第112話

「今、脱いでって言った?」

「言ったよ?」


 緋花はなんともない顔で、腰に手を当てている。


「服、髪の毛だらけになっちゃうから」


 ああ、そういうことか。

 そう納得した後、自分の全身を見回してさらなる疑問が湧いた。


「――それってつまり、全部脱ぐの?」


 そして二人の間に沈黙が訪れる。緋花の驚いた表情が心に痛い。


「才ちゃんが全部見られてもいいなら、いいけど?」


 それはもちろん嫌だ。でも髪の毛が服につくという理屈なら、服を着ていることがまずい訳で。でも後々面倒な服の処理をするくらいなら、裸体を晒すほうがましなのかも知れない。


「万が一ウチがハサミ落としたら、大切なところが大変なことになっちゃうかも知れないよ?」


 そう言って緋花はわざとらしくハサミをシャキンと音を立てた。

 前言撤回。せめてコイツが役目を果たしてからにしてやりたい!


「いえ、辞めときます……」

「そっか、残念」


 残念!? ちょん切れないことが!?


「脱ぐのは上と、あとズボンだけで良いよ」


 それってつまりパンツ一丁ってことだよね。


「わかったよ」


 しぶしぶTシャツを脱ぎ捨てる。

 我が校には更衣室がないから、体育の授業での着替えは男女混じって教室で行っている。女子はまぁなんとかうまいこと着替えているし、男は半裸、パンイチは覚悟の上だ。それが嫌な男はベランダで着替えたりしている。そういう意味じゃ半裸を見せるくらいなんてことはないのだけれども。このシチュエーションがなんだかもじもじするのだ。


「はいよ、脱いだぞ」


 盛大に逆だった頭髪を直しながら振り向けば、緋花が手を差し出していた。


「これかぶって」



 ☆



「なんか……妙に張り付くんだが。気持ち悪いな」


 風呂場の桶の上に座る。そんな俺は今、半透明のビニール袋を着用している。ゴミ捨て用の大きなビニール袋に一部切れ込みを入れ、それを頭から被った状態だ。


「我慢してよ。毛だらけになるよりマシでしょ?」

「確かに」


 なるほど、こうすれば髪の毛はスムーズに下に落ちてくれる訳だ。だが、夏場で汗ばんだ体に、ビニール袋が張り付くのだ。そして俺の乳首が無駄に浮き彫りになったりしている。ここに座る前、「意外とイイ体してるね」と言いながらもニヤついていた緋花。チクショウめ。


「じゃあ、切るよ」

「お願いします」


 緋花はハサミをかっこよく構え、俺の髪をヘアクリップで挟むと、迷うことなく切り始めた。シャク、という音とともに、髪の毛が落ちていく。この音、なんだか妙に落ち着くんだよなぁ。


「才ちゃん、頭の形いいね」


 頭髪に手ぐしを通しながら緋花が言う。


「そうなのか?」

「うん。絶壁の人とか、角ばってる人とかいるからね。良かったじゃん、将来ハゲても、かっこよくスキンヘッドできるよ」

「どんな利点だそれ」

「いやいや、頭の形ってマジで大事なんだってば。それによって帽子が似合う似合わないってあるし、頭の形をどう誤魔化すかってところが、女の子でも結構悩みどころだったりするんだよ」

「へぇ……そうなのか」

「ウチらくらいの年齢ならもう気になって仕方ないと思うよ。まぁー、才ちゃんはそういうところうといからわからないかも知れないケド」


 緋花は饒舌じょうぜつに解説しながらも、手際よく髪の毛を切っていく。


「そこは否定できんな」

「でしょ? まぁ、才ちゃんを好きになった人は大変だよ」

「そう、かな?」

「そうです。はい、じゃあこっちみて」


 緋花はそう言いながら俺の頭の向きを無理やり変える。襟足あたりをザクザクいっている。


「それにしても手際いいな。相当練習してるんじゃないか?」

「んー、まぁねー。同学年の子とか、結構切らせてもらってるし」

「それって男も?」

「そだね」

「そういう男子って、お前のこと好きになったりしないのかな」

「んー、あるんじゃない? 後々告白されたりするし」

「やっぱり?」

「まぁ断るけど」

「バッサリだな」

「そりゃそうだよ。ウチは髪の毛を切らせてもらいたいのであって、その人とお近づきになりたい訳じゃないからね。それ以上を求められても困るっていうか。それに、さっき言った田舎問題ですよ」


