アルバイト3
アルバイトが始まった。
今はお昼より少し前で、お客さんも少しいる程度だ。
そのお客さんたちは開店前から並んでいて、店長さん曰く『この人たちは常連だから何をしても大丈夫』とのこと。
もちろん限度はあるだろうが。
「メイドさーん注文お願いしまーす」
「美咲ちゃん、頑張って」
「私ですか!?」
説明は聞いたので、何をすればいいのかは分かるのだが、お手本を見てからやりたい。
「あの、先輩方は……?」
「応援してるよ!」
「大丈夫。なんとかなる」
先輩2人も行く気はないようだ。
「メイドさん? まだー?」
「今この子が行くわ! ほら、行って」
「……はい」
お客さんと先輩方の板挟みになった私は渋々注文を取りに行った。
「おまたせしました……」
「新しい子? 初々しいね。名前教えて」
今の私はメイド服に若葉マーク付きの名札をつけている。
名前は見れば分かるのだ。
つまり言わせたいのだ。
「……美咲です」
「美咲ちゃんかー。よろしくね」
「う、はい」
お客さんがやけに馴れ馴れしい。
背中がむずむずする。
「じゃあ注文だけど、『メイドさん特製萌え萌えオムライス』と、『甘々いちご牛乳』で」
「はい、かしこまりました」
注文を取り終わると、私は小走りで戻った。
「……注文取れました」
「よく頑張ったわ」
「うんうん、偉いよ!」
「偉い偉い」
褒めてもらえてちょっと嬉しかった。
だがもう行きたくない。
「美咲、おつかれ」
「慧~、私頑張ったよお」
「よしよし」
慧には頭を撫でられた。
普段なら恥ずかしくてたまらないが、今は恥ずかしくない。
たぶん感覚が麻痺した。
「美咲ちゃん、注文何だって?」
「オムライスといちご牛乳です」
「はいはーい。幸ちゃん、いつもの!」
「はーい」
厨房にはいつもので伝わるとは、さすが常連ということか。
注文を取りに行った意味があまりない気がする。
「私が行く意味ありましたか?」
「良い練習になったじゃない」
「あ、はい」
たぶん意味はなかった。
もしかしたらお客さんも私の練習に付き合ってくれていたのかもしれない。
そう考えるとさっきは少し失礼があったかもしれない。
「店長、できましたよ」
「ありがとう、幸ちゃん。さあ美咲ちゃん、持っていって」
「はい」
これから持っていく『メイドさん特製萌え萌えオムライス』は、メイドさんがケチャップで文字を書いて美味しくなる呪文を唱えるメニューだ。
メイドさんが作っていないのは公然の秘密である。
そして『甘々いちご牛乳』は砂糖多めのいちご牛乳で、持っていく際に甘い言葉をささやくのだ。
ただただ恥ずかしい。
「お待たせしました。『メイドさん特製萌え萌えオムライス』です」
「お、きたきた」
私は料理を置いて、オムライスにはケチャップで文字を書いていく。
何を書くかはメイドさんの自由らしい。だが自由が一番困る。
お客さんが喜べば何でも良いそうだ。
私はとりあえず『ありがとうございます』と書くことにした。
感謝されるのは嬉しく、実際感謝してる気持ちもある。
「ありがとうって、何に?」
「さっきは練習に付き合ってくれてありがとうございます」
「え?」
「え? あ、何でもないです」
気のせいだった。
すごく恥ずかしい。
「じゃあ、何に?」
「いつもご来店……じゃなくて、帰ってきてくれてありがとうございます」
「いえいえ~」
誤魔化した。
お客さんも嬉しそうなのできっと大丈夫。
「それでは美味しくなる呪文を一緒にお願いします。美味しくなーれ、萌え萌えきゅーん」
「美味しくなーれ! 萌え萌えきゅーん!!」
「あ、ありがとうございます」
私はお客さんのテンションの高さに少し引いてしまった。さすが常連。
「それと、『甘々いちご牛乳』です」
私は表情を引き締めてもうひとつの注文内容も置いた。
何か甘い言葉をささやかなければならないのだが、全く思い付かない。
『ありがとうございます』ではオムライスと被る。何より甘くない。
「……」
「あれ? 甘い言葉は?」
そもそも、男性は何をされたら嬉しいのだろうか。
私の周りにいる男性と言えば、お父さんと慧なのだが、参考になるだろうか。
お父さんは、私が何をしても喜んでいる気がする。参考にならない。
慧は、そういえば何をすれば喜ぶのか分からない。
慧は常時通常運転、という感じだ。
機嫌が悪くなることはたまにあるが、良くなるときが思い付かない。
悪くなるときも私に対してではなく、他の人と話していたときだ。
とりあえず、参考にならない。
「男性ってなにされたら嬉しいですか?」
私はお客さんに聞いてみることにした。
何か駄目な気がするが、考えても分からなかったので許してほしい。
「え? そんなのはじめて聞かれたな……。チュー、とか?」
「チュー!?」
だが返ってきた答えは思いがけないものだった。
そんなことはできない。
いや、これは私の聞き方が悪かった。
「えっと、なんて言われたら嬉しいですか?」
「うーん、指定したの言われてもなぁ。そうだ。じゃあ、僕の名前
「え!?」
確かに愛を囁かれたら嬉しい。
だが言えない。
そんなこと思ってないし。
恥ずかしいし。
「もちろん嘘でもいいから」
すかさずフォローが入った。
もしかしたら顔に出ていたかもしれない。
「えっと……。では」
「え、本当に?」
正直やりたくない。
でも気を遣ってもらってるようなので、やってみようと思う。
愛してなんて全く無いが。
恥ずかしいのが消えたわけでも断じてないが。
自分で思いつかないのだから仕方ない。
私はお客さんに囁いた。
「悟……君、愛……して……る」
「お、おう……」
相当苦しかった。
ただ言っただけだ。
だが言えただけマシだと、褒めてほしい。
「なんか、すっごくドキドキした」
「あれ? そう、ですか?」
意外と高評価だった。
良かった。
もう帰ろう。
「またやってほしいくらい」
「ありがとうございます。ご注文はお揃いのようなので失礼します」
「またね」
私はまた小走りで戻った。
「慧~、私頑張ったよお」
「よしよし」
そして慧に頭を撫でてもらった。
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