番外編:ホワイトデー

 3月14日。

 ホワイトデーである。

 しかし、バレンタインデーと違って、浮き立つ者はそこそこだ。


「美咲、またね」

「え、今日も?」


 だが最近、慧がおかしい。

 私を置いてすぐ帰るのだ。


「みっさきー、今日も神井君と一緒に帰らないけどフラれた?」

「付き合ってないし!」


 そして恋奈に茶化される。


「っていうか、今日ってホワイトデーじゃん。お返しもらった?」

「まだ……」


 私はまだお返しをもらっていないのだ。

 自分から話すと催促しているような気がしたので、慧から言ってくれるのを待っていたのだが、話題がかすりもしなかった。


「もしかして、忘れられてる?」

「それは、ないと思う……」


 慧は物忘れをしないほうだ。

 だが、そろそろ不安になってきた。


「じゃあ、最近1人で帰るのはホワイトデーの準備かな?」

「さあ……」


 そうであってほしいものだ。


「一緒に行けば?」

「なんか来てほしくなさそうだから……」


 慧はどこかに行くときは私を誘ってくれる。

 それがないということは、来てほしくないのだろう。


「もしや喧嘩でも……するわけないか」


 恋奈は言いかけて、訂正した。

 確かに私は慧と喧嘩をしない。

 大体は慧が折れるからだ。


「してないよ。登校は一緒にしてるし」


 避けられてるとは思わない。

 だが、私は無性に不安になった。

 慧がいなくなってしまいそうで怖くなった。

 そんなはずはないとどこかで思ってもいるが。


「じゃあ、ついて行ってみる?」

「え?」


 私を気遣ったのか、恋奈は慧の尾行を提案した。


「こんな珍しいこと、私も知りたい」


 だが気のせいだった。


「恋奈……私、ちょっと嬉しかったんだよ?」

「え、なんでガッカリしてるの?」


 恋奈は私の気持ちが分からないらしい。


「なんでもないよ」

「じゃあ、いこう。そろそろ追いつけなくなるし」

「でも……」


 恋奈はもう教室を飛び出しそうだが、私は急に不安になった。

 そもそも来てほしくないのについて行って良いのだろうか、と。


「でもじゃない! ゴー!」


 だが、私の悩みをよそに、恋奈は私の手を引いて駆け出した。


「あ、速いよ。もう少しゆっくり」

「神井君を見つけたらね」


 私は恋奈の速さについていけず、何度か転びそうになった。


「おっと」

「ふぎゃ」


 そして恋奈は突然止まり、私は恋奈に顔面から衝突した。


「美咲、痛いよ。何するの」

「はあ……恋奈が……速すぎるから……。それに、急に、止まるし」


 私は息がえになるし、鼻が痛いし、散々である。


「いや、神井君見つけたから止まったんだけど?」

「私からは見えてないから!」


 恋奈は私を不思議そうに見ているが、そんな目で見たいのはこっちである。


「そんなことより、神井君行っちゃったから行こう」

「そんなことって……」


 私はまだ言いたいことがあったが、言っても無駄な気がしたのでなにも言わなかった。


(慧、どこに行くんだろう……)


 私は慧のことで頭が一杯になっていくのを感じていた。


「神井君はっけーん」


 慧はすぐ見つかった。

 少ししか目を離していないので当然だが。

 まず驚いたのは、慧が家とは逆方向に向かったことだ。

 その方向にはあるのは駅だ。


(駅で買い物? もしくは電車でどこかへ?)


 慧の一挙手一投足に疑問が沸き立つ。

 私達は電柱をつたいながら、慧の後を追った。

 周りの人々から不審な目を向けられたが、今は気にしていられない。


「あ、神井君改札くぐったね」

「そうだね」


 慧は、電車に乗るようだ。

 私達も慧が乗った隣の車両に乗り込む。

 扉が閉まる寸前で焦ったが、なんとか乗れた。


「神井君降りたよ」

「うん」


 電車で何駅か進んだところで、慧は電車を降りた。

 そこは、工芸品店が立ち並ぶ場所だった。


「おお」

「きれい……」


 私達は美しい品々に目を奪われた。


「あれ、神井君は?」

「え、あれ?」


 そして、慧を見失った。


「ここまで来てそりゃないよ!」

「あ、待ってよー」


 さらに恋奈は私を置いてどこかへ走り去った。

 少し目を離しただけで、そんな遠くに行くはずがないのに。

 私は近くの店から見ていった。


(いない……)


 そこそこ見て回ったが、慧は見つからなかった。

 店の手前までしか見ていないので、奥にいれば分からないのだが。


(もう、帰ろうかな……)