 誰々が付き合ったとか、そういう話が村中全員が知ってしまうという、それ。


「例えば男子の髪の毛を切りました、そうしたらその人を好きな子から文句言われたりとか。そんなんしょっちゅう。あとウケたのは、ウチが切って上げた子がモテだして、振られたのはそのせいだー、とか言ってきたのもあったなぁ。そんなん、あんたの魅力が足りないだけじゃんって」


 田舎で恋愛はしたくない。緋花がそう思うようになったのは、どうやら俺には想像もできないことが積み重なった結果なのだろう。


「ところで才ちゃん、さっきの話だけど」

「さっきって?」

「髪の毛切ってあげた男子から言い寄られないのかって話」

「んああ」

「それって、才ちゃんもウチにこうして切られたら、好きになっちゃうのかな?」


 気づけば、緋花の頬がすぐ側にあった。鏡越しに、からかいの目線を向けている。前かがみになったその胸元から、思わず目を逸らした。


「ば、ばぁか。俺はそんなにチョロくないよ」


 赤面しそうになったのはバレてしまったかも知れない。緋花は満足そうな表情をしながら、俺の髪にすきバサミを入れていく。


「――やっぱり、才ちゃんを好きになる人は大変だよ。でもきっと、そういうところが好きなんだと思うよ」

「……一体なんの話だ?」

「はい、出来上がり!」


 緋花は誤魔化すようにそういって俺の背中を叩いた。


「うーん、我ながらなかなかの仕上がり」


 俺の髪の毛を立ち上げたり動かしたりして、その仕上がりを確認している。


「ワックスつけていい? 仕上がりイメージつくと思うから」

「おう」


 緋花はなんだかおしゃれなワックスを手に練り上げ、俺の髪の毛を立ち上げていく。


「こんなもんかな。どう?」


 そういって大きな手鏡のようなものを俺の手元に差し出した。そこに映る俺は、見違えるようになっていた。


「おお、凄いな!」


 サイドを短くして、上は遊びの効いた今風の髪型。セットも簡単そうだし、何より涼しくていい。地味男イメージが吹き飛んでいる。


 俺は思わず興奮して、緋花の両肩を掴んでいた。


「どう!? 緋花! これなら街を歩いていても恥ずかしくないよ! やっぱり、お前こういうの向いてるよ! さすがだな!」


 気がつけば顔が近くなっていた。


「う、うん。えっと、ありがと……」


 緋花の顔が真っ赤になっていく。

 あれ? 俺、何かしたか?


「ま、まぁあ、ウチにかかれば、こんなもんだよ。そ、それなりにカッコよくなったんじゃない……?」


 緋花は顔を逸らしながらそう言い、俺の手をゆっくり肩から振りほどいていく。


「と、とにかく、一度座って。髪の毛がちっちゃうから! つくでしょうが!」

「お、おお、すまん」


 座った俺の背中をはたくようにして髪の毛を落としていき、ビニール袋を取り外していく。


「はい、じゃあ、そのまま頭洗ってきちゃって。体にも髪の毛ついちゃうから、そこもね」

「ええ? でももったいなくないか? せっかく緋花にセットしてもらったのに……」

「つべこべ言わない! 早く洗っちゃって!」


 急に緋花は怒り出したように言って、風呂場の扉を閉めてしまった。


「……あがったら、またセットしてあげるから」


 扉越しに、そんなような言葉が聞こえた気がした。

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