番外編:バレンタイン

 2月14日

 女の子が男の子にチョコをあげ、思いを告げる日。

 バレタインである。

 私は慧に、毎年チョコをあげている。

 これはもはや慣例だ。


「おはよう」

「おはよう、美咲。慧君はもう来てるわよ」

「なに食べてるの?」

「チョコケーキ」


 慧はお母さんからチョコケーキを振る舞われていた。


「美咲、おはよう」

「おはよう」


 いつもなら、朝渡してその場で食べてもらっていたのだが、今日はチョコを既に食べている。

 一度に2つもチョコを食べる気にはならないだろうから、学校で渡すとしよう。


「学校行こうか」

「うん。ごちそうさまでした」

「はい、お粗末さまです」


 私はチョコを鞄にいれて、慧と登校した。


「みっさきー、神井君にはチョコ何個・・あげるの?」

「何その質問!?」


 学校で恋奈に会って、開口一番に言われたのがこれだ。

 1個に決まっている。


「いや、『1個じゃ私の想いは伝わらなくて』みたいな?」

「そんなのないから! 毎年あげてるから今年もあげるだけだって」

「前は意味も分からずあげてたけど、次第にその気持ちは本命に……」

「なってないから」


 今日は恋奈がしぶとい。きっとバレンタインの熱に当てられたのだ。


「手作りでしょ?」

「うん」

「他の人にはあげないでしょ?」

「……うん」

「本命でしょ?」

「う、違うから」


 危なかった。誘導されるところだった。


「そこは『うん』でしょ?」

「乗らないよ!?」

「ちぇー。じゃあいいよ、夫を攻めるから」

「夫じゃない!」


 恋奈の熱はしばらく冷めないようだ。


「神井君、チョコほしい?」

「いらない」


 恋奈は慧の即答に衝撃を受けている。


(え、いらないの?)


 それは私も同じだった。


「ただのチョコじゃないよ? バレンタインのチョコだよ?」

「うん、いらない」

「あり得ない!」


 慧は本当にチョコがほしくないのか。

 毎年あげていたのは嬉しくなかったというのか。


「ホームルーム始めるぞ。席につけ」


 だが、田中先生の登場により、それを聞くことはできなかった。

 いや、聞こうと思えば聞けた。怖くて聞けなかったのだ。


(チョコどうしよう……)


 私は悶々としたまま、授業を受けることになった。

 もちろん内容なんて覚えていない。


◇◆◇


 放課後。

 結局、授業には身が入らなかった。

 慧と話もできなかった。散々である。


(はぁ……)


 心の中でため息が出た。表には出さなかったが。


(帰ろう)


 なにもしてないが、今日は疲れた。

 私が教室を出ると、慧もついてくる。

 慧は一緒に歩いても話しかけては来ない。

 いつものことなのに、今日は辛い。


「美咲、どうしたの?」


 自宅前まで来て、慧は話しかけてきた。


「何でもないよ」

「そうは見えない。悩み事?」


 本当は悩んでいる。しかしどう言えばいいのか。


「何でもないってば」


 結局、私は言えなかった。

 すると慧は……


「わっ!?」


 私を抱き寄せた。

 慧の温もりが全身で感じられる。

 慧の匂いで満たされていく。落ち着く匂いだ。


「なに!?」


 落ち着かなかったが。


「こうすると悩み事を打ち明けてくれるらしい」


 慧は私が悩んでいることを疑っていないようだ。

 私は半分自棄やけになってチョコを渡した。

 どのみち渡さなければ、もう捨てるしかないからだ。


「毎年ありがとう」


 私にはその言葉が、『毎年作らなくていい』と聞こえた。


「慧はチョコもらって嬉しい?」

「嬉しいよ」

「でも、ほしくないんでしょ?」

「ん? なんで?」


 おかしい、会話が噛み合っていない。


「恋奈にチョコいらないって言ったでしょ?」

「言ったけど、どうかしたの?」

「ん? あれ?」


 慧は嘘をつかない。

 どちらも本当のことだとするなら、私は決定的な何かを誤解している。


「恋奈にチョコいらないって言ったのはどうして?」

「美咲がくれるから」

「あれ?」

「美咲がくれるから水上さんのチョコ・・・・・・・・はいらないって言ったんだけど……?」

「……」


 私は、しばしフリーズした。


「美咲、どうしたの?」

「なーんだ。そんなことか」


 私はようやく理解が追い付いた。

 考えてみれば、慧が毎年いらないものを受け取るはずがないのだ。

 受け取った時点で喜んでいたのだ。

 私はそのことを、誰よりも知っていたはずなのに。


「美咲、なんで泣いてるの?」

「え?」


 気づけば、私の頬には一滴の涙が流れていた。

 緊張の糸がほどけたからだろう。


「ごめんね、なんでもないよ」

「ならいいけど」


(ここはもう一回抱き寄せるとこでしょ!)


 慧は私の悩みが消えたことを悟ったようだ。無駄に鋭い。


「ねぇ、もう一回抱きしめて?」

「え? まだ悩んでるの?」

「いいから」

「分かった」


 慧はさっきと同じように私を抱きしめた。

 今度は私も抱きしめる。

 私が感じる温もりは、さっきよりもずっと暖かかった。


「ありがとう。もういいよ」

「うん」


 私達は、ゆっくり離れた。


「開けていい?」

「もちろん」


 慧は私のチョコを開けた。


「溶けてる」

「嘘!?」


 だがそのチョコは少し溶けていた。

 元々冷蔵庫から出してすぐに食べてもらうつもりだったのだ。

 そこまで考えが回らなかった。


「貸して、ちゃんと固めて明日渡すから」


 せっかく頑張ったのだから、もったいない。

 バレンタインはすぎるが、明日にしよう。


「やだ」


 だが、慧は私のチョコをそのまま食べきってしまった。


「どうして……」

「明日じゃ嫌だったから。ごちそうさま」


 いい笑顔だった。

 こんな顔を見せられれば、不安になった自分が馬鹿みたいだ。


「どういたしまして」


 私は可笑しくて、そして嬉しかった。

 私の表情が最高の笑顔になっていたのは、言うまでもない。

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