて、そして落ち着いて」

「あ、う、うん」


 私は落ち着こうとした。

 自分でも慌て過ぎだったと思う。


「確かに熱があるわね。慧君、これ何本に見える?」


 お母さんは慧の首元に手を当てて熱を確認した。

 そして慧の眼前に指を3本立てた。


「3本……です」

「今日は何曜日?」

「月曜日……です」

「意識は問題ないわね」


 意識の確認だったようだ。


「お母さん、慧は大丈夫?」

「大丈夫よ。熱もそこまでないし、風邪薬を飲んで様子を見ましょう」

「病院には連れて行かなくて平気かな?」


 慧は大丈夫らしいが、病院で診てもらった方が良いのではないだろうか。


「そうしたいのだけど、今インフルエンザが流行っていてね、この状態で病院に行ったらむしろ悪化するかもしれないのよ」

「そんな……」


 なんてタイミングの悪いことか。


「大丈夫よ。たぶんただの風邪でしょうから。お母さんが看てるから美咲は学校に行ってきなさい」


 お母さんの言うことは最もだ。

 お母さんの方が看病には慣れているだろうし、私は学校に行くべきなのだが……


「えっと、お母さん」

「何?」

「慧の看病、私がしたい」

「学校はどうするの?」

「休む」


 私は慧の看病をしたい。

 きっとアルバイトで辛かったことが原因だろうから、私が責任を取らないといけない。


「まあ、いいわよ」

「本当!?」


 怒られるかもと思ったが、意外と認めてもらえた。


「ただし、何かあったらすぐに言うこと。それと、慧君が寝ている間は勉強すること。良い?」

「うん!」


 条件付きで。

 だが言われたことは至極しごくまっとうだった。


「じゃあ、慧君のことは任せたわ。私は田中先生に連絡して、それとお粥を作っておくわ」

「ありがとう!」


 お母さんは家に戻っていった。


「慧、お母さんがお粥作ってくれるって」

「すぅ」

「あれ、寝てる」


 さっき起きたが、もう寝てしまったようだ。

 私は家から教科書を持ってきて、慧の机を借りて勉強することにした。


(あ、ホコリ……)


 だが机を改めて見てみると、ホコリが積もっていた。

 しばらく使っていないようだ。

 部屋を見渡してみると、部屋の全体的にホコリが積もっていた。

 何ともないのはベッドとベッドまでの床くらいだ。


(掃除なら良いよね)


 私は勉強より先に、部屋の掃除を始めた。


「これ、懐かしい……」


 部屋の掃除をしていると、懐かしいものがたくさん出てきた。

 小学生のときによく慧と遊んだゲームや慧と遊んだおもちゃに、幼稚園の頃に買ってもらえなかったお人形セット。


(何であるんだろう……)


 そういえば、慧の趣味は女の子寄りだった気がする。

 それでもお人形セットはないだろうと思う。


(あのときの慧は、何でも持っていたな……)


 慧は私が欲しがっていたおもちゃを私よりも先に買ってもらっていて羨ましかった。

 そしてそれを見せびらかされたときには妬んだものだ。


(おっと、片付けないと)


 片付けをしていて思い出に浸ってしまうのは悪い癖だ。

 自分の家じゃないのに思い出が多いのは不思議だが。


(こんなものかな)


 片付けは終わった。

 終わってみて分かったのだが、思い出が多いどころではなく、思い出しかなかった。

 私の知らないものが全然なかった。

 そして最近発売されたものもない。

 まるで私が最後に来た日から、時が止まっているような気さえした。


(慧って帰ってから何してるんだろう?)


 慧が普段何をしているのか気になった。

 日中はいつも一緒だが、夜はそうではない。

 私は家で何かしているし、慧も何かしているものだと思っていた。

 だが部屋からその様子はうかがえない。

 慧はもしかしたら、帰ったらすぐに寝ているのかもしれない。


「美咲、お粥できたわよ」

「ありがとう。でも慧寝ちゃった」

「大丈夫よ。鍋ごと持ってきたから」


 お母さんは、お粥を土鍋で持ってきていた。

 さすがである。


「キッチンに置かせてもらうから、慧君が起きたらよそってあげて」

「分かった」


 お母さんはキッチンに行ってそのまま帰っていった。


(慧はまだ起きない……)


 私は勉強して慧の目覚めを待った。

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