 慧が私を誘わなかった不安が拭えなかった。

 なんだかんだここまで引っ張ってくれた恋奈には悪いと思ったが、私は慧を探すのを諦めた。


「あ……」

「美咲、来ちゃったの」


 そんなときに限って、慧を見つけてしまった。

 そして、やっぱり来てほしくなかったようだ。


「ごめんね。もう帰るから」


 私は慧から逃げるように背を向けた。

 だが、私はを進められなかった。


「待って」


 私は慧に手を掴まれていた。


「どうして……?」

「えっと、なんとなく?」

「え?」


 慧は咄嗟の行動だったらしい。

 だが私は、心が暖かくなった気がした。


「いま美咲を行かせちゃいけない気がしたから。それに、もう少しだし」

「え?」

「こっち」


 私は慧に手を引かれ、お店に入った。

 そこは、ガラスみたいに透明で色鮮やかな品々が並ぶ場所だった。

 その店の奥まで慧は進んでいった。


「おい坊主。そいつは誰だ?」


 中に入ると、なかなかに強面の小父おじさまに出会った。少し怖い。


「美咲です」


 だが慧は全く動じていない。


「こいつがそうか。幸江ゆきえ、茶でも出してやれ」

「はいはーい」


 どこからか声が聞こえた。

 少し経つと、更に奥から小母おばさまがお茶を持ってやってきた。こっちは怖くない。


「美咲ちゃん、こっちへいらっしゃい」

「あ、はい」


 私は幸江さんに招かれ、小父さまとは少し離れたテーブルに着いた。


「坊主、仕上げだ。手を抜くんじゃねぇぞ」

「はい」


 慧は小父さまのもとで何かをしている。

 私の場所からは微妙に見えないが、慧の真剣な顔は見える。

 私は、今はそれで十分な気がした。


「あの、ここは何のお店なのですか?」


 私は気になっていたことを聞いた。

 店に入ったときはガラス細工かと思ったのだが、ここの感じを見て違う気がしたのだ。


「分からないなら彼氏君に聞いた方がいいわ」


 だが答えは得られなかった。

 というか……


「彼氏じゃないです!」


 私たちは付き合っているように見えるらしい。

 いつもの癖で否定する。


「え、冗談でしょう?」


 だが幸江さんは信じられないとでも言いたげな表情だ。


「彼氏君、1週間も通いつめてるのよ?」

「そんなにですか?」


 1週間と言えば、慧が、どこかへ行き始めたくらいだ。


「ええ。付き合ってもいない子のためにここまではできないと思うけど、まあ本人が言うなら横やりをいれるつもりはないわ」


 幸江さんはどこか悲しそうな目をした気がした。


「私は……」


 私は何かを言おうとした。だが……


「よし、完成だ」

「ありがとうございます」


 丁度慧のしていることが終わったようだ。


「終わったみたいね。じゃあお話の続きは彼氏君としなさいな」

「はい……」


 私の気持ちが言葉になることはなかった。


「美咲、これ」

「ぁ……」


 慧が差し出したものを見て、私は言葉を失った。

 それは、とても素敵なバラの花束だったからだ。


「これは……?」

「飴細工」

「あ、なるほど」


 私はここが何の店かようやく分かった。

 店頭にあったガラスかと思っていたものは飴細工だったのだ。


「嬉しい?」

「うん、すごく嬉しい」


 ホワイトデーのお返しには物によって意味がある。

 飴、というかキャンディの意味は『あなたが好きです』である。

 さらに、バラの花言葉は『愛』だ。

 嬉しくないはずがない。


「何で泣いてるの?」

「え、あれ?」


 気づけば私の頬には一滴の涙が流れていた。

 きっと、緊張の糸が切れたせいだ。


「これは、嬉しいからだよ」


 私は少しごまかした。

 実は嫌われたんじゃないかと不安になっていたなんて、この飴細工を見てからはとても言えなかった。


「好きだよ、美咲」

「うぇ!?」


 超直球発言に私はたじろぐ。


「だから笑って?」

「うん……うん」


 私の心は嬉しさでいっぱいだ。

 とても暖かい。

 でも、涙が止まらない。


「おうおう若いもんは良いの。ワシなんて……」

「あなた、お茶が入りましたよ。飲みますよね・・・・・・?」

「お、おう……」


 幸江さんと小父さまが何か話していたようだが、気にならなかった。


「……ふう。ありがとう、慧」

「どういたしまして」


 しばらくして、私の涙はようやく止まった。

 改めて見ると見事な飴細工だ。しかし……


「これ、どうやって食べるの?」

「かじって……?」


 食べ方が分からない。

 慧もそこまでは考えていなかったらしい。


「じゃあこれもあげる」


 慧はもう1つお菓子をくれた。

 それはクッキーだった。


「これって……」


 クッキーにも意味がある。

 それは、『あなたは友達』である。


「慧って私のことどう思ってるの!?」

「好きだよ?」

「そうじゃなくて……なんでもない」


 好きにもいろいろある。

 思わず聞いてしまったが、愚問だろう。

 慧は多分、お菓子の意味を知らないのだから。

 それに、こんなに素敵なものをもらったのだから、答えは出ている。


「そう?」

「うん」

「じゃあ帰ろう。お世話になりました」

「おう、しっかりやれよ」

「またいらっしゃい」


 慧は小父さまと幸江さんにお礼を言って店を後にした。

 私もお辞儀をしてからそれに続く。


「うーん、視線が痛い」

「甘い匂いでいっぱいだからね」

「そうじゃないと思うよ……」


 帰りの電車で私が衆目を集めたのは言うまでもない。

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