登校
「痛い……何するの、美咲」
慧は私に叩かれた頬をさすって、ジト目で私を見ている。
「それはこっちのセリフだよ! 見た? お母さんの目! 私もうお母さんの顔見られないよ!」
私にはお母さんの目が悲しみを帯びているように見えた。
「いつもどおりじゃない?」
しかし、慧は気づいていないようだ。
「大丈夫だって、子供に何があっても受け入れるのが親ってもんでしょ?」
「慧……」
珍しくいいことを言った気がした。
しかし、よく考えれば何のフォローにもなっていない。
「嫌でも会うからもう諦めたほうがいい」
更にとどめを刺してきた。
「そうだよね! うわーん」
私はだんだん
「早く学校に行こう。もう、すぐ行こう」
「うん。支度終わったら起こして」
慧はまた寝ようとしている。というより……
「ねぇ、私これから着替えるんだけど、外で待っててくれない?」
乙女の着替えを覗こうとは何事か。
いや、慧に覗く意思は全くなさそうなのだが。
「ここ
「さっきまで私が寝てたからね!」
少し抵抗があるが、慧を外に追いやるよりすぐに着替えてしまうほうが楽だ。
なにより、ずいぶんと前だが一緒にお風呂に入っていた仲だ。
下着ぐらいは今更な気がしないこともない。
「じゃあ着替え終わるまで
「それってフリ?」
「違う!!」
私は慧に頭まで布団をかけ、覗かないことを念押しして着替え始めた。
パジャマを脱いで、制服に着替えていく。
時々ベッドの方を見ているが、慧は微動だにしない。
「ふう。慧、終わったよー。起きてー」
着替え終わったことを伝えたが、慧はそれでも微動だにしない。
布団をめくると、慧は見事に眠っていた。
布団の中で目を閉じて動くな、というのは寝ろというのに等しい。
私はそれを遅ればせながら気づいた。
「慧、起きてってば」
「ん……温々だった」
「それは知ってる。ほら行くよ」
私は慧を半ば強引に連れ出した。
私の部屋は2階にある。
階段と玄関はすぐ近くにあるから、静かに降りれば親と会わずに外へ出られる。
「いってきまーす」
無言で出ていくのは気が引けたので、玄関のドアが閉まる寸前にこれだけは言っておいた。
「はあ、疲れた。もう寝たい」
「じゃあ一緒に寝よう」
私は朝から疲れたが、慧は満面の笑みだ。
なんていい笑顔だろうか。
「疲れたのは慧のせいだからね」
「ん?」
自覚なし。
私はこの話題をもうしないことにした。
「なんでもないよ。それよりバスが来るのって何分?」
私達は学校まで片道30分のバスに乗る。
歩いてはとても行けない距離だ。
自転車でもいいのだが、以前慧が嫌がったので私もバス通学をしているのだ。
「あと4分」
そんなバスはあと4分。
走らないと間に合わないが、慧は嫌がるだろうから、次にしよう。
「次は?」
「あと32分」
そのバスでは遅刻する。
私はやっぱり走ることにした。
「急いで!」
「走るの?」
「遅刻しちゃうから!」
「……分かった」
慧も渋々走り始めた。
私は慧において行かれないように頑張る。
慧は外嫌いのくせに意外と足が速い。
常々思うのだが、不公平である。
ここで家からバス停までの唯一の信号に差し掛かる。
今は赤だ。なんてタイミングの悪い。
「走れー」
私は止まりかけたが、慧が私の手を引き始めた。
「え!?」
突然のことに私はドキッとした。
ときめいたわけではない。驚いただけだ。
幸いというか、いつものことだが、車は通っていなかったので事故にはならなかった。
「はぁ、はぁ。間に合った」
私達はなんとかバスに乗り込んだ。
乗客から生暖かい視線が注がれたが、今は気にする余裕がない。
「おつかれ、椅子あいてるよ」
一方で、慧は息一つ切らしていない。やっぱり不公平だ。
私達は椅子に座ってバスに揺られた。
「そういえばさっき信号破ったでしょ。だめだよちゃんと守らないと」
自分のことを棚上げしての注意だが、言っておかないといつか事故に合うかもしれない。
「美咲、あの信号は渡っても問題なかった」
「車がいないからって、赤信号で渡っていい理由にはならないよ?」
「いや、あそこは信号があることが間違いなんだ」
「え?」
「信号は縦と横からそれぞれ車が来る場合に必要になるものだ。でもあそこに車が通ることはめったにない。ましてや縦と横から同時に来ることなんて全く無い」
「そうかも知れないけど……」
「通行を円滑にするための装置が、反って通行の妨げになるのは本末転倒だ。だから大丈夫」
何かが違う気がするが、なんとなく説得力があった。
それに私も信号を破ったわけだし、守ってたら乗り遅れて遅刻していただろうからもう何も言わないことにしよう。
「両方青なら楽なのに……」
「それ設置する意味本当にないから」
最後のつぶやきにまで何も言わないでいることは、流石にできなかった。
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